埋文委ニュース 第71号

埋文委・情報交換会**********2016.10.16

 埋蔵文化財保護対策委員会では2016年度弘前大会にあわせて、10月16日(日)午後1時30分から弘前大学総合教育棟205教室において、埋文担当理事、委員等14名の参加を得て情報交換会を開催した。藤沢敦委員長の挨拶の後、青森県五所川原市五月女遺跡の調査と遺跡保存に向けた取組みや、各地の埋蔵文化財の保存問題等についての報告と意見交換等が行われた。

1 基調講演

 「五月女遺跡の保存の経緯について」と題して、原滋高氏(五所川原市教育員会)による講演が行われた。まず、原氏は本遺跡の調査に至る過程について詳細に説明された。十三湖北岸に所在する本遺跡に関しては、1980年代の調査により単に遺物包含層を伴う遺跡としての認識であったこと、当該調査区が保安林解除に伴う土砂採取地だったことなどが説明された。このなかで、当初、縄文後晩期の墓地遺跡という認識が無かったことで、遺跡保存を前提とする対応が遅れた要因とされた。2010年・2011年度の調査により、80基以上の土坑墓や縄文土器、装身具等が多く検出されたことで、遺跡の重要性が確定した。とくに、土坑墓においてマウンドが確認されたことは重要な発見といえる。2012年には、さらに多く土坑墓が検出され、外部の有識者から調査費や面積、作業量から発掘調査が困難であることが指摘された。その後、五所川原市に対し、弘前大関根教授や日本考古学協会、さらに地元の青森県考古学会からも遺跡の重要性に基づく保存要望書が出されたことから、年度末には市として遺跡保存の方向性が決定された。昨年の12月には、遺跡が市の公有地として購入され、目下、正式な発掘調査報告書の作成を進めていることが報告された。また、調査は弘前大学との連携・協力体制のもとに実施され、今大会に合わせて人文社会科学部北日本考古学研究センターにおいて、『大五月女展』が開催された意義は大きいと言える。
 本遺跡の調査や現地保存に至る過程において、様々な軋轢や諸問題が惹起したことが想像されたが、結果として、亀ヶ岡文化の埋葬習俗に係る重要な考古資料が遺せたことは多大な成果であり、関係者の努力に対してあらためて敬意を表するしだいである。同時に、五月女遺跡のケーススタディーは、今後の埋蔵文化財保護と活用を考えるうえで意義あるものと認識された。

2 各地からの報告

 青森県の委員により、県埋蔵文化財調査センターによる津軽ダム建設関連事業に伴う埋蔵文化財調査の状況について報告された。
 また、熊本地震に係る文化財への影響等に関して、現地視察を行った近藤委員(協会副会長)により、熊本城以外に、古墳に対する被害も甚大であることが報告された。なお、本大会時において、熊本地震に伴う埋蔵文化財保護と文化財の復興に関わる会長声明が出された。

3 その他

 松崎事務長より、北九州市城野遺跡の再々要望書提出の件に関する報告があり、市との面談をもとめていることが報告された。また、今年度の埋文委発行文書等に関して配布された。

(文責:松崎)