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東日本大震災対策特別委員会報告

 東日本大震災特別委員会(以下、震災委とする)の活動についてはこれまでに、会報174及び176、178、181、184において報告を行った。また、第81回総会では会報184掲載後の活動も含めて報告を行ったので、今回はそれ以降の2015年度の活動について報告する。

1 第81回総会研究発表−5月23日−

 下記セッションを開催。

 セッション7 東日本大震災対策特別委員会「東日本大震災から5年目 −復興調査が抱える諸課題と大規模災害と考古学について考える−」

  • 渋谷孝雄「趣旨説明」
  • 八木光則「岩手県内の復興調査の見通し」
  • 倉敏明「宮城県内の復興調査の見通し」
  • 玉川一郎「福島県内の復興調査の見通し」
  • 飯島義雄「文化財レスキューと日本考古学協会」
  • 菊地芳朗「東日本大震災と考古学−その課題と可能性−」
  • 討  論(司会:石川日出志・佐藤宏之)

    2 委員会の開催状況

    第1回委員会

     2015年5月23日(土)午後0時45分〜午後2時 帝京大学12号館1173教室で開催。
     出席者は渋谷孝雄(委員長)・近藤英夫(副委員長)・飯島義雄・石川日出志・河野一也・菊地芳朗・佐藤宏之・玉川一郎・倉敏明・八木光則・渡邊泰伸の11名である。

    第2回委員会

     2015年7月31日(金)午後3時〜午後6時 協会事務所で開催。
     出席者は渋谷孝雄(委員長)・飯島義雄・石川日出志・河野一也・菊地芳朗・佐藤宏之・玉川一郎・倉敏明・八木光則・渡邊泰伸の10名である。

    第3回委員会

     2015年10月17日(土)午前10時〜午後1時 奈良大学C303教室で開催。
     出席者は渋谷孝雄(委員長)・近藤英夫(副委員長)・飯島義雄・河野一也・菊地芳朗・佐藤宏之・玉川一郎・富山直人・八木光則・渡邊泰伸の10名である。

    第4回委員会

     2016年1月31日(日)午前9時〜午前11時45分 サンライフ南相馬研修室で開催。
     出席者は渋谷孝雄(委員長)・飯島義雄・河野一也・菊地芳朗・佐藤宏之・倉敏明・玉川一郎・富山直人・八木光則・渡邊泰伸の10名とオブザーバーとしての倉洋彰会長である。

    3 被災地における復興調査の現状報告

     委員会での協議の前段として、被災3県から選出された委員によって、毎回現状報告がなされたが、2016年1月段階での被災3県の現状及び来年度の事業計画と、問題点はつぎのとおりである。

    (1)岩手県(八木委員)

    【発掘調査報告書作成計画】

     久慈市では2015年度に竪穴住居跡から八稜鏡出土が出土して話題となった総合防災公園整備にかかる調査を継続する予定。野田村では2015年度で派遣職員によって進められてきた調査の整理が年度内に終了し、2016年度の事業はない見込み。宮古市では2015年度で復興調査は終了したが、通常の発掘調査が増加し、個人住宅や大形太陽光発電などの協議も増加する見込み。報告書は25冊を抱え、2020年度までの刊行計画を作成した。造成工事等が終了しているものは201617年度刊行を求められている。山田町も2015年度で復興調査は終了した。大槌町では2015年度に高台関連遺跡2遺跡2,139uを調査し、コンテナ225箱の遺物が出土。この他、高台関連の大面積を岩手県埋蔵文化財センターに委託しており、この報告書は2017年度発刊予定。高台関連の現地調査は2015年度で終了するが、2016年度には大槌代官所跡(一部)発掘調査と罹災者の個人住宅に伴う試掘調査が計画されている他、これまでの調査報告書を刊行予定。釜石市では、2015年度に防災道路等で市職員が各現場に専従しながら「日本文化財保護協会」、へ委託した調査が2件あったが、2016年度の調査はない見込み。

     大船渡市では2015年度に復興関連3遺跡、個人住宅1遺跡を任期付き職員2名と派遣職員(盛岡市)で同時並行の調査を実施したが、任期付き職員の現場はすぐに整理できる環境になく整理作業に大きな課題が残っている。2016年度は復興関係の発掘調査件数は減少するが、個人住宅や市道などの調査を予定。これまでに蓄積した報告書の作成が大きな課題となっている。接合、復元、選別、台帳作成等の基本的整理が滞っており委託する予定の実測図化までの道のりは遠い。

     陸前高田市では2015年度に高台移転関連の2遺跡で合計34,775uの調査を県埋蔵文化財センターヘ委託し、また、市教委は3遺跡1,240uを調査し復興関連調査はほぼ終了した。2016年度以降にアクセス道路の調査が予定されているが、個人の住宅再建や復興以外の発掘調査については不透明。今後、2020年度までに20遺跡以上10冊ほどの報告書を刊行予定だが、最終的な編集や事実記載総括までの執筆が可能な人材確保が最大の課題である。

     岩手県埋蔵文化財センターでは2015年度に陸前高田大槌山田宮古の各市町で高台関連と県北部の三陸自動車道関連で34遺跡を調査した。予想より小規模の遺跡が多く比較的順調に進んだが、個々の調査員への負担は相変わらず大きい。2016年度は三陸自動車道宮古西道路盛岡宮古道路関連の調査が予定されている。

    【調査体制と派遣職員】

     岩手県教育委員会には2015年度は8名の職員が派遣され、市町村への支援を継続してきたが、2016年度は派遣職員4名とすることで調整中。これまでと同様、市町村への支援を継続する予定。

     宮古市は2015年度に市職員3名(現場専従)4市(名古屋堺小田原高松市、実質2.5人)からの派遣の体制で調査をしてきたが、2016年度は新たに正職員1名、非常勤職員1名を採用予定にしており、これに加え、名古屋市からの派遣を協議中。2015年度に1名が派遣されていた山田町、2名の直接派遣と県教委からの派遣のあった大槌町、太宰府市から1名の短期派遣のあった釜石市、盛岡市から1名の派遣があった大船渡市の各市町への2016年度の直接派遣は予定されていない。このことから、山田町では町教委2名、大槌町は任期付きの町教委3名、釜石市は市職員2名、大船渡市は一般文化財担当となっている市職員と任期付き職員2名で、陸前高田市は一般文化財を含めて正職員1名、事務担当の派遣職員1名、任期付き職員3名、嘱託4名の体制となる。

    【今後の課題】

     復興調査は2015年度でほぼ一段落したが、個人住宅やメガソーラーなど通常の調査が戻ってきている。市町村への直接派遣は今年度でほぼ終了見込みだが、県教委への派遣は残り、間接的に市町村を支援する体制となる。各市町村は自前の体制で復興調査の整理作業を抱え、復興交付金での対応が2020年度まで延長されたとはいえ、通常業務も増加しつつあり、実際の見通しはかなり苦しいといわざるを得ない。また、沿岸市町村での収蔵施設の整備も大きな課題である。復興交付金での対応も可能であったが、それを活用した市町村はなかった。大槌町では用地を確保する見込みができたが、それ以外の市町村では、全く進んでいない。

    (2)宮城県(倉委員)

    【発掘調査報告書作成計画】

     防災集団移転促進事業(高台移転)ほ場整備事業、漁業集落整備事業に関する調査は、2014年度までに266遺跡のうち130遺跡の試掘確認調査を実施。2015年度は市町が主体となった5遺跡の調査が行われた。

     町主体で県教委が協力した山元町合戦原遺跡では、201415年度の調査で一部を残しほぼ終了した。線刻画が確認された38号横穴墓の保存協議中であるが、現地保存は難しい模様。市主体で県教委が協力した石巻市羽黒下遺跡の調査は2015年11月に終了した。縄文時代前期〜晩期の集落跡で、包含層から多量の遺物が出土しており、今後はおよそ1,000箱の遺物整理と報告書作成を行うことになる。県が主体となる三陸自動車道の歌津IC以北の小屋館城跡(気仙沼市)など4遺跡の調査は、土地買収が遅れており、本格的な調査は、2016年度以降にずれ込む見込み。この他、2016年度以降は県道改良工事関係では気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、山元町で、ほ場整備、漁業集落整備事業等で気仙沼市、石巻市、山元町などで調査が予定されている。この中で、市教委が調査主体となり、県が協力する多賀城市の山王遺跡のほ場整備事業は計画面積が2,500,000uと大規模で、この中には一部多賀城の城下が含まれている。2015年から19年度にわたる調査が計画されている。試掘確認調査を経て、本調査は水路部分が中心となる見込みで、現在県が試掘調査を実施し、市教委が一部確認調査を実施している。調査員は市3人、県3〜5人が協力体制を組む予定。

     個人住宅、零細中小企業の移転に伴う調査は2015、2016年度と同等程度の調査件数が入ると見込まれている。

    【調査体制と派遣職員】

     2015年度の調査体制は県教委が保護調整4名、発掘調査18名、東北歴史博物館と多賀城研究所から3名、自治法派遣12名の合計37名体制であり、沿岸市町は仙台市と多賀城市を除き1〜3名の職員体制となり、南三陸町と女川町は専門職員が不在で、沿岸市町には文化庁と総務省ルートで併せて上半期で12名、下半期で10名が派遣された。内訳は気仙沼市2名、石巻市2名、名取市1名、岩沼市1名、山元町4名である。この他、女川町に県教委の職員1名が派遣され、東松島市には、県総務部採用の任期付き職員1名が派遣され、南三陸町の新井田館跡の報告書作成は県教委が担当し、大崎市から県教委に1名の間接支援があった。県教委は2016年度にも自治法派遣を依頼しているが、派遣数は文化庁ルートで5人と縮小する見込みであり、市町村への直接派遣は難しいとのことである。この数字に市町村からの要望人数が反映されているかは不透明である。

     宮城県としては復興事業への調査支援体制について内陸市町から沿岸市町ヘの支援体制の強化を図るとしているが2015年度は間接支援1件のみであり今のところ有効な手段とはなっていない。

    【今後の課題】

     2015年度までに各種復興事業に係る大規模な調査は、ピークがすぎたと考えられているが、三陸沿岸道路関係の調査で、これまでも課題とされていた気仙沼地域の残り4遺跡の用地買収が進まず、調査に着手できないままとなっている。ほ場整備事業や県道改良工事に伴う調査は、2016年度以降も調査が計画されており、調査体制を今後も継続できるかが課題となっている。

     宮城県としては、復興事業への調査支援体制について、内陸市町から沿岸市町ヘの支援体制の強化のため「オール宮城」と銘を打ったが、これを有効な手段とするような手だてが必要である。

     市町村主体で行われた高台移転関係の大規模遺跡の調査では、遺物整理と報告書作成が大きな課題となっている。県が提案した報告書作成の簡略化についてはその内容に疑問を感じている市町担当者が複数いる。発掘調査の終了は報告書の刊行が必須であり阪神淡路の復興調査で報告書が未刊行となっている二の舞を踏まないという県教委の強い危機感があると考えられるが、その前に、市町への人的支援を確実に継続し、なおかつ積極的に民間委託を行う等の方法を検討すべきであろう。

    (3)福島県(玉川委員)

    【発掘調査報告書作成計画】

     2015年度で新地町相馬市いわき市は交付金事業の埋文調査は終了し、通常の埋文保護体制に戻った。個人住宅は横ばいか減少傾向にあり、新地町では民間土取り計画あるが今のところ進展はない。

     南相馬市鹿島区にある南海老南町遺跡(植物工場)では6,500uの本調査が2016年3月までの計画で進められており、中世の柱穴多数が検出されている。ほ場整備の本調査の残り部分があった小高区中沖遺跡は12月に一部調査したが、4〜5月に追加調査を行う予定。小高区を含めて民間の土取りの表面試掘調査が南相馬市の中心になっているが、本調査は協議中である。また、今後数十haの表面調査が必要である。双葉郡の浪江町大熊町楢葉町川内村広野町で防災集団移転、防災用道路、メガソーラー、コンパクトタウン、スマートインター、作業員宿舎建設などの表面試掘調査を、県が支援して実施した。浪江町の防災道路で大平山地区の15基前後の横穴墓が路線にかかり、2016年度に本調査を実施する予定であり、それに備えて専門職の採用を含めた体制整備を協議している。双葉町大熊町に設置する中間貯蔵施設は、用地の買収が地権者20数名しかまとまらないが、2016年度に進展することもあり得るとみられている。いわき市の財団が本調査した楢葉町駅東側開発にかかる縄文中期〜晩期の高橋遺跡の4,000uの発掘調査は、12月で終了した。

     県教委の2015年度の試掘は、ほ場整備土取り場海岸防災林事業など順調に進んでいるが、これは、2016年3月まで継続される。

     財団が本調査している南相馬市金沢地区の土取り場の中谷地遺跡では6,000uの調査が行われており、この調査は2月10日で終了する予定。8世紀中頃の箱形炉5基が発見されている。同じく財団が本調査している県道にかかる南相馬市五畝田地区の500uと楢葉町南台地区の3,800uの発掘調査は2015年12月で終了した。また、同じく財団が調査している福島相馬道路のうち相馬〜霊山区間は一部を残して本調査が終了した。霊山〜福島区間は試掘が急速に進み、2016年度から本調査に入れる可能性が高い。

    【調査体制と派遣職員】

     2014年度に設置された復興事業担当の南相馬駐在の職員は2015年度には副課長1名、教員1名、財団からの出向2名、他県からの派遣職員4名の8名体制となり、国県事業の110万uを対象とした試掘調査を実施。また、他財団からの派遣3名を含む33名の調査体制がある財団には東北中央道の試掘や発掘、土取り場や県道整備などの合わせて94,700uの調査が委託された。

     被災市町村では新地町で1名が新規採用となり、相馬市は昨年同様専門職と再任用専門職の2名体制で、南相馬市では課長1名、専門職4名、事務職2名に山梨県からの直接派遣1名、県に派遣された職員1名が通年体制で調査にあたった。浪江町では嘱託に応募がなく県が支援を行った。双葉町では兼務の専門職が担当するが、復興計画がない。大熊町には2015年度から1名の専門職が配置され、県の支援を得て東電給食センターの試掘調査が行われた。富岡町では他部署で文化財を兼務している状況に変化はない。コンパクトタウン等の保存協議が始まったが、試掘等は2017年度以降となる見込み。楢葉町は文化財担当として専門職が復帰したが、兼務のため本調査はいわき市の財団に委託した。広野町では専門職1名を採用したが、県の支援も得て試掘を行った。いわき市は市教委に財団から2名が派遣され、市の財団は職員5名と嘱託6名の体制で試掘を実施している。市内の復興調査は報告書の刊行まですべて終了した。

    【今後の課題】

     県が対応するほ場整備は、盛り土での本調査回避を基本としているが、南相馬市鹿島区の真野川流域では広い要保存範囲が確認されている。掘らない協議が続けられるかが課題である。双葉郡の復興事業が本格化するので、郡内町村の調査体制に加えて、県の支援体制の強化が必要になる。県はこの点を踏まえて、2016年度も文化庁ルートの他県からの派遣を要望することとしているが、要望通り実現できるか課題となる。南相馬市は復興交付金事業で本調査した遺跡の報告書刊行と、民間による土取り事業への対応があり、厳しい状況が続く。2016年度も1名の県からの支援を要望している。中間貯蔵施設は用地買収が滞っているが、2016年度から急速に進むことも想定され、これに対応した調査体制(特に県教委)を検討する必要がある。

    4 委員会での協議結果

    (1)2015年度の活動方針の決定

     第1回委員会において委員会の開催は4回(5月23日(協会総会時)7月31日(協会事務所)10月17日(大会時奈良大学)1月31日(福島報告会会場))とする。復興調査に伴う発掘調査成果報告会は2016年1月30日に宮城県で、同31日に福島県で開催することを決定した。

     報告書作成のために5年から6年に特別委員会を延長させることが理事会で承認された。しかし、報告書作成と関連予算のみとなるので、2016年度はこれまでのような委員会活動はない。したがって、2016年5月までが実質的な活動期間となることが了承された。

    (2)文化遺産防災ネットワーク推進会議への参画

     第1回委員会で参画を提案し、7月理事会の承認を得て参画申請文を送付した。震災委がある限りは震災委が担当とし、委員会解散後は担当理事に任せることとした。11月5日に開催された推進会議有識者会議に2名の委員が参加し、2016年3月11日に開催される会議にも2名の委員が参加することとした。

    (3)報告会の持ち方

     第1回委員会で2015年度事業として実施が決定した復興調査に伴う成果報告会について、7月の第2回及び10月の第3回委員会で実施会場と形態及びテーマ等について協議を行った。第1回委員会で今年度は宮城県と福島県で開催することとしていたが、第3回委員会までに宮城県名取市文化会館と福島県南相馬市サンライフ南相馬を会場とし、下記のように実施することを決定した。協会主催で関係自治体や各県考古学会等に後援を求めることとした。

    宮城県テーマ 「宮城県における復興調査の成果」
    日 時 2016年1月30日(土)13:30〜16:30
    福島県テーマ 「復興調査でわかった福島県浜通りの歴史と今後の課題」
    日 時 2016年1月31日(日)13:00〜16:45

     第3回委員会後に報告者や報告題について電子メール等で検討を続け、11月初旬までに報告会の構成を決定し、会報186に掲載することとした。引き続き報告者の具体的な人選を行い、12月中旬までにその開催要項を決定した。

    (4)日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会報告書について

     2015年5月第1回委員会で全体をV部構成とし、仮題ながら第T部「日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会活動報告」、第U部「復興調査への対応と調査成果」、第V部「総括と今後の課題」とすることとし、7月までに構成と分担を詰めることとした。第2回委員会でその案が提出され検討を行い、全体構成を以下のように決定した。

    〈目 次〉

    • はじめに
    • 第T部 特別委員会報告
    •  第1章 特別委員会設置の趣旨と経緯/第2章 会員の被災状況と対応/第3章 特別委員会の活動/第4章 復興調査への対応と調査の成果
    • 第U部 学会博物館の活動と埋文行政の取り組み
    •  第5章 文化財レスキューの取り組み/第6章 文化庁の諸施策/第7章 マスコミ報道と復興調査/第8章 震災に関する研究普及活動
    • 第V部 総括と提言
    •  第9章 特別委員会活動の総括/第10章 今後への提言
    • 英文サマリー

    (5)アンケート調査の実施

     実質的な委員会活動は2016年5月までとなり、被災3県の復興調査の終息を見届けることができない中で報告書をまとめることとなった。このため、被災地の市町村教育委員会と自治法派遣で被災地での発掘調査にあたった方々を対象として、復興調査を総括し、その意義や成果を改めて確認するとともに、今後の課題を整理するためのアンケート調査を実施することとした。第3回委員会でアンケート項目について協議し、第4回委員会で項目の整理を行い、3月上旬までに文書で依頼し、2015年度末の段階での回答をお願いすることとした。

     2016年5月の最後の委員会までにその集約と評価を行い、報告書作成に資することとした。

    (6)第82回総会でのセッションについて

     電子メールで検討後、第4回委員会で2016年5月29日の総会時の特別委員会セッションをつぎのとおり開催することとなった。

    セッション8 東日本大震災対策特別委員会「東日本大震災対策特別委員会の5年間の活動 −復興調査支援の取組と調査成果の還元、及び残された課題−」

    1. 10時00分〜10時20分 渋谷孝雄「趣旨説明」
    2. 10時20分〜10時40分 八木光則「岩手県内の復興調査の成果と課題」
    3. 10時40分〜11時00分 倉敏明「宮城県内の復興調査の成果と課題」
    4. 11時00分〜11時20分 玉川一郎「福島県内の復興調査の成果と課題」
    5. 11時20分〜11時40分 菊地芳朗「福島第一原発事故被災地域の文化財保護対策の課題」
    6. 11時40分〜12時00分 石川日出志「5年間の活動から見た今後への提言」
    7. 12時00分〜12時30分 討  論(司会:佐藤宏之)

    (7)文化庁面談

     第4回委員会で、2月下旬から3月上旬に委員会としては最後となる文化庁記念物課と面談を行うことで日程調整に入ることとした。

    5 東日本大震災復興事業に伴う発掘調査の成果報告会について

     2016年1月30日(土)に宮城県名取市の名取市文化会館を会場として、また翌31日(日)に福島県南相馬市のサンライフ南相馬を会場として開催した。テーマは名取会場が「宮城県における復興調査の成果」、南相馬会場は「復興調査でわかった福島県浜通りの歴史と今後の課題」、で、宮城県教育委員会、宮城県考古学会、福島県教育委員会、南相馬市教育委員会(公財)福島県文化振興財団、福島県考古学会から後援をいただいた。そのプログラムはつぎのとおりである。

    名取会場

    • 【プログラム】進行:渡邊泰伸(一般社団法人日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会委員)
    • 13:30〜13:35 あいさつ 倉 洋彰(一般社団法人日本考古学協会会長)
    • 13:35〜14:05 宮城県の復興調査成果と進捗状況 天野順陽(宮城県教育庁)
    • 14:05〜14:35 石巻市羽黒下遺跡の調査成果 佐藤佳奈(石巻市教育委員会)
    • 14:35〜15:05 多賀城市八幡沖遺跡の調査成果 村松 稔(多賀城市埋蔵文化財調査センター)
    • 15:15〜15:45 山元町合戦原遺跡の調査成果 山田隆博(山元町教育委員会)
    • 15:45〜16:15 宮城県における復興調査の成果と課題 倉敏明(一般社団法人日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会委員)
    • 16:15〜16:30 意見交換

    南相馬会場

    • 【プログラム】進行:玉川一郎(一般社団法人日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会委員)
    • 13:00〜13:10 あいさつ 倉洋彰(一般社団法人日本考古学協会会長)
    • 13:10〜13:50 福島県の復興調査への取り組みと今後の課題 轡田克志(福島県教育庁)
    • 13:50〜14:30 南相馬市の復興調査と成果 川田 強(南相馬市教育委員会)
    • 14:40〜15:20 復興調査でわかった浜通りの製鉄遺跡 能登谷宣康((公財)福島県文化振興財団)
    • 15:20〜16:10 双葉郡の復興調査の現状と今後の課題 三瓶秀文(富岡町役場)
    • 16:10〜16:30 東日本大震災と日本考古学協会 渋谷孝雄(一般社団法人日本考古学協会東日本大震災対策特別委員会委員)
    • 16:30〜16:45 意見交換

     開催要項決定後、ポスターとチラシを製作し、12月中に関係各機関に配布した。直前の降雪の影響もあってか、名取会場では73名であったが、南相馬会場では101名の参加者があった。

     名取会場では、宮城県内で実施されてきた復興調査では高台移転の調査がほぼ終了したが、報告書作成や復興に関係するほ場整備や県道整備の調査が今後も続けられるため、2016年度以降も引き続き自治法派遣を依頼するとともに、内陸市町村から沿岸市町への人的支援も強化するということであった。

     高台移転に伴い、宮城県や自治法派遣の調査職員の支援を得て実施された石巻市羽黒下遺跡の調査では縄文前期の竪穴や十和田中掫火山灰が包含層から検出された。火山灰の下位からは大木1〜2a式、上位から大木4式の土器が出土している。400m離れた位置にあり、2012〜13年度に調査された縄文前期の大形竪穴を伴う集落の中沢遺跡の成果と合わせ、今後の両遺跡の整理報告書作成によって、資料の乏しかった縄文前期前葉から後葉にかけての牡鹿半島の様相が明らかになるものと期待される。

     復興土地区画整理事業等で調査された多賀城市八幡沖遺跡では、10世紀中葉から後葉の四面廂付の掘立柱建物跡と同時期の土器が多数含まれる土坑、15〜17世紀末頃の東西100m、南北72mの区画溝の一部が調査され、古代末、中近世の本遺跡の位置づけについて、今後詳細に検討されるとのことである。

     山元町合戦原遺跡は防災集団移転促進事業により2013年から2016年5月までの予定で調査が続けられている。3名から9名に上る宮城県や自治法派遣職員の支援を得て調査が進められ、7〜8世紀の横穴墓54基や8〜9世紀代の製鉄関連遺構が検出された。横穴墓には線刻画を持つものがあり、マスコミでも報道されてきた。現地での現状保存は難しいということだが、技術的な問題も含めて保存を巡る協議が今も続けられているという。また、山元町では今後も復興に伴う調査が相当数残っている、派遣職員は確実に減少していく中、調査成果を鑑みると通常時の報告書水準が望ましいのだが、現実的に対応ができるのか不安だということであり、宮城県の報告書簡略化の方針とどのような整合性を持たせるかが課題といえよう。

     宮城県の復興調査の成果と課題では、100名を超える派遣職員の支援で復興調査のピークは過ぎたが、今後も復興関連の調査は続く。また、派遣職員が減少する中、被災市町では通常業務をこなしながら膨大な出土遺物の整理と報告書作成にあたらざるを得ないところが多く、抱える課題は大きい。整理の積極的な民間委託や宮城県全体として沿岸市町への人的支援が望まれるとのことである。また、発掘調査で地域の歴史にとって新たな成果がつぎつぎと明らかになってきていることが報道されてきたが、出土資料を適切に管理し、活用を図っていく必要があり、そのための施設整備も喫緊の課題とのことである。

     南相馬会場では県教委が取り組んできた復興事業と埋蔵文化財保護の両立を目指し、できるだけ本調査を回避する方針が示され、このことによって、比較的スムーズに復興調査が実施されてきたとの説明があった。その中で本調査が行われた6遺跡の考古学的成果を取り上げ、これらは地域の歴史の再確認に繋がるものと評価した。また、福島は原発事故による復興事業の遅れがあり、今後は福島に用意された再生加速化交付金事業として中間貯蔵施設などの各種復興計画に基づく事業に対応するとともに、福島独自の調査体制協力支援体制の整備にあたるという方針が示された。

     南相馬市の復興調査と成果では、被災状況、被災後の文化財保護体制の推移、復興事業関連調査の成果が示された。市内にある史跡との関連で調査遺跡の成果が語られた。有名で身近な史跡と今回調査された遺跡の成果がどう結びつくのか、史跡の背景にある同時代の遺跡という観点での説明は各時代にわたる多くの史跡をもつ南相馬市ならではのことであった。

     復興調査でわかった浜通りの製鉄遺跡は、これまでに数多くの製鉄遺跡が調査された蓄積のある当地域で新たに10遺跡が調査され、相馬地域ではこれまでになかった中近世の製鉄の実態が明らかになったこと、双葉郡内ではより南の楢葉町で8世紀後半から竪形炉の製鉄が行われていたことが判明したこと、西日本が起源とされる横口付木炭窯が検出され、近年、宮城県山元町でも発見されたことで、当地域の主流である地下式登窯との時期差があるのか、或いは使い分けが考えられるとのことであった。さらに、古代陸奥国南部では長方形箱形炉と竪形炉に加え、それに後続する時期と考えられる3方向からの送風口をもつ小型炉が集中して発見されたことも新たな成果であるとのことであった。

     双葉郡における復興調査の現状と課題は、震災後5年になろうとしている今でも、避難指示が続いている地域がある一方、区域再編により復旧復興事業が始まった地区も出てきた。2012年には郡内の警戒区域にある文化財のレスキュー事業が行われ、広野町では駅家と考えられる桜田W遺跡の調査が行われ主要地区は現状保存されたこと、2013年度からは浪江町でも試掘調査が始まり、2014年度には富岡町や楢葉町で、2015年度には大熊町でも試掘調査や本調査が始まっている。今後、除染の完了した地域から埋蔵文化財の本格的な復興調査が始まると考えられるが、作業員の確保が困難であること、専門職員不足が深刻で今後の復興事業への調査体制の整備が必要なこと、住民と離れた状況下での調査をどうやって地域住民に還元するのか等の課題も多いとのことである。

     東日本大震災と日本考古学協会では、震災後に日本考古学協会がとった初動の対応策、特別委員会設置後の活動経過を説明し、最後に委員会活動を終えるにあたっての課題を述べた。その要旨は以下のとおりである。

    • (1)復興事業に伴う埋蔵文化財の現地調査は福島の原発被災地域を除き、ほぼ、終了の見込みがついたといわれるが、なお、多くの調査すべき遺跡を抱える市町村もある。
    • (2)調査報告書は被災3県の市町村が実施した調査では、報告書作成の見通しが立っていないものが多い。2020年度まで復興交付金が使用できることとなったが、報告書刊行に向けた課題解決のため、今後注視が必要。阪神淡路の二の舞を踏んではならない。
    • (3)調査成果を如何に還元し、出土資料の活用施設をどう整備していくか。協会では3年にわたって、被災3県で2回ずつの報告会を開催。各県でも、調査成果還元の事業に取り組まれているが、調査成果を生かした被災地の新たな歴史像の復元に取り組んでいく必要がある。また、出土品の収蔵施設や展示施設の整備も重要な課題である。
    • (4)原発被災地域、特に避難指示区域内での復興事業に伴う発掘調査では、放射線問題、賃金格差による作業員確保の困難さの問題を含め、課題が多い。
    • (5)協会の文化遺産防災、レスキュー活動への取り組みを震災委の活動終了後、どう取り組むか。
    (東日本大震災対策特別委員会委員長 渋谷孝雄)