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機関誌『日本考古学』第35号

2013年5月20日発行  151p ISSN 1340-8488  ISBN 978-4-642-09331-6
論文 李 昌熙 summary 環朝鮮海峡における土器の実年代からみた鉄器の出現年代 ―日本列島における鉄器の上限年代を考える上で― pp.1--26
論文 鹿又喜隆 summary 北海道・本州における細石刃石器群の石器使用行動の共通性とその含意 ―北海道暁遺跡第1地点における石器機能研究を中心に― pp.27--45
論文 岡安 光彦 summary 古代長弓の系譜 pp.47--58
論文 菅原 祥夫 summary 陸奥南部の国造域における大化前後の在地社会変化と歴史的意義 pp.59--80
研究ノート 春成 秀爾 summary 黒曜石・黒耀石と黒曜岩 pp.81--95
研究ノート 遠藤 英子 summary 栽培植物からみた近江盆地における農耕開始期の様相 ―滋賀県安土町上出A遺跡・草津市烏丸崎遺跡のレプリカ法調査から― pp.97--112
研究ノート 五十嵐 彰 summary 遺構と遺物の狭間 ―考古二項定理批判― pp.113--125
遺跡報告 本村 充保 summary 中西遺跡第18次調査成果報告 pp.127--136
書評 神庭 滋 summary 泉 武著『シマに生きる−沖縄の民俗社会と世界観−』 pp.137--141
研究動向 若林 邦彦・魚津 知克・世界考古学会議京都誘致委員会事務局 summary 第8回世界考古学会議(WAC-8)京都開催について ―誘致活動を中心に― pp.143--148
論文

環朝鮮海峡における土器の実年代からみた鉄器の出現年代 ―日本列島における鉄器の上限年代を考える上で―

李 昌熙

−論文要旨−

 この論文は韓半島南部と日本列島西半部を中心とした地域において金属器の生産と流通が活発であった時期の実年代をAMSによる炭素14年代を用いて推定したものである。この時期の日常容器であった粘土帯土器の実年代を求め,土器と金属器の考古学的な出土様相に基づいて鉄器の出現および細形銅剣文化の成立年代を求めようとした。

 研究史の検討により粘土帯土器の紀元前300年上限説が学界の主流であることがわかるが,これは現在にも支持されつづけており,細形銅剣文化の成立年代と初期鉄器時代の開始年代とも連動している。一方では細形銅剣文化と円形粘土帯土器文化の成立を同調する見解を支持しない研究者もあり,木炭の炭素14年代を用いて粘土帯土器の出現時期をより古くみる雰囲気が形成されていた。研究史から現われた問題点を指摘しながら筆者が自ら調査を行い,採取・処理した試料を中心に炭素14年代測定を実施し,その結果に基づいて土器の年代を構築したが,その試料は約100点にのぼる。

 今回の考察で円形粘土帯土器は紀元前6世紀に出現した可能性が非常に高く,三角形粘土帯土器は紀元前300年前後に出現したことがわかった。鉄器は円形粘土帯土器の新しい段階に出現するため,その出現年代を紀元前4世紀とみることができるが,これは実際に鉄器と円形粘土帯土器が共伴した遺構の炭素14年代とも整合的であった。これにより紀元前4世紀前半?中頃である可能性を提示し,初期鉄器が出土した遺跡より確実に前段階に当たる初期の細形銅剣文化は紀元前5世紀までも遡る可能性が出てきた。このように推定された実年代は弥生土器との併行関係および炭素14年代とも整合的であり,考古学的な事実に基づいているため,その可能性が高いといえる。

 炭素14年代を用いた日韓共通の編年がはじめて構築されたのである。

 新しく構築した年代によると,現在の学界の一般的な時代区分とは合わないため,年代を調整して新しい修正案を提示した。鉄器の出現時期から初期鉄器時代と設定し,青銅器時代は円形粘土帯土器の古い段階と細形銅剣文化を含めることとした。これを青銅器時代後期と設定し,松菊里式を中期とする案を提示した。

キーワード

  • 対象時代:初期鉄器時代,弥生時代
  • 対象地域:韓半島南部,西日本
  • 研究対象:粘土帯土器,弥生土器,炭素14年代,実年代,青銅器,鉄器

pp.1--26


論文

北海道・本州における細石刃石器群の石器使用行動の共通性とその含意 ―北海道暁遺跡第1地点における石器機能研究を中心に―

鹿又喜隆

−論文要旨−

 本論は,およそ18,000〜16,000年前(calBP)に本州東北部以北に展開した細石刃石器群の石器機能に関する実践的研究である。この北方系細石刃石器群の研究は,日本人のルーツに関わる課題を担うことが認識されつつある。筆者は,本州の6遺跡を対象に機能研究を実施し,遺跡間での石器使用状況の違いを明らかにしてきた。本論では,その由来地と考えられる北海道の石器群の研究へと派生させ,@北海道でも本州同様に彫刻刀形石器で骨角器が製作されていたか,A本州への移住にあたって石器使用行動に変化は無かったか,という2つの課題を解決することを目的にした。

 分析対象とした帯広市暁遺跡では,既に山原敏朗らによる先行研究があるため,特に頁岩製彫刻刀形石器の機能の解明に焦点をしぼった。総数60点の使用痕分析の結果から,頁岩製の彫刻刀形石器の多くには,骨角を削る作業が推定された。使用痕の発達度から評価して,骨角器の製作のように長時間使用されたと考えられる。また,エンド・スクレイパーと一部の彫刻刀形石器が皮なめしに使用されている。このように暁遺跡は,その石器使用行動の内容から,石器消費の活発な遺跡として評価され,本州の荒屋遺跡や笹山原27遺跡で確認された石器使用行動のパターンに一致することが明らかになった。

 当時,北海道東部と北海道西部,そして本州東北部の自然環境(動植物相)は相違していたにもかかわらず,彼らは本州への移住にあたって,環境適応的に石器使用行動を変化させたのではなく,同様な石器使用行動を維持していたことを示す一つの事例である。また,そのような共通した石器使用行動を可能ならしめた技術体系が確立していたと考えられる。そのため,当石器群は広域に展開しながらも,石器製作技術や,石器組成に反映される道具の装備に変化が生じなかったのだろう。あるいは,北海道と本州東北部での狩猟対象獣などが共通しており,石器使用行動の根幹を変化させる必要がなかった可能性も一方で指摘できる。

キーワード

  • 対象時代 後期旧石器時代終末
  • 対象地域 北海道・本州
  • 研究対象 暁遺跡,彫刻刀形石器,石器使用痕分析

pp.27--45


論文

古代長弓の系譜

岡安 光彦

−論文要旨−

 和弓成立以前の古墳時代から平安時代にかけて,狩猟や戦闘用に使われたのは長弓か,それとも非長弓かという議論がある。もし後者が正しければ,日本の弓は一貫して上長下短の長弓であったという従来の通説は否定される。

 この問題をなるべく客観的に検討するため,国立民族学博物館に収蔵された550点の弓を対象に,長さと用途との関係を調べた。すると,祭祀用の短い非実用弓,中くらいの長さの狩猟弓,長大な戦闘弓という,三類型を設定できた。またアイヌのように戦闘に毒矢を使い,長大な戦闘弓を持たない民族,逆にパプア・ニューギニアのように,長大な戦闘弓を狩猟弓として兼用する地域のあることが分かった。

 出土品や正倉院の弓,文献に記録のある弓の長さを調べると,同様に短い弓,中くらいの長さの弓,長大な弓のグループに分類できた。短い弓は,祭祀遺物と共伴する頻度が高く,非実用弓と考えられる。長大な弓は,中世の弓との近縁関係から考えても戦闘弓と判断できる。これまでの通説に変更の必要はない。

 問題は中くらいの長さの弓の評価である。出土する地域が東北地方に偏り,アイヌの弓に近い長さであることから,蝦夷系の弓である可能性が高い。ただし関東以西の非長弓に関しては,狩猟・漁撈のための生活弓の可能性もある。

キーワード

  • 対象時代 古墳時代・古代
  • 対象地域 日本
  • 研究対象 弓,蝦夷の武装

pp.47--58


論文

陸奥南部の国造域における大化前後の在地社会変化と歴史的意義

菅原 祥夫

−論文要旨−

 小論は『国造本紀』による太平洋側北限の国造分布域である陸奥南部の浜・中通りを対象に,大化前後における在地社会変化とその歴史的意義を検討した。とくに,住民移配の痕跡である関東系土師器の存在に注目し,陸奥中部との関係解明を目指した。

 城柵の設置された陸奥中部の仙台〜栗原では,大化前後にまたがり,集落・墳墓・窯業生産の変化と,それに伴う関東系土師器の継続的存在が確認され,国造域の中通りは,城柵域南端である仙台と類似現象を共有する。具体的には,大化前代の6世紀後半に新たな集落形成が始まり,6世紀末〜7世紀初頭になると拠点集落に成長して,常陸南部〜下野東部系譜の鬼高系坏の保有,関東色の強い須恵器生産の再開がみられること,また,拠点集落を母胎にした小地域圏が,官衙・関連施設の設置単位となって9・10世紀まで連続していく過程が共通している。しかし,関東系土師器の存在は,ほぼ一貫して拠点集落の低い組成率でとどまっており,大化以後は系譜が異なることから,地理的に最も近い信夫北部の集落新事例を分析したところ,仙台との違いが小さくなった。さらに,信夫と仙台に挟まれた刈田・柴田の集落動向,移民集団が入手した東海産須恵器の波及状況を踏まえた結果,一連の在地社会変化に伴う住民移配は決して城柵域固有のものではないと,結論づけられた。これは同一郡郷名から導き出された文献史学側の指摘と合致しており,畿内政権が行った全国的な政策動向とも一連のものである。

 しかし,最後に在地社会は単純な関東色に塗りつぶされたわけではなく,伝統的な地域関係に裏打ちされた自立性を保持し続けたことを示し,多面的視点の評価が必要であることを強調した。

キーワード

  • 対象時代 大化前後
  • 対象地域 陸奥南部の浜・中通り
  • 研究対象 在地社会変化,関東系土師器

pp.59--80


研究ノート

黒曜石・黒耀石と黒曜岩

春成 秀爾

−論文要旨−

 欧米の学問体系を受け容れた明治時代,1878年に和田維四郎はObsidianの訳に「黒曜石」を採用した。1884年には小藤文次郎が鉱物学を創め,鉱物を石,火成岩・堆積岩・変成岩を岩と呼び分けることになり,地学では1935年頃から「黒曜岩」が岩石名となった。そして,1982年には,学術審議会の学術用語調査会は,「黒曜岩」を学術用語に制定した。

 考古学では明治時代,1886年頃から「黒曜石」を用いるようになった。ところが,大正時代,1921年頃から「黒耀石」を使う研究者が現れ,「黒曜石」と併用されたが,アジア・太平洋戦争後,1950年頃から「黒耀石」の使用が一般化した。しかし,1965年頃から再び「黒曜石」の使用が主流になり,1971年頃以降,「黒耀石」は一部の研究者だけが愛用する用語になった。「曜」は日のように光り輝くという意味であって,「黒曜岩」が普遍性をもつ学術用語である。

キーワード

  • 対象時代 旧石器・縄文時代
  • 対象地域 日本
  • 研究対象 黒曜石,黒耀石,黒曜岩,学術用語

pp.81--95


研究ノート

栽培植物からみた近江盆地における農耕開始期の様相 ―滋賀県安土町上出A遺跡・草津市烏丸崎遺跡のレプリカ法調査から―

遠藤 英子

−論文要旨−

 レプリカ法や土器の圧痕観察によって,滋賀県安土町の上出A遺跡,草津市烏丸崎遺跡の縄文時代晩期中葉から弥生時代前期資料の栽培植物利用を検討した。レプリカ法は,土器に観察される種実由来と推測される圧痕にシリコン樹脂を充填してレプリカを作製し,それを走査型電子顕微鏡(SEM)で観察,現生種実との形態的比較から同定を行う研究法で,土器編年の援用により種実の時期推定が可能であり,500倍程度の種実表面観察によって同定の確実性も高い。したがってこれまでの農耕開始期の議論に不足していた栽培植物そのものの存在を提示できる研究法と言える。

 分析の結果,上出A遺跡では長原式に並行する突帯文滋賀V期1)の土器からイネとアワ・キビがセットで同定され,弥生時代前期(中)段階の遠賀川系土器を主体とする烏丸崎遺跡では,雑穀は搬入品と思われる浮線文浅鉢からキビが同定されたに過ぎず,あとはすべてイネであった。すでにレプリカ法調査で,馬見塚式土器からも(遠藤2011),離山式〜氷T式(古)からも(遠藤・高瀬2011)アワとキビの同定を報告しており,この時期近畿地方から伊勢湾沿岸,中部高地にかけて雑穀栽培は広く導入されていた可能性が高い。時期的にみると,上出A遺跡では土器棺資料を中心に滋賀里Vb式以降の資料の圧痕観察を行ったが,栽培穀物が同定されたのは滋賀V期(長原式並行)以降の資料からである。また栽培穀物の内容からは,上出A遺跡ではイネと雑穀が組み合わさったパッケージとしての導入が看取されたが,烏丸崎遺跡では雑穀が欠落してイネに特化している傾向が認められ,2遺跡での圧痕から同定される栽培穀物の組み合わせは異なっていた。したがって,近江盆地では縄文時代晩期末から弥生時代前期,穀物栽培の様相に二つのタイプがあったと予測される。

キーワード

  • 対象時代 縄文晩期〜弥生前期
  • 対象地域 近江盆地
  • 研究対象 栽培穀物,レプリカ法,農耕開始期

pp.97--112


研究ノート

遺構と遺物の狭間 ―考古二項定理批判―

五十嵐 彰

−論文要旨−

 遺構/遺物の定義として不動産/動産という性格規定が与えられ,遺構+遺物=遺跡という考古学的な二項定理が一般的な了解事項として受容されている。こうした二項定理を維持するために,構造物を構成する部材について,製作・使用の状態を保っていれば遺構の一部とし,遊離した状態であれば遺物とする「状態変容論」が提起されている。従来の遺物定義は,使用時の動産的性格をもって規定因としており「状態変容論」とは相容れない。「状態変容論」に基づけば,遺物定義の変更は避けられない。部材についても,地下部材は使用時の状態を保ち易く,地上部材は保ち難い。「状態変容論」では構造物全体における部材の位置によって遺構か遺物という区分が導かれている。自然物を利用した自然部材は加工部材と異なり,使用状態を離れ使用痕跡を留めていなければ,遺物認定そのものが困難となる。構造物の製作段階は,部材の使用段階である。過去に関する全体的な概念(構造物・道具)と現在に残存した部分的な考古資料(遺構・部材・遺物)とは,明確に区別される必要がある。考古資料を区分する原則は,現存している部分的な状態ではなく,それらが本来構成していた過去の全体概念を基準とすべきであり,不動産/動産規程は構造物/道具にこそ適用されるべきである。 構造物/道具に対する場/ものという相互の関係性に注目しなければならない。すなわち構造物を構成している<もの>資料が,従来の遺構/遺物の狭間に位置する部材である。なぜ部材を巡る問題が表面化することなく,未だに二項定理が流通しているのか? それは私たちの関心が先史や古代に偏り,部材資料の多くがより新しい時代に顕著となるためである。考古資料論として,あらゆる物質文化を対象とした<場〜もの>に関する議論が必要である。

キーワード

  • 対象時代 あらゆる時代
  • 対象地域 あらゆる地域
  • 研究対象 遺構/遺物,状態変容論,構造物/道具

pp.113--125


遺跡報告

中西遺跡第18次調査成果報告

本村 充保

?要旨?

 本稿は奈良県御所市で実施した中西遺跡第18次調査の発掘調査報告である。中西遺跡は,弥生時代から古墳時代を中心時期とする集落遺跡として周知されてきた。奈良県立橿原考古学研究所では,2009年度以降,京奈和自動車道御所道路建設に伴う事前調査として,継続的に中西遺跡の発掘調査を実施してきた。 2012年度現在で調査次数は20次を数え,今後も調査が予定されている。これらの一連の調査の結果,中西遺跡の最大の特徴は,弥生時代前期に遡る水田遺構が良好な状態で遺存するという点にあることが明らかになってきた。中西遺跡の北側に隣接する秋津遺跡で確認された水田遺構を含めると,現時点で検出された水田面積は,25,000u以上を測り,弥生時代前期の水田遺構の検出面積としては,日本最大の耕地面積を測る規模であることが明らかとなった。さらに,中西遺跡の水田域の南端には森林が広がることも確認されており,「田園と里山」という日本の原風景ともいうべき景観が広がっていたことも明らかとなった。

 今回報告する第18次調査では調査区のほぼ全域に広がる小区画水田を検出し,検出面積は約10,000uを測る。小区画水田に伴う遺構としては,大畦畔・溝・島状高まりなどがある。特に島状高まりでは,ヤナギの木の根が放射状に広がる状況を検出しており,島状高まりの性格を考えるうえで,重要な手がかりを得ることができたと考えられる。遺物は,土器が少量と石庖丁が1点出土したのみであるため,水田の形成時期を特定することは難しい。しかし周辺の調査成果と水田面を覆う洪水砂に弥生時代前期末以降の遺物が含まれることから,概ね弥生時代前期末に帰属するものと考えられる。

キーワード

  • 対象時代 弥生時代
  • 対象地域 奈良盆地南西部
  • 研究対象 小区画水田,島状高まり

pp.127--136


書評

泉 武著『シマに生きる−沖縄の民俗社会と世界観−』

神庭 滋

−要旨−

 著者である泉武氏は,長らく奈良県天理市の埋蔵文化財保護行政に携わり,天理市及び奈良県下の市町村におけるその黎明期において,多大な貢献をされてこられた。主な研究対象は古墳であり,その方面における論述も多い。多数の三角縁神獣鏡を出土したことで知られる天理市黒塚古墳の調査をはじめ,豊富な発掘調査経験に裏打ちされた鋭い洞察は,奈良県下の考古学研究者の誰もが認めるところであろう。

 その著者がこのたび上梓された本書は,沖縄の民俗について書かれたもので,奉職していた天理市を離れ,沖縄に移住し,民俗学的研究を実践して得た成果の一つである。

 本書において,注目すべきは掲げられた研究の目的にある。それは,古墳時代における「人々の墓に対する考え方,死後の世界観はどのようなものであったのかを認識」することにあるという。

pp.137--141


第8回世界考古学会議(WAC-8)京都開催について ―誘致活動を中心に―

若林 邦彦・魚津 知克・世界考古学会議京都誘致委員会事務局

−要旨−

 2013年1月14〜18日にヨルダンで行われた第7回世界考古学会議総会(WAC-7)において,次回,WAC-8(第8回世界考古学会議総会)の開催地が京都となることが決定された。ここにいたるまでに,誘致委員会と事務局は1年半をかけて誘致準備をすすめ,京都開催意義・利点・期間・ツアー内容・予算案等開催計画をまとめた誘致文書を作成し,それをもとに開催地決定にのぞんだ。開催候補地には,京都のほかにカルガリー(カナダ),プラハ(チェコ),ナイロビ(ケニア)が名乗りをあげたが,WAC-7代表会議でのプレゼンテーションと投票を経て,京都に開催地が決定されたものである。今後は,関係学会との連携や会計システムの確立,また,主要テーマの決定やシンポジウムなど総会内容の準備などを急速に進めてゆく必要がある。ここでは,以上について報告するとともに,考古学協会会員諸氏の忌憚なきアドバイスとご助力をお願いしたい。

キーワード

  • 対象時代 京都
  • 対象地域
  • 研究対象 世界考古学会議 第8回世界考古学会議総会

pp.143--148