高輪築堤見学記

高輪築堤見学記 

埋蔵文化財保護対策委員会 事務長 小笠原永隆

 

 さる5月21日、埋蔵文化財保護対策委員会有志を中心に19名で高輪築堤の調査現場の見学を行った。高輪築堤については、協会の特設ページからも詳しい説明がリンクされているので、ここでは省略したい。

数日前から重機による爪入れ、すなわち石垣の石を外す作業が始まっているとのことである。「記録保存」のための調査がいよいよ開始された。4月21日公表されたJRの「一部保存・一部移築、ほかは記録保存」が実行されたことに他ならない。昨年11月22日の東京新聞でこの問題が明らかになって以来、2月16日の萩生田文科大臣の現地視察をはさみ、実に様々な動きがあった。この時は明らかになっていなかったが、10日後には菅総理も視察に来ることとなる(もっともJR東日本の方針を追認しただけにすぎなかったが)。

さて、現地保存方針の第3街区「第7橋梁」は、やはり一番見学者の目を見張るものである。この時は、現地保存に向けて、築堤を支える胴木や群杭(杭列)を保護するため、あえて水をためており、少しだけではあるが、当時の雰囲気がしのばれるものであった。第4街区に向けてのびる築堤はほぼ完全な姿で続いており、海側の石垣はもちろんのこと、その下部を支える胴木・砂利・群杭(杭列)も残されている。築堤の上部は、線路こそ残されていないもののバラストが確認され、開業時に汽車がはしった面が確認できる。さらに1899(明治32)年の3車線化に伴って山側に増設された土盛りや石垣もはっきりしている。

第4街区の景観は圧巻である。海岸線に沿う築堤は、直線状に伸びてから、品川に近づくにつれ、緩くカーブしていく様子がはっきりとわかる。カーブが始まろうとする場所には、石垣の上部に張り出しが構築されている。これは、当時の写真からも腕木式の信号施設と考えられ、土台部も明瞭に残っているとのことであった。しかし、第4街区はこの信号施設周辺のみ、しかも移築保存という方針である。施設のみが重要であるならば、この方針はやむを得ないものとして理解できる。だが、緩やかにカーブするという位置にあることに意味あり、それを含めた築堤全体の景観の中にあることが、その重要性をさらに高めているのではないだろうか。

第7橋梁

4街区の築堤跡

信号機土台

 高輪築堤の意義は、幕末から明治期にかけての近代化、とりわけ動力革命の達成を示す遺構であるということである。そして、考古学的にはその構造、すなわち築造工程を明らかにすることが重要であると思われる。

 東京は、江戸時代以来、台地を削ったその土で谷や浅瀬を埋立て利用可能な平地増やしながら都市として発展してきた経緯がある。もちろん一部であるが、発掘調査によって、その実像が明らかになってきている。明治期に入ると都市の近代化に伴い地形改変は一層顕著となり、都市を拡大することになるが、鉄道敷設に伴う高輪築堤の建設も、新たな都市開発の一つであるが、ここから運送形態が大きく変化していくという点で、まさしく革命であると言えよう。急速な近代化、日本の産業革命を象徴する存在である。しかもほとんど類を見ない規模で海上に、しかも極めて短期間で構築されたのである。築城や地業など伝統的な土木技術があったからこそ、可能となったのは間違いないが、どこから土や石を(急速な開発で土砂や石材は奪い合いに近い状態であったといわれる)どのように運び、築堤を構築したのだろうか。わからないことばかりであり。それを解明することが考古学の責務であり、高輪築堤の重要性をより高めることは容易に予想される。

築堤石垣の石材

説明の様子

辻協会会長あいさつ

 また、築堤の大部分が、当時の錦絵に描かれた姿のまま残存する景観は極めて貴重であるし、圧巻である。高輪ゲートウェイ駅を出て、築堤を目の当たりにする光景は、まさしく「ゲートウェイ」にふさわしいものではないだろうか。そこに当時の鉄道を復元し、汽車を走らせることができれば、新たな観光資源としての可能性も広がる。東京はスクラップ・ビルドを繰り返すことで発展してきた都市である。気が付けば江戸城跡(皇居)以外、大規模に近世~近代の景観が残されているところはない。ローマのように遺跡と現代都市が共存している風景のように、高輪築堤も開発の「邪魔もの」扱いされず、史跡としても景観としても、都市の中で「活用できる資源」として歓迎される存在にはならないものだろうか(もちろん、ローマも開発と遺跡保全の両立は簡単な問題ではないと聞いているが・・・)。

 デベロッパーや企業関係者のみならず一般の方々にも、現代の経済活動を犠牲にしてまで遺跡を保存する必要があるのか、という意見が多くあることは言うまでもない。しかし、過去、しかも歴史的に見ても象徴的なものまで、現世利益のために犠牲にしても良いのだろうか。もちろん、開発事業者のみを悪者にするべきことでもない。文化財保護法をはじめとする法制度について、検討するべき問題点が多くあることにも起因すると考えられるからである。高輪築堤は、まさしくこうした問題を凝縮した渦中にあるといえる。この点からも、議論は尽くすべきあり、急速な「国指定史跡化」という手土産で丸め込むべきではない。

 重要な遺跡を目の当たりにして、保存すべきである、と考えることは、考古学に関係する者として当然の心理である。しかし、単なるノスタルジックな訴えだけでは耳を傾ける人は少なくなっている。なぜ重要なのか、残すことでどのように役立てることができるのか、開発側にも響くような具体的な言葉や方策を示さなければならないし、時には規制を強化することも視野に入れなければならないのが現状であろう。

このように高輪築堤はそれ自体の考古学的な重要性だけではなく、「まちづくり」を含めた遺跡利用全体に実に多くの問題を提起する存在となっている。だからこそ、拙速に「一部保存、一部移築、残りは記録保存」を決めてはならない。いったん開発を止め、保存を前提として詳細に調査し、それから国民的な議論を尽くし、結論を出すべきなのではないだろうか。高輪築堤にはそれだけの現代的価値がある、と調査現場を見て考えた次第である。