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機関誌『日本考古学』第26号

2008.11.1発行 207p ISSN 1340-8488 ISBN 978-4-642-09101-5
論文村木 誠summary伊勢湾地方の地域的特質−弥生時代後期における東西日本間の関係を中心に−1-22
論文木許 守summary畿内政権と周辺地域の群集墳23-40
研究ノート端野晋平summary計測的・非計測的属性と型式を通じた石包丁の検討−韓半島南部と北部九州を素材として−41-67
研究ノート深谷 淳summary金銀装倭系大刀の変遷69-99
特集 現代の日本考古学の諸問題101-203
特集菊池徹夫summaryはじめに102
特集西谷 正summary現代の日本考古学の諸問題−日本考古学協会60年の経過と課題−103-108
特集埋蔵文化財保護対策委員会summary埋蔵文化財保護をめぐる諸問題109-130
特集研究環境検討委員会summary日本考古学が置かれている研究環境の現状131-153
特集国際交流委員会summary日本考古学と国際交流−過去・現在・未来−155-180
特集社会科・歴史教科書等検討委員会summary社会科・歴史教科書を考える−小学校の教科書から消えた旧石器・縄文時代の記述−181-203

伊勢湾地方の地域的特質 −弥生時代後期における東西日本間の関係を中心に−

村木 誠
  1. 問題の所在
  2. 尾張台地における「東海系」遺構・遺物
  3. 「東海系」遺構・遺物と尾張平野北部
  4. 「伊勢湾地方圏」の成立とその要因
  5. 伊勢湾地方のもの・情報の流通とその特徴
  6. 「伊勢湾地方圏」と東西日本の関係
  7. 結語

−論文要旨−

 本論は,弥生時代後期から古墳時代初頭の伊勢湾地方における諸地域間の関係の考察を通じ,その地域的統合について論ずるものである。

 弥生時代末から古墳時代初頭には,伊勢湾地方に由来する遺構・遺物が東日本に広く分布し,広範な地域間の関わりを検討するうえで重要な資料となっている。本論では,「東海系」と呼ばれるこれらの遺構・遺物の,伊勢湾地方における時間的・空間的動向を検討した。その結果,多様な由来を持つこれらの遺構・遺物の分布が,弥生時代後期の環濠集落期を経た後期末に,尾張平野北部に集中することを示した。あわせて検討した集落遺跡の動向も加えて,こうした分布の変化が,尾張平野北部の中心性が確立していく状況を示しているものと解釈した。そして,同時に,この地を中心とし,中心を共有する諸地域間が地域的なまとまりを形成したと推測した。

 本論で検討した「東海系」遺構・遺物には,伊勢湾地方に固有なものと,汎西日本的な性格を持ったものがある.このうち,東日本で広く定着を見せるのが後者であることから,伊勢湾地方は汎西日本的なものを東日本へと媒介する役割を果たしたと見られる。逆方向の流通も当然想定されるから,伊勢湾地方の地域的特質は,東西日本間の,もの・情報の流通を媒介することにあると考えた.そのため,伊勢湾地方において,中心の確立と,そこからの関与を受ける周辺の諸地域からなる秩序が形成されたのも,こうした流通に対する関与・管理を一つの要因としていると想定した。

 こうした視点から,西日本から伊勢湾地方を経由し東日本に至る流通ルートを検討したところ,環濠集落期を境に大きく変化し,尾張平野北部がそれまでの複数のルートのいずれにも関与することとなり,東西日本間の流通の結節点となったことが想定された。

 以上の検討から,弥生時代後期における伊勢湾地方での秩序を持ったまとまりの成立は,その中心である尾張平野北部が,東西日本間をつなぐ,もの・情報の流通ルートの掌握に成功したことと表裏の関係にあることを主張した。

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畿内政権と周辺地域の群集墳

木許 守
  • はじめに
  • 1.分析視点・方法
  • 2.各事例の検討
  • 3.検討対象地域の類型化
  • まとめ

−論文要旨−

 小稿は,古墳時代の畿内政権と畿内周辺地域の群集墳被葬者層との関係を探り,畿内政権が群集 墳被葬者層を直接的に支配・掌握したとすれば,その時期や範囲を具体的な資料をもって明らかに することを目的とした.対象地域として伊勢南部地域・丹後地域・紀伊北部地域を取り上げた.そ の考察に際しては,在地における首長勢力の消長に留意する一方で,群集墳中の古墳については畿 内地域で一元的に製作され配布されたと目される遺物の有無を点検した。ただし,そのような「威 信財」とされる遺物の出土が少ない丹後地域については,群集墳から出土する鉄器の総数を数えて, 出土数の推移を見る方法を提示した。

 伊勢南部地域と丹後地域は,在地における首長墳の系譜が中期のうちに途絶え,その後に築造さ れる群集墳中の小規模墳に畿内政権の影響が看取できる「A型地域」である.そのうち,伊勢南部 地域は畿内政権の影響が中期中葉に認められる「A1型地域」,丹後地域は,中期後葉に認められ る「A2型地域」と認識される.一方,紀伊北部地域は,在地における首長墳の系譜が後期にまで 継続する「B型地域」で,後期を通じて畿内政権の群集墳被葬者層への直接的な影響を考えにくい 地域である。

 このような検討によって,畿内政権による群集墳被葬者層に対する直接的な支配・掌握に至る過 程は,畿内周辺部という同様の条件であっても地域によって様相が異なることを指摘した。したが って,畿内政権によってそれが達成される時期は,各地域を画一的に論じることはできないと考え る。

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研究ノート

計測的・非計測的属性と型式を通じた石庖丁の検討 −韓半島南部と北部九州を素材として−

端野晋平
  • I.はじめに
  • II.問題の所在
  • III.資料と方法
  • IV.分析結果
  • V.考察
  • VI.おわりに

−論文要旨−

 本稿の目的は,韓半島南部無文土器時代と九州北部縄文時代晩期末〜弥生前期の石庖丁を対象とし,計測的・非計測的属性と型式の分析を通じて,その時間性と地域性,形態的特徴・技法の発現過程を明らかにすることである。まず,土器・石器などの共伴遺物と出土住居跡の型式によって所属時期の決定をおこなった.次に,計測的属性の時間的・空間的検討を行ったうえで,遊離資料の所属時期決定をするための基準をつくり,それをふまえ,非計測的属性と型式の時間的・空間的様相を検討した.その結果,次の結論が得られた.①無文土器時代中期になると,松菊里文化圏では,刃部平面形態では外湾形→三角形,刃部断面形態では片刃・両刃→交差刃という変化が起きる。これは,いわゆる三角形交差刃石庖丁の成立を示している。②一方,非松菊里文化圏では,中期になっても前期以来の石庖丁が継続する.しかし,松菊里文化圏と同様に全長・孔端の減少がみられ,全地域で背部が直線化する傾向にある。これは松菊里的石庖丁製作伝統が中心から周辺へとむかうにつれ,減少することを示している。③南江流域圏では松菊里文化圏の他地域においての変化のあり方とはやや異なり,サイズの小形化や形状の変化にともない,三角形の採用とともに,穿孔技法では一孔・擦切が盛行し,刃部断面形態では両刃もそれに連動した独自の動きをみせる。④半島南部の各地域のうち,南江流域圏は,九州北部例と共通する要素をもった例が最も多く,九州北部と共通する型式も他地域にくらべ多い.⑤しかし,同じ三角形両刃石庖丁でも,穿孔技法が異なっており,双方は似て非なる型式と評価される。

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研究ノート

金銀装倭系大刀の変遷

深谷淳
  1. はじめに
  2. 研究史
  3. 金銀装倭系大刀の定義と基本構造
  4. 基本装具の検討
  5. 付属装具の検討
  6. 金銀装倭系大刀の分類
  7. 金銀装倭系大刀の変遷
  8. まとめ

−論文要旨−

 古墳時代において,5世紀後半から7世紀前半を中心としてみられる金銀で装飾された大刀には,代表的なものとして,日本列島で成立した木製・鹿角装の柄・鞘を装着する大刀(倭系大刀)に金銀の装飾が付加された金銀装倭系大刀と,半島系大刀がある.半島系大刀は既に詳細な型式編年が提示され,その性格についても論じられているが,金銀装倭系大刀は半島系大刀に比べて編年研究が立後れており,両者の比較検討に際し,大きな支障となっている。

 本稿では,以上の現状を踏まえ,金銀装倭系大刀に関して基礎的な検討をおこない,その変遷を明らかにした。

 検討の過程として,第1に金銀装倭系大刀の定義・基本構造を示した。金銀装倭系大刀の装具は基本装具(柄・鞘)と付属装具に分かれ,付属装具には振り環,勾革飾金具(金銅製三輪玉・金銅製半球文勾革飾金具・鉄地金銅張半球形勾革飾金具・金銅製勾金・金銀装勾革上部飾板)がある。第2に基本装具,付属装具の各種類について検討し,それぞれの存続時期・変遷を示した.第3に,基本装具と付属装具の組み合わせをもとに,金銀装倭系大刀の分類をおこなった。そして最後に金銀装倭系大刀の変遷を1〜V期に時期区分した。

 変遷の概略を述ぺると,5世紀に金銅製三輪玉などの勾革飾金具が創出され,それが倭系大刀に装着されることで,金銀装倭系大刀の製作が開始される。6世紀に入ると,金銀で装飾された基本装具や,振り環などの付属装具の出現により,大刀の金銀の装飾化が進行するとともに,装具の種類・組み合わせが異なる様々な大刀がみられるようになる。それらの大刀には金銀の装飾性の違いが認められ,金銀の装飾性に基づく大刀の序列が形成されたと考えられる。6世紀後半になると,金銀装倭系大刀の生産は最盛期を迎えるとともに,全面が金銀で装飾された藤ノ木古墳出土の大刀に代表されるように,金銀による大刀の装飾化が最高に達する。ところが7世紀に入ると,金銀装倭系大刀は古墳の副葬品から急速に姿を消していく。

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特集 現代の日本考古学の諸問題

はじめに

日本考古学協会会長 菊池徹夫

 登呂遺跡の調査をきっかけに,戦後間もない1948(昭和23)年,わずか数十名の会員で発足した本協会も,60年を経たいま,じつに4200余名を擁する大規模な全国学会に発展いたしました。

 今年は,従って,ちょうど創立60周年という,いわば還暦の年にあたることから,これを記念する事業が計画されました.

 最古参の会員23名の方々の表彰をはじめ,仙台,東京,静岡,大阪および九州と,全国5箇所での記念講演・シンポジウムの開催,それに,この『日本考古学』特集号の刊行です。

 本協会では,これまで埋蔵文化財の保護と活用のための不断の活動をはじめ,特に陵墓問題や社会科・歴史教科書問題などを重く見て積極的に対応し,さらに公開講座などで社会への情報公開にも努めてきました。国際交流にもカを注いでいますし,また倫理綱領の制定も特筆してよいでしょう.

 最近の社会情勢は,考古学の研究や埋蔵文化財の調査・保護体制にますます大きな影響を及ぼしています.国立大学・研究所の法人化,文化財担当職員の削減と民間発掘組織の参入,博物館などへの指定管理者制度の導入,それに発掘調査資格の問題などです。これらの問題には研究環境検討委員会を設けて取り組んでいます。

 そこで,私どもは機関誌『日本考古学』秋季26号を日本考古学協会60周年記念特集号「現代の日本考古学の諸問題」とし,これら諸問題のうちいくつかについて,いわば回顧と展望を試みようとしたのです.これをもとに,活発な議論が起こることを願っています。

 研究者同士の,いわば親睦の性格が強かった本協会も,社会的要請から有限責任中間法人となりました.ところが,近く法律によって自動的に一般社団法人になります.関門は多いとはいえ,さらに公益社団法人を目指すべきかとも考えています.いずれにせよ,本協会の特質は考古学研究,埋蔵文化財の調査・保護・活用といった活動に関わる,様々な立場の会員が集う自由な組織であることだ,と私は思います.とにかく多様性の中での自由と相互理解,それに情報公開こそが大切でしょう.本協会は,よりよい方向を目指して,さらに一歩一歩前進してゆくつもりですので,ご協力いただければ幸いです。

 末筆ながら,とくに記念事業検討小委員会,機関誌編集委員会のご努力に,一言お礼を申し上げます。

 2008年11月


−日本考古学協会60年の経過と課題−

西谷正
  1. はじめに
  2. 日本考古学研究の展開
  3. 研究環境と埋蔵文化財保護
  4. 国際交流
  5. おわりに

−要旨−

 日本考古学協会は,設立50周年を迎えた1998年に,機関誌『日本考古学』第6号において,特集を組んで調査・研究ならびに本協会の50年に及ぶ足跡について総括した。また,本協会60周年を迎えた昨年の第74回総会時には,大塚初重氏が本協会60年の歩みについて記念講演を行った。

 そこで,ここ10年の状況を振り返ると,日本考古学にとって衝撃的な事件が起こった。去る2000年に発覚した前・中期旧石器文化の捏造問題である。本協会は,この事件のほぼ全容を解明するとともに,調査・研究の再出発を続けている。旧石器時代に続く縄文・弥生・古墳時代の研究は,順調に展開している。たとえぱ,中期旧石器文化の追求や,縄文文化における栽培植物の実態解明などが挙げられる。また,弥生時代の開始年代に関して,これまでの年代観を約500年さかのぽらせる問題提起があり,その検証作業が進んでいる。研究対象が,そのような先史時代にとどまらず,歴史時代に対して大きく前進した。すなわち,奈良時代を中心とした都城と地方官衙や,奈良・平安時代における木簡の相次ぐ発見は,律令国家の形成と変容の過程の解明に資するところが大きい。また,鎌倉〜戦国時代の中世考古学に係わる大規模な学際・国際的な総合研究の展開が注目される。とくに,江戸〜昭和時代の近世・近現代まで研究の視野が大きく広がったことは特徴的である。たとえば,江戸城下町で大きく成果を上げたことは,全国各地の城下町の調査に刺激を与え,そして個別分野についての研究会活動を活発にさせた.さらに,太平洋戦争終結時までの昭和時代に関して,太平洋戦争に係わる戦争遺跡あるいは戦跡の調査・研究の進展も特筆される。

 私たちの考古学研究を取り巻く,研究環境をはじめとする諸問題についても振り返ってみた.まずは,現在行われている発掘調査は各種の開発工事に伴う,いわゆる緊急調査がほとんどで,90%を超えている.そこで,学術研究目的の発掘調査を増大させるためにも,科学研究費の獲得に努めねばならない。そのほか,埋蔵文化財の保護や国際交流の推進等々の問題が山積している。


埋蔵文化財保護をめぐる諸問題

埋蔵文化財保護対策委員会
  • I.埋蔵文化財保護対策委員会の活動と役割
  • II.埋蔵文化財保護の現状と課題
  • III.埋蔵文化財保護の展望−まとめにかえて−

−論文要旨−

 日本考古学協会では,埋蔵文化財保護対策委員会(埋文委)の母体となった埋蔵文化財保護対策小委員会が,1962年に設置されて以来,約半世紀の長きにわたり遺跡の保護・保存・活用等に関する諸問題に取り組んできた.この間,日本における埋蔵文化財を取り巻く社会的状況が目まぐるしく変化する中で,これまで,三次にわたり『埋蔵文化財白書』を刊行し,埋蔵文化財保護の軌跡を集約してきたところである。

 本稿は,埋文委の活動を機軸とした埋蔵文化財保護に関する基本的かつ重要な諸課題を抽出するなかで,この数年間に委員会が取り組み,埋文委全国委員からの報告ならびに月例幹事会等を通じて,議論を重ねてきた事柄を包括的にまとめた成果である。

 内容としては,埋蔵文化財の調査体制と保護行政,調査組織・機関等のあり方,出土遺物の維持・管理,自然災害と埋蔵文化財,地域博物館の役割と史跡整備,地域史と埋蔵文化財等に関わる問題と多岐に亘っている。どれもが,埋蔵文化財保護の将来を考える上で,看過できない重要な問題を孕んでおり,委員会としては,現時点における埋蔵文化財保護についての認識と方向性を提示したつもりである。

 これらの問題に関しては,個別の所論に凝縮されているが,委員会の基本姿勢としては,国民共有の財産である埋蔵文化財の保護については,その根幹となる行政の責任と保護体制の整備・強化が何よりも重要であると確信し,その基盤の上に立って,新たなr埋蔵文化財保護理念」の構築をめざしていくぺきと考える。

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日本考古学が置かれている研究環境の現状

研究環境検討委員会
  • I.考古学研究者の研究環境
  • II.博物館法の改正
  • III.民間調査機関の参入問題
  • IV.埋蔵文化財の発掘調査資格問題
  • V.日本考古学協会の研究環境改善への取り組み

−論文要旨−

 日本の考古学研究者はさまざまな研究環境に置かれているが,近年,その環境は一様に悪化してきている.そこで日本考古学協会は常置の研究環境検討委員会を設置し,考古学研究者の研究環境,博物館法改正,民間調査機関の参入問題,埋蔵文化財の発掘調査資格制度などについて,検討を重ねている。

 本協会会員の大部分を占める地方自治体に勤める埋蔵文化財担当専門職員の研究環境の現状をみると,平成の大合併にともなって調査対象面積が拡大したにもかかわらずそれにみあった人員増がなく,負担が増大している.しかも定年退職する専門職員の未補充や,任期制職員採用での対応が増え,行政の継続性への不安と弱体化の恐れが生じている。博物館においても,指定管理者制度の導入が進み,開館時問の短縮や学芸員の減員などもあって,生涯学習の拠点機関から経済効率優先の場へと,性格が変質してきている.減少する職員は任期制職員や民間調査機関への委託によって代替している。そしてこうした先行きの見えない状況が考古学を専攻しようとする学生を減少させ,考古学自体の継続性に赤信号をともしている.登録博物館制度や学芸員制度の大幅な改編をめざした博物館法改正は小幅なものになったが,ここにも博物館の充実という方針の影に経済効率優先の鎧がみえてくる。その顕著な例が民間調査機関の参入問題である。発掘調査技術を十分にもつ民間調査機関であっても,その遺跡のもつ課題・価値を引き出せる情報をもたないままに参入していることが多い。それは,かけがえのない先人の残した歴史遺産を発掘し,過去の人々が残した歴史を再生するという発掘調査の性格を,開発のための事前処理に変えていることにほかならない。その 機関が発行する資格制度もまた大いに問題がある。

 しかしながら研究環境の改善は,社会の動向や時の政策と連動していて,本協会のみの努力では解決できない側面が強い.だからこそ現状を把握し,適切に対処しない限り,研究環境の改善は望めない。そこで最後に,一般社団法人化を迎えるにあたって,日本考古学協会自身で行うことのできる環境改善への努力についてまとめている。

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日本考古学と国際交流 −過去・現在・未来−

国際交流委員会
  1. はじめに
  2. 東アジアにおける国際交流一韓国・北朝鮮
  3. 東アジアにおける国際交流一中国
  4. 東南アジアにおける国際交流
  5. 西アジアにおける国際交流
  6. ヨーロッパおよび関連の国際組織
  7. アメリカにおける国際交流
  8. 世界考古学会議
  9. おわりに

−論文要旨−

 本稿は,日本考古学協会のこれからの国際交流活動のあり方を考えるために,日本考古学協会による過去の活動や日本考古学研究成果の発信状況,世界の考古学界の動向と日本人研究者のかかわりをふりかえり,そこからみえてくる問題や課題を地域ごとにまとめたものである。日本人研究者による海外調査は地域によっては戦前からみられる。戦後は多くの地域で日本人研究者の海外調査がおこなわれたが,これは日本考古学協会としてではなかった。しかし,その活動の多くは日本考古学協会の会員がおこなってきた。日本考古学協会による主体的な国際交流活動は,1997年からであった.1999年に国際交流小委員会が発足し,2007年に常置委員会の国際交流委員会となった.ここに組織として国際交流事業を検討し実行する場ができた。委員会は2005年度から英文コンテンツを立ち上げ,英文で日本考古学の発掘成果の一部を海外発信するようになり,また2007年度から外国考古学成果を市民に還元することを目的に関連学会と共催で公開講演会を開催した.

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社会科・歴史教科書を考える −小学校の教科書から消えた旧石器・縄文時代の記述−

社会科・歴史教科書等検討委員会
  1. 社会科・歴史教科書等検討委員会の設置
  2. 小学校の教科書から消えた旧石器・縄文時代の記述と復活への声明
  3. 歴史学と考古学
  4. 新学習指導要領に対する要望と委員会の今後の活動

−論文要旨−

 小学生が授業で使用している教科書は,「教科書検定制度」によって,文部科学省制定の『学習指導要領』に基づいて編纂されている。歴史学習は小学校第6学年から始まるが,現行の社会科の教科書は,1998年に改訂された『小学校学習指導要領』において,その内容を弥生時代から取り扱うことが具体的に明示されたため,本文から旧石器・縄文時代の記述が削除されてしまった。

 この問題に対し,日本考古学協会は学習指導要領の改訂を求める声明を文科省に提出した。しかし,2008年に改訂された新しい学習指導要領では,縄文時代の記述が復活する改善が見られたが,旧石器時代の扱いや歴史学習の素材に対する地域を基本とした視点は希薄なままである。

 新しい学習指導要領に基づく教科書の改訂は3年後である。日本考古学協会は常置委員会として「社会科・歴史教科書等検討委員会」を設置し,教科書の分析を通して,歴史教育における考古学の果たす役割について検討を重ね,考古学の成果が適切に活用されるよう広く提言していく考えである。

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