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1 2000/11/12 上高森遺跡問題等についての委員会見解 ■上高森遺跡問題等についての委員会見解
2000年11月12日
日本考古学協会委員会

 日本考古学協会は、1948年に結成されたわが国の考古学研究者の全国組織で、自主・民主・平等・互恵・公開の原則にたって考古学の発展をはかることを目的として活動してきました。
 考古学は、遺跡の発掘調査によって確認された事実関係を基礎とする科学です。このたび明らかとなった藤村新一会員による上高森遺跡、総進不動坂遺跡の調査における考古学的事実の捏造は、考古学の基礎を自ら破壊するもので、研究者としての倫理が厳しく問われる行為です。日本考古学協会は、このような行為をなす者を出し、しかも研究者相互の批判によってこれを防ぐことができず、わが国の考古学の信頼を大きく傷つけたことに対し、深くお詫び致します。大地に残された過去の人間活動の痕跡の調査を通じて、列島の歴史をより豊かに描き出す上で、考古学が果たしてきた役割は高く国民に評価されてきましたが、その一方で、新発見こそが重要であるかのような誤解や誤った風潮を生み出していた恐れはなかったかどうか、また新たな発見をめぐって、資料の公開と多様な意見の研究者による相互批判が不十分ではなかったのか、本協会としても厳しく反省する必要があると受け止めています。協会として研究者倫理の徹底についても検討に取り組みたいと考えます。
 日本考古学協会委員会は、本日、考古学研究及び学界の社会的信用を著しく損なう結果を招き、本協会の名誉を傷つけた藤村新一会員の行為は到底容認できないものとして、会則に照らし、退会させることを決定しました。
 前期旧石器問題、いわゆる「原人遺跡」問題は、「新発見」の連続によって認知され、定説化されたように受け止められていますが、学界にはなお異論も多く、論争の渦中にあるというべきです。しかし一方、本協会が、わが国及び東アジアの人類史を考える上できわめて重大なこの問題に関して、必ずしも積極的に取り組んで学術的な検討を進めてきたとは言い難いとの指摘は、謙虚に受け止め、反省しなければなりません。これまで、本協会は、その時々の重要な課題について、学会をあげて集中的な調査を行い、例えば、弥生式土器文化総合研究特別委員会、洞穴遺跡調査特別委員会による弥生文化や縄文草創期文化の積極的解明などを、実施してきた歴史があります。本協会は、今回の事件によって疑念の生じた遺跡の検証を含めて前・中期旧石器遺跡の自由闊達な学術的検討が集中的に行われることの必要を認め、特別委員会(前・中期旧石器問題調査検討特別委員会)を組織してこれに当たりたいと考えます。
 なお、「東北旧石器文化研究所」に対しては、今回の事件に関する真摯な総括と真相を明らかにするための資料の公表を求めるとともに、未報告の過去の発掘調査結果について、早急に学術報告書を刊行するよう求めます。
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特別委員会設置に関する基本的考え方 ■前・中期旧石器問題調査研究特別委員会設置に関する基本的考え方
日本考古学協会委員会

《経過》
 11月5日,マスコミによって暴露された,いわゆる「石器発掘捏造事件」は,考古学に対する社会的信頼を失墜させ,日本列島の人類文化の起源という歴史上の重大問題に関する学術研究上の不備を示すこととなった。
 日本考古学協会委員会は,この事態を深刻に受け止め,11月12日に緊急委員会を招集し,この問題への対応を協議した結果,このことは個別研究分野,あるいは関係機関や関係研究者だけの問題でなく,事実の解明とともに,考古学の負わされている社会的責務に鑑みて,日本考古学協会が中心となって全学界的に早急に取り組むべき課題であるとの共通認識に達した。
 この認識に基づいて,本委員会は見解を発表し,その中で,標記の特別委員会の設置準備をすすめることを言明した。委員会・事務局では,会長・副会長の指示の下,有志会員の意見を聴取するなどのことを含めて特別委員会設置に向けての準備をすすめてきた。その結果,下記のような基本方針で,特別委員会準備会を発足させたいとの結論に至った。

《特別委員会の目的》
 本委員会活動は,積極的に公開性と相互批判を進めるもので,学術的な公正さを堅持するものでなければならない。
 本特別委員会の任務は大きく分けて次の2点である。
(1)「捏造工作」の発覚で疑惑のもたれている,前・中期旧石器時代諸遺跡の事実認定調査を支援し,これに協力し,学会として必要な助言,調整を行うこと。
(2)前・中期旧石器時代研究の現状を整理・総括し,課題と研究の論点を明らかにし,日本列島の人類文化の初源に関する集中的な研究の進展に必要な方法論の確立と,研究および調査体制の整備を進める。

《特別委員会の組織と運営》
 本特別委員会は2001年5月に予定されている2001年度日本考古学協会第67回総会において設置の決議が行われ,正式に発足する運びとなるが,その組織は,日本考古学協会会員のみでなく,関連諸科学分野の研究者を委嘱するなど,100名規模の大型プロジェクトとなることが想定され,諸課題にそった複数のサブ・プロジェクトによって具体的な調査・研究が進められることになろう。
以上のような諸活動には,会員,会員外を含めた研究者が積極的に参加できる組織運営が必要である。

《特別委員会準備会の発足》
 今回の不祥事への対応は緊急を要する。しかし,日本考古学協会の規約に基づく特別委員会の設置は,上記の通り来春の総会決定を待たなければならない実情である。このため,日本考古学協会委員会では,それまでの間,実質的に特別委員会の目的につながる諸課題の基本的な解決方法を検討する。

《その他》
 協会委員会としては,各地域の研究団体,関連各分野の学会,文化庁をはじめ関係地方自治体の文化財行政機関等々に,特別委員会の活動への支援・協力を求め,必要な協議・要請を進める。
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特別委員会準備会の概要 ■前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会の概要
 本特別委員会は、2001年5月の総会において設置の承認をはかるものであるが、緊急を要する課題に対応し、特別委員会の組織・活動内容を検討することを目的として、日本考古学協会委員会の承認のもとに準備会を発足させた。

委員長:戸沢充則
委員:稲田孝司・佐川正敏・白石浩之・鶴丸俊明・萩原博文・馬場悠男春成秀爾・松藤和人・矢島國雄・町田洋・山中一郎
4 2000/12/20 第1回準備会 ■第1回準備会
日時:2000年12月20日(水)午後2時〜6時
場所:日本考古学協会事務所

・準備会設置に至る経緯、準備会委員の選任などについて説明があり、また12月5日の鎌田・梶原両会員との面談結果の報告があった。
・互選によって、準備会の委員長に戸沢充則氏を選出した。
・協会委員会原案の「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会の設置に関する基本的考え方」について検討し、一部修正して承認した。
・東京都・埼玉県・宮城県などでの検証作業の進捗状況、東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会の動向が報告された。
・藤村新一氏の関与した発掘調査に関して、各自治体・研究機関に対し、発掘調査の経過、当該遺跡の調査結果、検証・再調査などの計画の有無と考え方等の調査を依頼することを決定した。
・5月の総会で、前・中期旧石器問題のシンポジウムの開催を検討することにした。
5 2001/01/28 第2回準備会 ■第2回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会の概要
日時:2001年1月28日(日)午後2時〜5時
場所:日本考古学協会事務所

・12月23・24日に行われたシンポジウム「第14回東北日本の旧石器文化を語る会」および1月21日に行われたシンポジウム「前期旧石器問題を考える」の報告があった。
・5月の総会のパネルディスカッションの内容について検討した。
・緊急措置として、藤村氏の関与した遺跡の出土資料、東北旧石器文化研究所にある藤村氏のコレクション・資料の第三者機関への移管を要請する。
6 2001/02/25 第3回準備会 ■第3回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会の概要
日時:2001年2月25日(日)午後1時〜5時
場所:日本考古学協会事務所

・藤村氏の関与した発掘調査に関して、調査主体となった15の自治体・研究機関からの回答文書を回覧した。
・埼玉県の検証活動の進捗状況について報告があった。
・大分県聖嶽洞穴の問題について報告があった。
・山形県尾花沢市袖原3遺跡の検証のための発掘調査の調査検討委員会に、戸沢委員長・佐川委員が加わることを了承した。
・5月の総会における「公開討論会」の案が検討され、名称を「『旧石器発掘捏造問題』をいかに解決するか−日本の前・中期旧石器研究の現状と問題点−」とし、報告3本およびパネルディスカッションという構成を決定した。
・特別委員会には、大枠として学史の検討などの長期的課題と検証を中心にした短期的課題を軸に作業部会を設置すること。委員会の委員は一部が総務・総括的役割を担い、それ以外の委員は作業部会に入ることなどが検討された。
・東北旧石器文化研究所にある藤村氏のコレクション・資料については、厳重に保管して欲しい旨の依頼をしたことが報告され、今後の保管については、宮城県考古学会などとも相談しながら、準備会としての対応を考えることとなった。
7 2001/03/23 第4回準備会 ■第4回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会の概要
日時:2001年3月23日(金)午後2時30分〜5時30分
場所:明治大学大学会館4階博物館会議室

・準備会に先立ち、毎日新聞社で、宮城県上高森遺跡における藤村新一氏の「ねつ造行為」を撮影したビデオを閲覧した。
・3月14・15日に戸沢委員長・矢島委員が宮城県を訪れ、佐川委員とともに以下のような活動を行ったことが報告された。
(1)東北旧石器文化研究所にある藤村氏のコレクション・資料を一時的に封印した。
(2)4月14日(土)・15日(日)に東北歴史博物館で、準備会と東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会との合同検討会を開催し、そこで今後の活動に関しても話し合うことで合意した。

・大分県聖嶽洞穴の問題について報告があった。
・5月の総会におけるパネルディスカッションの司会およびパネラーの候補者を決定した。また、総会レジュメとは別に公開討論会の資料集を刊行することになった。
・5月11日に仙台で開催される応用地質学会東北支部主催のシンポジウムの発表者2名の推薦依頼があり、対応することになった。
・福島県安達町の一斗内松葉山遺跡の試掘確認調査を4月に実施するにあたって、調査指導委員会に協会から2名の委員の派遣依頼があり、対応することになった。
・前・中期旧石器問題調査研究特別委員会の設置要綱案を検討したが、継続審議となった。
8 2001/04/14 第5回準備会および合同検討会 ■第5回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会および
東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会との合同検討会の概要
日時:2001年4月14日(土)午後1時〜5時30分
   4月15日(日)午前9時30分〜午後3時
場所:東北歴史博物館
出席者:(前・中期旧石器問題調査研究特別委員会)戸沢充則・稲田孝司・佐川正敏・
白石浩之・萩原博文・春成秀爾・松藤和人・矢島國雄
(総務)小笠原好彦・谷川章雄
(東北日本の旧石器文化を語る会)加藤稔・菊池強一・熊谷常正・渋谷孝雄
(宮城県考古学会旧石器発掘「ねつ造」問題特別委員会準備会)辻秀人・荒井格・佐久間光平・佐々木和博・柳澤和明
(東北旧石器文化研究所)鎌田俊昭
(東北大学総合学術博物館)柳田俊雄
欠席者:鶴丸俊明・馬場悠男・町田洋・山中一郎

・特別委員会準備会・東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会のこれまでの活動について報告があった。
・山形県尾花沢市袖原3遺跡・福島県安達町一斗内松葉山遺跡の発掘調査について報告があった。
・藤村氏のコレクションを実見した(総点数約1300点)。
・上高森遺跡・座散乱木遺跡・馬場壇A遺跡・原セ笠張遺跡の出土資料を実見し、ガジリ・褐鉄鉱付着・摩滅・加熱痕など今後の検討が必要なものをピックアップした。
・出土資料の検討後、今後の方針等について意見交換が行われた。
9 2001/05/19 第6回準備会 ■第6回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会の概要
日時:2001年5月19日(土)午後2時30分〜4時30分
場所:駒澤大学大学会館2階2−1

・戸沢委員長より、特別委員会準備会のこれまでの活動を総括する見解が示され、その内容を含む文章を委員長が会報に執筆することになった。
・福島県安達町一斗内松葉山遺跡の発掘調査について報告があった。
・特別委員会の今後のスケジュールについて、以下のように決定された。
(1)第1回特別委員会は6月10日(日)に開催される。
(2)第1回特別委員会のメンバーは、委員就任を承諾した準備会委員に、総括部会のメンバーとなる予定の10人程度の委員を加えることになった。
(3)特別委員会委員の公募の〆切は6月末とする。

・特別委員会の立ち上げまでの間で緊急課題が生じた時には、戸沢委員長が中心となって対応することが承認された。
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特別委員会の設置要綱 ■前・中期旧石器問題調査研究特別委員会の設置要綱
1.設置の趣旨
 2000年11月に発覚した、いわゆる「旧石器発掘捏造事件」の事実関係を解明し、この問題に対する社会的疑惑と不信を払拭するとともに、日本列島の人類文化の起源にかかわる前・中期旧石器時代研究の深化・発展を、全学界的立場で期するため、日本考古学協会会則第6条の規定に基づき、特別委員会を設ける。
2.名称
 この特別委員会の名称を「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」とし、必要に応じて「旧石器問題特別委」と略称を用いることができるものとする。
3.委員の委嘱と委員長の選任
 特別委員会委員は日本考古学協会会長が委嘱し、委員長は特別委員会委員の互選とする。
 下記各部会の委員の補充等については、自薦、他薦をふくめて特別委員会の議を経てこれを行い、協会委員会にそれを報告し、会長が委嘱する。
 なお、この特別委員会は課題の性格上、自然科学等関連諸科学の協力が不可欠なことから、日本考古学協会員以外の研究者を委員に加えることができるものとする。
4.特別委員会の組織
 特別委員会は、同委員会が必要と認める調査・研究の課題に対応する「総括部会」と複数の「作業部会」をもって構成するものとする。
総括部会および各作業部会には、それぞれ1名の代表者をおく。
総括部会は、特別委員会委員長が委嘱する委員と各作業部会の代表者をもって構成する。
5.特別委員会の会議
 総括部会をふくめた各作業部会は必要に応じて会議をもつ。
 特別委員会の全体会議は年2回を目途に開催し、活動の経過や成果を総括し、会員および広く一般にそれを公開することとする。
6事業計画年度
 本特別委員会の事業は、当面2001年(平成13)5月から2004年(平成16)4月までの3ヶ年とし、その年度計画終了時に特別委員会改廃をふくめて再審議するものとする。
11 2001/06/10 第1回総括部会 ■第1回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の開催(概要)
日時:2001年6月10日(日)午後2時〜4時30分
場所:早稲田大学文学部第1会議室

・開会にあたって、甘粕健会長から挨拶があった。
・戸沢充則準備会委員長より、準備会の活動の総括が行われた。
・本委員会設置要綱に基づき、戸沢充則氏を委員長に選出した。
・北海道・宮城・山形・岩手・埼玉・東京・福島など各地の動向について、関係する委員から報告があった。
・本委員会の組織案についての原案が検討され、総括部会の下に以下のような作業部会を設置することを決定した。第1作業部会(遺物検証)・第2作業部会(遺跡検証)・第3作業部会(検証技術の開発)・第4作業部会(型式研究)・第5作業部会(研究方法論の研究)
・なお、作業部会に新たに加えるべき委員は各部会で原案を作り、委員長が調整する。
・委員長を補佐する副委員長2名を置くことが承認された。副委員長には、小林達雄・春成秀爾両氏を選出した。
・作業部会の運営上の事務処理は各部会で行う。
・2002年度科学研究費の申請のために、各部会で研究課題を提出することになった。
・公募の委員については6月末に〆切、7月28日の委員会の議を経て、特別委員会で決定することにした。

 2001年5月19日の第67回総会において「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」の設置が承認されました。今後、本委員会の活動の概要をお知らせすることに致します。なお、ホームページへの掲載はできるだけ迅速に行うつもりですが、議事録の確定や原稿の作成などにある程度時間がかかることをご了承ください。

12 2001/06/30 第2回総括部会 ■第2回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2001年6月30日(土)・7月1日(日)
場所:山形県尾花沢市共同福祉施設

・6月30日に山形県尾花沢市袖原3遺跡を現地見学。その後宿舎にて、袖原3遺跡、北海道総進不動坂遺跡出土資料の検討を行う。
・7月1日は、袖原3遺跡現地見学の総括ならびに出土遺物観察結果の総括を行う。
・宮城県上高森遺跡の検証作業を早期に実現すべく、県教育委員会等との協議を進める。
・藤村コレクションのカタログ作りを実施すべく、特別委員会第1作業部会、宮城県考古学会、東北旧石器文化研究所との協議、調整を急ぎ進める。
・北海道総進不動坂遺跡の再発掘は8月下旬に実施の予定。
・各作業部会の構成と作業スケジュールの確認。
・日本考古学協会2001年度盛岡大会開催時に、各地の検証作業の報告を計画する。
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総括部会および作業部会の構成 ■前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の構成
委員長:戸沢充則
副委員長:小林達雄・春成秀爾
委員:安蒜政雄・稲田孝司・小田静夫・小野昭・小畑弘己・菊池強一・菊池徹夫・
佐川正敏・佐藤宏之・渋谷孝雄・白石浩之・辻秀人・鶴丸俊明・萩原博文・
馬場悠男・町田洋・松藤和人・矢島國雄

前・中期旧石器問題調査研究特別委員会各作業部会の構成
(*は部会長)
第1作業部会
(遺物検証)*小野昭・大沼克彦・菊池強一・久保弘幸・佐藤宏之・佐藤良二・
佐川正敏・竹岡俊樹・鶴丸俊明・春成秀爾・御堂島正・山田晃弘
第2作業部会
(遺跡検証)*白石浩之・阿部祥人・稲田孝司・大竹憲昭・菊池強一・木村英明・
小林達雄・佐川正敏・渋谷孝雄・諏訪間順・辻秀人・戸田哲也・
藤原妃敏・山口卓也・山田晃弘・柳田俊雄
第3作業部会
(検証技術開発)*矢島國雄・小野昭・中村由克・藤田尚・町田洋
第4作業部会
(型式研究)*松藤和人・伊藤健・小畑弘己・角張淳一・砂田佳弘・竹花和晴・
中川和哉・西秋良宏・萩原博文・藤波啓容・藤野次史・麻柄一志
第5作業部会
(研究方法論研究)*安蒜政雄・石橋孝夫・植田真・岡安光彦・織笠昭・坂井隆・佐々木和博・清水宗昭・勅使河原彰・平口哲夫
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2001年7月7日〜9月24日の活動 ■7月7日〜14日 第2作業部会委員8名が、各自で袖原3遺跡の現地検証を行う。

■7月18日 小野昭第1作業部会長が、仙台に赴き、宮城県考古学会、東北旧石器文化研究所等とともに、藤村コレクションの確認と、資料化作業の打ち合わせを行う。

■7月19日 第2作業部会委員11名が、埼玉県長尾根北遺跡、小鹿坂遺跡の現地検証を行う。

■7月27日 第1回委員長・副委員長・部会長会議(於明治大学)
・6月末までに応募のあった特別委員会委員応募者の、各作業部会への編成を検討する。

■7月28日 日本考古学協会7月定例委員会(於日本考古学協会事務所)
・北海道総進不動坂遺跡の再発掘にあたり、協会委員会に派遣要請があり、委員会から高橋正勝委員が、特別委員会から白石浩之委員・鶴丸俊明委員が加わることを了承する。

■8月28・29日 第2作業部会委員3名が、北海道総進不動坂遺跡の現地視察を行う。

■9月12日 第2回委員長・副委員長・部会長会議(於明治大学)
・宮城県考古学会より上高森遺跡の検証発掘についての協力依頼があった。
・各作業部会の進捗状況の報告および今後の予定について協議した。

■9月23・24日 第1作業部会が、東北歴史博物館において、藤村コレクションの調査ならびに上高森遺跡・馬場壇A遺跡・座散乱木遺跡の資料の検討を行う。
15 2001/09/29 第3回総括部会 ■第3回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2001年9月29日(土)
場所:日本考古学協会事務所

・藤村新一元会員との面談結果について。
・上高森遺跡検証発掘調査団への調査委員ならびに指導・助言委員の派遣について協議。
・各作業部会の進捗状況の報告と今後の予定について。
・第1回全体会議および盛岡大会時の報告・展示について協議。
・2002年度科学研究費補助金申請の課題整理について。
16 2001/10/06 第1回全体会議 ■第1回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会全体会議の概要
日時:2001年10月6日(土)
場所:盛岡市民文化センター会議室

・5月以降の特別委員会の活動報告。
・各作業部会の活動状況と今後の課題等について協議した。
・藤村新一元会員の捏造の告白について報告された。
・捏造告白は検証のための一情報にすぎないと位置づけ、また告白の有無にかかわらず、今後とも必要な学術的検証を続けることを確認した。
17 2001/10/07 2001年度盛岡大会 特別委員会報告 ■日本考古学協会2001年度盛岡大会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告
・これまで検証作業を実施してきた総進不動坂遺跡・袖原3遺跡・一斗内松葉山遺跡の報告を行う。
・5月以降の特別委員会の活動報告。
・藤村新一元会員の捏造の告白について報告された。

■「旧石器問題」の検証はどこまで進んだか
−日本考古学協会2001年度盛岡大会での報告全文−
2001年10月7日
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長 戸沢充則

 特別委員会、委員長の戸沢です。まずはじめに、非常によく計画され、準備された本大会のスケジュールの中に、この特別報告会を割り込ませていただき、大会実行委員会に、大変ご迷惑をおかけしたことと思います。関係者の皆様に心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。

検証に向けた全学界的取り組み
 早速、報告に入ります。特別委員会の一般経過報告に関しましては、お手元の冊子の15頁以下(ホームページに掲載済み)を参照していただくことにして、ここでは説明を省略させていただきます。
 ただ、この間の特別委員会の活動をふくめて、昨年末以来のこの問題への取り組みの推移をみますと、全国の研究団体、研究者同士、さらに自治体や関係機関等々、相互の間で、協力、協調の関係が促進され、多くの場面でその成果が目に見えたことは、大変喜ばしいことであり、問題の正しい解決のためには、きわめて大事なことと考えます。
 複数の団体や関係機関が、共同で、あるいは協力してシンポジウムを開いたり、今まで行われた遺跡の再発掘などには、実施主体の自治体の要請に応じて、特別委員会の委員を含む、多くの日本考古学協会員が調査に参画し、協力いたしました。
 また会員諸氏においては、協会委員会の呼びかけに応じて、活動資金の募金に積極的に協力され、270万円以上に上る醵金をいただいております。
 以上、概略を申しあげましたが、特別委員会委員長としては、すべてを併わせて、深く敬意を表すところであります。と同時に、今回の事件で大きく信頼を失した日本考古学の信頼を、一日も早く回復するためには、こうした学会内の結束、関係機関との緊密な協力関係を、ますます強化しなければいけないと痛感いたします。

検証発掘の結果と課題
 次に、これまで行われた、検証のための再発掘調査についてふれておきたいと思います。
 本日は、一斗内松葉山、袖原3、総進不動坂の3遺跡について調査の担当者から直接報告をしていただきました。その内容は繰り返しませんが、今日、報告のなかった東京都多摩ニュータウンNo.471-B遺跡、そして埼玉県秩父の遺跡群の再発掘を伴う検証の経過とその結果は、私達に貴重な体験として記憶され、また改めて、考古学の発掘調査のあり方という点でも、今後に生かすべき反省の素材を提供したものと思います。
 これらの検証調査の結果全体をみれば、検証発掘を一つ進めれば、それだけ疑惑が強まるーわかりやすい表現を使えば、「グレー」の強さが増えることがあっても、「シロ」が新たに加わることは皆無であったという一予想を上回る厳しい現実を知らなければならなかったというのが、現状での認識です。
 また、特に所見を加えるならば、たとえどんなに厳密に再発掘や検証を行っても、「クロ」か、「シロ」か、を100%実証することは、ほとんど不可能ではないかということを、改めて経験することになったという点も、率直に実感します。そのために今後はあらゆる可能な手段を活用して、目標をしぼった検証作業を行い、複合的・総合的に判断できるよう、早急に各作業部会等の活動を進めたいと考えます。

作業部会の活動状況
次に、作業部会のいままでの活動と、今後の取り組みの方向性について、概要を申しあげます。

○第1作業部会(石器検証)は、9月22・23両日、宮城県考古学会と合同で、藤村氏が昨年段階で捏造を告白した上高森遺跡の石器(展示中)をさらに厳密に検証し、その基礎データに基づいて他の疑惑遺跡のものと比較検証を拡げています。また、同じ検証会で、藤村コレクション、および座散乱木、馬場壇Aの石器などを検証し、それらに多くの疑惑の点が指摘できるという、報道発表をしたことは、周知の通りです。これについての、正式な報告は今後のことと承知しています。
○第2作業部会(遺跡検証)は、今までに行われた再発掘遺跡の視察や観察を独自の立場で、第三者的に公正な立場で行ってきましたが、そのレポートの作成を進めている段階です。そうした疑惑の遺跡の検証と並んで、今後の研究の基礎につながる可能性のある遺跡についての再検討、再評価に向けた作業を進める方向性も、具体的な検討に入っています。
○第3作業部会(自然科学との連携)は、いままで自然科学分野の研究者に依存してきたような自然科学的分析などを、考古学が主体的に構想し、検証のみならず、将来につながる研究の基礎を作るため、関係自然科学関連学会、研究者との検討を近くはじめることになっています。当面、明年度以降の研究基盤を確保するための科研費申請のためのプロジェクトの構想の策定を急ぎます。
○第4作業部会(型式学的検討)は、いままでの特にいま問題の前・中期旧石器の型式学的分析の不備を反省し、広い視野にたった方法論の再構築と、当面、疑惑石器の検証のための縄文時代のものをふくむ、ヘラ状石器の分析を進めているところです。
○第5作業部会(研究史・方法論)では、前・中期旧石器をふくむ、日本の旧石器研究の研究史と方法論の整理と総括を行い、今回の事件の背景となった研究体制や社会状況などを洗い出すための、いくつかのテーマを分担して、その作業に入ったところですが、あとで述べる今回の緊急事態を踏まえて、教科書や学校などの歴史教育の混乱に対応する、学会としての責任ある対応、見解を示すための検討を、早急に進めることとして、昨日の特別委で、各部会の協力も得て、そのことに取り組むことにいたしました。

 以上が各部会の活動状況の概況報告ですが、そのそれぞれの成果については、来春の日本考古学協会総会において、各部会から詳細な報告がなされることになろうかと考えています。

藤村新一氏との面談の経過と内容
 さて次に、今年5月以来、5回にわたって、私が藤村新一氏と面談を重ねてきた経緯とその内容について、その概要を報告いたします。
 予め申しあげますが、藤村氏は現在も、「心身のバランスを崩すある病気」で、国内の某病院に入院加療中であります。当人の人権・人格を守るために、そのことに関わる内容については避けて報告することになります。また、報道の皆さんが、そのことについて、今日の私の報告以上のことを追求されること、藤村氏との接近をはかるようなことは、人道上の立場から、厳につつしまれるよう、私からこの場で強く要請しておきたいと存じます。

【面談の様態】
 私と藤村氏との面談は、5月23日、5月30日、7月25日、9月13日、9月26日の5回行われました。面談時間は1時間ないし1時間半の範囲の短時間でした。面談には常に主治医と藤村氏の弁護士が立会い、私からも藤村氏に発言を強要するようなことはなく、特に病状の変化については、主治医の助言と指示を受けながら、細心の注意を払って面談を進めました。そのため、全体として、藤村氏の自由な発言を、こちらで聞き取るという形であり、重要な告白について、こちらで反問、確認するということも十分に行わない状態で今日まで経過しています。

【第1・2回面談】
 第1回(5月23日)、第2回(5月30日)の面談は、昨年末以来の学会等での検証活動の経過や状況を、簡潔に説明した以外では、藤村氏の話を中心に聞き、彼の心を開かせ、私との面談のしやすい雰囲気を作ることに、ほとんどの時間が費やされたといっても過言ではありません。
 しかしその中で、藤村氏は学界や社会、それに一緒に仕事をしてきた仲間たちに、自ら起こしたことの責任を詫び、私(特別委員会)の調査に協力したいということを、2回の面談のたびに明確に述べました。立ち会った主治医も、それは藤村氏の本心として受けとってもいいと思うという助言をされています。

【第3回面談】
 7月25日の第3回面談は、ちょうど袖原3遺跡の再発掘の結果が調査団から発表された直後のことでした。私からもその結果を具体的に説明した後、ノートを手にしてまず、すべてを話したいという心境をるる述べました。そして、袖原3での捏造の証拠を認めた後、藤村氏はノート(あるいはメモ)を手にしながら、秩父の遺跡について、苦悶の表情で、捏造をボソボソと話し始めたのです。しかし極度の緊張のためか、こちらの簡単な質問にも対応できぬ状態になったため、主治医の助言もあって、それ以上の話は進められなくなったのです。

【いわゆる「藤村メモ」】
 その後、8月16日付で、主治医から、「藤村氏が第3回面談で話したかった遺跡名のメモだといって渡されたもの」という趣旨の説明の下に、一枚の手書きのメモが送られてきました。このメモは次回の面談(9月13日)のとき、ワープロに打ちなおされて、さらに数遺跡の追加が加わって、改めて直接、藤村氏から手渡されました。したがって藤村メモというのは、都合2件あるということになります。

【第4回面談】
 第4回(9月13日)の面談は、前回の面談の際の後半の混乱を再現しないよう、予め文書で質問事項を藤村氏に示しておいてから、間をおいて逐次藤村氏の話を、やや時間をかけて聞いた方がよいという主治医の勧告に基づいて、私の方で質問事項を10項目にまとめ、それを直接手渡して、質問内容の趣旨を説明し、それへの回答を要請するという目的の面談でした。
 その目的を達して、早々に引き上げるつもりのところ、藤村氏の方から、今日お話したいことがあるといわれて、私にとってはまことに突然、唐突という感じの中で、1981年の座散乱木遺跡のことが語られたのです。10〜15分ほどの話を一応聞きましたが、あまりのことに、私も冷静さを若干失い、ドギマギしましたが、今日渡した質問書にもあるから、次にきたとき、正確に聞きたいということで、その日の面談は終わりました。

【第5回面談】
 そして、現在までのところ、最終にあたる第5回目の面談は、9月26日に行われました。今日からさかのぼって数えてもわずか11日前の、ごく最近のことだという点を、どうぞご記憶ください。
 その日は、前回、2週間前に渡した質問事項の、一つ、二つについて話を聞ければよいという予測で行ったのですが、藤村氏は自分の作ったメモ(文章)を用意して、それを読み上げるという形で、かなり長時間に渡って、10項目全体に渡って、内容の精粗はありますが説明を行いました。

【新聞報道の波紋】
 まことに、衝撃的で重大な告白でした。その聞き取りのこちら側の記録等もある程度整理して、ちょうど、今日の大会の特別報告会等の準備のため設定していた9月29日の本特別委員会総括部会に、この重大な告白の内容を報告し、事後の措置や、大会での報告の仕方などをはかる予定でいたところ、9月29日朝刊でのスクープ報道が流されてしまいました。
 特別委員会としては、委員長名で、こうした混乱を巻き起こす報道に対して、きわめて遺憾であるとの緊急の見解を、報道各社に、即日配信したのですが、そのことを伝えた新聞、テレビ等は私の耳目には全くとまりませんでした。改めて遺憾の意を、今日ここで表明しておきます。
 予想通り、報道をうけて、全国の関係機関、自治体、そして地域住民の皆さんに大変な混乱を引き起こし、多大な迷惑や怒りを引き起こしました。特別委員会に対するお叱りも耳に痛いほど承りました。委員長として、情報管理や委員会運営に甘さがあったことは私の責任であり、会員および今まで協会の検証作業等に全幅のご協力をいただいた全国の関係自治体等の皆様に深くお詫びします。

捏造告白遺跡名の公表
 委員会としてはこの事態をふまえ、藤村氏告白の確認作業が不十分なままで、まことに不本意ながら、この大会直前の1O月5日までに、各道県教育委員会、発掘主体者、関係自治体のすべてに、藤村氏の告白で何らかの形で名が出た遺跡名を、協会および特別委員会の正式文書として、個別に通知を出したことも併わせてご報告しておきます。
 ここで改めて、告白のあった全遺跡名を公表いたします。

北海道:計4遺跡総進不動坂、下美蔓西、天狗鼻、美葉牛
岩手県:計2遺跡ひょうたん穴、沢崎
宮城県:計14遺跡座散乱木、馬場壇A、高森、上高森、
中島山、高山館2、青葉山E、沢口、
薬莱山No.39、薬莱山No.40、安養寺2、
大谷地(II)、前河原前、蟹沢II
山形県:計6遺跡袖原3、袖原6、上ミ野A、山屋A、浦山、金沢山新堤2
福島県:計2遺跡原セ笠張、一斗内松葉山
群馬県:計3遺跡下川田入沢、赤見峠、中山峠
埼玉県:計11遺跡小鹿坂、長尾根、長尾根北、桧木入、
十三仏、並木下、音楽堂裏、中葉山?、
万願寺、寺尾I、寺尾II

公表内容等についての見解
 以上の報告に関係して、学界として、また研究者として、最も重要と思われる、特別委員会および委員長の見解を付言しておきます。

1.今のわが国の法体系のもとで「自白は即証拠にならない」また「疑わしきは罰せず」という常識というか、法の精神があります。今回、特別委員会としてやむをえない事情の下に公表した遺跡名は、すべて、いわば自白にとどまるもので、学会として、それらを確実な証拠として提示できるものでないことを確認しておきたいと思います。

2.そのような認識に立つならば、全学界的に取り組んでいる検証は、これからが本番、正念場として、特別委員会は活動を強化したいと考えます。宮城県考古学会を主体とした上高森の発掘は当面の大きな取り組みだと捉えます。会員の積極的な参画と支援を心からお願いするところです。なお、この際、報道機関においても、協会の意とするところを理解され、冷静な取材、報道を通じて、ご協力くださるよう強く要望します。

3.最後に付け加えますが、今日にいたるまでのさまざまな形での検証作業に、特にお名前はあげませんが、今までの前・中期旧石器の発掘に藤村氏と共にもっとも深くかかわった方々から、これまで、学会、その他の検証作業に必要な資料の提供などの点で積極的、献身的ともいえる協力を受けていることを、特にここで申しあげておきます。

 以下は、私の個人的な感想としてお聞き流しいただいて結構ですが、藤村氏もまた、人間同士の関係で、私にとっては検証作業の大切な協力者だったと思っています。
 考古学は、あるいは考古学研究者は、人類数百万年の歴史の研究を通じて、明日のよりよい人類史を展望し、その新しい時代に一つの指針を与える学問的責務を持っています。
 今回の未曾有の学問的危機をはらんだ問題を、みんなで一体となって、社会にも認知される正しい解決をはかり、この事件の反省をバネに21世紀への日本考古学存立の基盤を確固にすることを強く訴えて、私の報告を終わります。
18 2001/11/08 第4回総括部会 ■第4回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2001年11月8日(日)
場所:宮城県築館町ホテルグランドプラザ浦島

・会議に先立ち、上高森遺跡の検証発掘の状況を現地見学した。
・盛岡大会およびこの間の自治体・関係機関・マスコミとの対応についての経過報告があった。
・上高森遺跡の検証発掘の状況報告と調査団の総括的な見解に対する意見交換が行われ、調査団の見解を基本的に了承した。
・座散乱木遺跡の発掘計画について、文化庁との協議のいきさつ、および協会が発掘調査を行うことについて持ち回り審議による委員会の承認を得たことが報告された。
・発掘調査の予算については、科学研究費の特別研究促進費を申請し、検証に関わる調査を来年4月末から約1ヶ月間、補足調査を夏休みに行うように準備をすすめ、調査団の編成案を総括部会で審議することになった。
・各部会長から今後の活動予定について報告があった。
・2002年度協会総会では、5月26日の午後に検証発掘の報告および各作業部会の報告をもとにしたシンポジウムを行う案が了承された。
・総会の前後約2〜3週間の期間で、明治大学考古学博物館において、前・中期旧石器問題関連資料の特別展示を、協会と明治大学の共催で開催するという案がだされ了承された(なお、この特別展示は、その後、諸般の事情により中止になった)。
・藤村氏が捏造を告白した遺跡に関して、関係自治体にその扱いについてアンケートを行うことが承認された。
19 2001/12/25 第5回総括部会 ■第5回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2001年12月25日(火)
場所:日本考古学協会事務所

・座散乱木遺跡の発掘調査計画について審議が行われ、次のような方針に沿って、今後文化庁はじめ関係機関と調整した上で進めていくことを確認した。
・文化庁・地方自治体等の関係機関との緊密な協力関係を前提に、日本考古学協会と地域研究団体の研究者等を中心にした調査体制を確立し、当該遺跡の学術的真実を明らかにするための発掘調査を含む検証調査を実施する。
・発掘は当面、藤村氏の告白等に関する検証を目的として、2002年4月から5月にかけての日程で実施する。あわせてこれまでの出土資料・調査記録類などの詳細な点検も行う。
・調査指導委員会と調査団を併設する体制をとり、調査指導委員会は、日本考古学協会、地元研究団体が推薦する委員の他、関係機関、特に文化庁、宮城県、岩出山町の関係者が参画することを考慮する。
・調査団は地元の研究者を核として構成するが、全国の研究者、大学等諸研究機関の研究者、院生などの積極的な参加協力を求める。また、自然科学分野(特に地形、地質、土壌学等を含む)の研究者を調査指導委員会および調査団に加える。
・上記をサポートするための事務局体制の強化を考慮する。その場合、地元自治体の協力を十分受けられるようにする。
・委員からは、計画段階から関係機関と緊密な連絡を取る必要があること、調査指導委員会と調査団は、今回は特に日本考古学協会の責任体制を示す構成を考え、その点について、地元研究者との相互理解をはかる努力をすることなどの意見が出された。
・1月中旬を目途に調査指導委員会、調査団の人選を進めることとなった。
20 2002/03/24 第6回拡大総括部会 ■第6回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会拡大総括部会の概要
日時:2002年3月24日(日)
場所:日本考古学協会事務所

・会議に先立ち、座散乱木遺跡発掘調査問題を検討するため、科研メンバーを加えた拡大会議とすることが了承された。
・前回の総括部会以降に行われた部会長会議、および座散乱木遺跡の発掘調査に関わる経過について報告があった。
・以下のような座散乱木遺跡発掘調査の計画案が説明され、了承された。
(1)調査指導委員会を設置し、委員長は戸沢充則特別委員会委員長、副委員長は委員の互選とする。
(2)調査指導委員会の下に調査団を置き、団長は小林達雄特別委員会副委員長、副団長は佐川正敏特別委員会委員・矢島國雄同委員とし、調査員は特別委員会・宮城県考古学会・宮城県教育委員会等から派遣する。また、調査にあたっては、文化庁記念物課、過去の調査関係者から協力を得る。
(3)調査期間は4月下旬から約1ヶ月半とする。
(4)調査は過去の発掘調査の検証を第一の目的とするが、遺跡全体の内容の評価のために未調査部分へ調査区を拡張する。
(5)関連分野の協力を得て、自然科学分析を実施する。

・2002年度総会における特別委員会報告の基本的な考え方、および各部会の活動経過および総会における特別委員会報告の概要、総会における特別委員会報告の予稿集の体裁、刊行スケジュール、総会時の特別委員会のスケジュールが提案され了承された。
・捏造事件の関係者の説明責任をめぐって議論が行われ、委員長・副委員長で協議することが了承された。
・今後、日本考古学協会に「倫理綱領」を制定するかどうかをめぐって、議論が行われ、この件については、協会委員会の議論をまつことになった。
・岩手県ひょうたん穴遺跡・金取遺跡をめぐる状況について報告があった。
21 2002/05/24 第2回全体会議 ■第2回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会全体会議の概要
日時:2002年5月24日(金)午後1時〜5時
場所:東京都立大学人文学部棟地下1階大会議室

・第1回全体会議(盛岡大会)以後の特別委員会の活動について、総括的な報告があった。
・進行中の座散乱木遺跡の発掘調査について、小林団長、佐川・矢島副団長より経過および直前までの調査結果について報告があった。
・26日の特別委員会報告として行う、各作業部会の中間総括について、各作業部会長から報告が行われ、翌日の報告内容等について確認した。
・特別委員会の今後の活動とその進め方等について若干の意見交換を行った。
22 2002/05/26 第7回総括部会 ■第7回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2002年5月26日(日)午前10時〜12時
場所:東京都立大学人文学部棟1階134演習室

・前日の全体会議を受け、報告内容等の最終確認を行った。
・終了後の記者会見、および会長声明等に関して協議した。
23 2002/05/26 第68回総会 特別委員会報告 ■日本考古学協会第68回総会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告
・2000年11月の発掘捏造発覚以来の日本考古学協会の、この問題に対する取り組みの報告を行う。
・埼玉県の検証作業結果報告・上高森遺跡の検証発掘調査報告ならびに、発掘調査中の座散乱木遺跡の経過報告を行う。
・各作業部会による、検証調査の中間報告を行う。
・2001年度の特別委員会活動の総括を行う。

■前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括報告
−日本考古学協会第68回総会「旧石器問題特別委報告」での口頭発表全文−
2002年5月26日
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長 戸沢充則

はじめに
 これより、前・中期旧石器問題調査研究特別委員会(以下、特別委)の2001年度活動報告に関するまとめを行います。
 いうまでもなく、この報告は、一年有余にわたる特別委委員55名の共同作業の結果によるものであり、その点で、終始献身的な努力を惜しまれなかった委員諸氏に委員長として、心からの感謝と敬意を表します。
 それと同時に、本特別委の活動を物心両面で支援された日本考古学協会の全会員、さらに、具体的な調査活動のそれぞれの局面で、多大のご協力とご理解を賜った地域住民の皆さん、関係自治体や行政機関、また関連学会の関係者等に、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
 未曾有の事件で、我々の活動も試行錯誤の繰り返し、幾多の紆余曲折がありましたが、今日、この一年の総括の中で、全学界員、関係諸機関が、互いの信頼関係のもとで、一致して取り組む体制を持つことができた、ということを確認できるのを、委員長としては、最も大きな喜びとするところであります。みなさん、本当にご協力ありがとうございました。

1.検証調査の内容について
 この一年間の、特別委を中心として行われた活動は、旧石器発掘捏造という疑惑について、その事実関係を明らかにするという、いわば「検証調査」に、活動の重点がおかれてきました。
 その経過、あるいは結果につきましては、この前に行われた3件の検証発掘の報告、そして特別委各作業部会の報告、そして、このたび公刊された『日本考古学協会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告(II)』(予稿集)掲載の資料によって、その詳細を知っていただけるものと思います。かなり膨大で多岐にわたる報告内容のうち、いくつかのポイントになる点を、以下、要約し、若干の説明を加えます。

(1)遺跡の検証発掘
 このことについては、今までに、福島県一斗内松葉山、山形県袖原3、埼玉県秩父の遺跡群、北海道総進不動坂、宮城県上高森、同座散乱木の6ヶ所で実施されています。座散乱木のように、調査継続中のものもありますが、すでに報告書が発表されている遺跡については、前・中期旧石器遺跡としての評価といいますか、最終判断といいますか、その点の見解は、その表現にそれぞれニュアンスの違いはありますが、特別委第2作業部会が述べておりますように、それらの検証発掘の結果では、確実な前・中期旧石器時代の遺物や遺構は全く発見されず、捏造の痕跡のみが明瞭に認められた、というのが厳然たる結果であります。
 藤村新一氏が関与して発掘された遺跡は33遺跡(文化庁調べ)といわれています。そのうち検証発掘が実施されたのは、全体の中の一部に過ぎませんが、その多くは、今までの研究の中で重要な位置付けをされてきた遺跡であること、特に藤村氏告白のあった遺跡で、捏造が実証されたという点を加えれば、今までの検証発掘の結果は、決定的に重大なものと受け取るべきものだと理解します。
(2)石器の検証調査
 本特別委の第1作業部会、および関係の機関・個人(調査担当者等)が調査の対象とした資料は、藤村氏の告白したものを主に28遺跡、検討した石器は、その当該遺跡出土のほとんど全資料にあたる1,100点以上にのぼります。この数字も藤村氏関与の資料の全部には当たりませんが、いわゆる「重要遺跡」といわれたものの多くを含んでいます。
 その結果、検証された遺跡単位の資料群の中には、どの遺跡の例でも非常に高い割合で、正常な出土状態の遺物にはありえない不自然な傷などがついた石器が含まれていることが明らかとなりました。その点についての評価の表現は、それぞれの調査者によって違いがありますが、総じていえば、第1作業部会が示したように、「検討した資料は学問的資料としての要件を根本的に欠くといわざるを得ないと判断される結果」というものでした。
 これに加えて、第4作業部会が行った前・中期旧石器の指標とされてきた3種の石器と縄文時代の石器との型式学的な比較研究では、まだ中間報告とはいえ、量の多少を問わず、いずれも東北地方の縄文時代の石器の中に類品を見出すことが可能という結論を示している点も、重要な検証の視点といえます。
なお、第1作業部会が実践した石器検証の基準は、他の機関等による検証にも適用され、すべての石器の検証は、同一基準で実施されましたが、これは今後、旧石器、縄文、それ以降の時代の遺跡発掘現場等で活用されるべきマニュアルのひとつとされても良いと考えられます。
(3)藤村氏捏造行動の検証
 第5作業部会は古い記録、メモ、証言などの情報を収集して、1970年代前半からの長期にわたる藤村氏の捏造行為があった可能性を指摘しました。それに加えて本予稿集に収録した東北旧石器文化研究所による同じ方法でのレポートでは、遺跡の発掘現場における不審な行動を調査参加者などの証言を加えて捏造の状況証拠として示し、さらに栗島氏のレポートは秩父の遺跡での、いわば藤村氏の驚くべき巧妙な捏造の手口を、記録等に基づいて再現しました。
 これらの報告は、現在では、現場で実際には実証できない状況証拠というべきものですが、憶測とか、推測という以上の、相当に真実性を持った証言として受け止めてよいと思っております。

2.検証調査にもとづく判断
 特別委が、昨年5月の総会時に、「向後1ヵ年を目途に、一定の判断を示すことができるよう努力する」と、活動方針で宣言したのは、必ずしも十分な見通しや自信があったからではありませんでした。それは、一日も早く事実を確かめて、社会の不信と混乱を少しでも取り除き、日本考古学の再生の道を展望したいという、日本考古学協会、そして全研究者の希望と決意を表明したものでした。
 しかし、捏造発覚直後から多くの研究者が検証の具体的方法などを考え、それを学界共通の認識とする努力を重ね、2〜3の検証発掘で捏造の証拠が明らかになり、さらに藤村氏告白などがあって、検証調査は予期以上に急速に進展しました。そして、今まで述べてきたように、検証調査の結果を要約的に、そのポイントをまとめることができました。それにもとづく特別委の見解・判断は次のとおりです。
 すなわち、特別委ならびに関係機関等の調査した資料に関して、藤村氏関与の前・中期旧石器時代の遺跡および遺物は、それを当該期の学術資料として扱うことは不可能であるということであります。
 なお、この判断は、5月24日の特別委全体会議で慎重な討議を経て、特別委の統一見解としてまとめられたものであることを、とくに付言しておきます。

3.特別委活動の経過と問題点
 本特別委の1年余の活動経過については、予稿集に収録した記録をご覧いただきたいと思いますが、その経過の中で、特に指摘すべき2、3の点について報告いたします。
第一点は、この報告のはじめにも触れたことですが、日本考古学協会はもとより、地域の研究団体、そして関連科学の諸学会が一体となって、この問題の解決に向けて協力するという決意を示され、それらの協調体制が早い時期に確立し、以来、その維持と強化がはかられたことが、検証作業推進の重要な基盤となったことです。とくに考古学界においては、この問題の、言葉はいいかどうか分かりませんが、いわば「震源地」ともいえる東北地方の二つの学会、すなわち宮城県考古学会と東北日本の旧石器文化を語る会が、それぞれ先端を切って積極的に、この問題に取り組んできました。以来、ほとんどの検証調査を本特別委と合同で、互いに緊密に連携して作業を進めてきたことは、検証調査に役立ったという効果の面だけではなく、考古学研究が今後、みんなが信頼関係を大切にして、一つの目的に向けて努力すれば、大きな結果を導くことになるという一つの展望を切り開いたと受け止めます。
 第二点は、この問題の経過の中で、国民一般はもとより、とくに関係地域の住民に大きな不安と不信を生じさせ、地方自治体に多大の混乱と迷惑を与えたことがしばしばありました。この点について、社会的な大きな責任を持つ学術団体である日本考古学協会および特別委の運営・体制上の不十分さもあって、反省すべき点も少なくありませんでした。
 その点に関連して、昨日の報道(公表前の特別委の統一見解の記事等)もそうですが、マスコミの先を急ぐ競争的な報道姿勢には、これまで何度も悩まされました。この事件の経過の中で、過去永年の「捏造旧石器」に対する無批判で過熱的なニュースについて、自己批判をしたマスコミ関係者も多くいましたが、改めて遺憾の意を表し、反省を求めたいと思います。それとともに学界とマスコミがよき関係をつくり、国民が信頼する「科学報道」のあり方について、互いに考え合う努力が必要だということを痛感いたします。
 しかし、学界と地方自治体とは、組織的、系統的なパイプが十分にあるわけではなく、その点で特別委はつねに文化財行政機関に多くを期待してまいりました。地方自治体が主催したいくつかの検証発掘などに、特別委が、あるいは日本考古学協会員が積極的に協力、参画できたことは、きわめて幸いなことだったと思います。そして、今継続中の座散乱木の発掘では、日本考古学協会が主体となって、文化庁、宮城県教育委員会、地元自治体などが一体となって調査組織をつくり、厳正・公正な学術的な検証調査が行われるに至ったことは、素晴らしいことだと評価できます。こうした、研究者、行政が一体となった問題解決への対応こそが、地域住民にも納得される真実追究の道であり、ひいては今後の考古学の成果や、文化財保護行政のあるべき形を生み出す基礎だと信じて疑いません。
 第三点として、藤村氏と過去、発掘や研究を直接ともにした研究者たちの検証調査への協力について触れておきます。今回の予稿集の中にも、何人かの当事者、そして機関からの報告書やレポートが収録されています。それらは、いずれも捏造事件の反省の上にたって、当面果たしうる責任の一つとして、検証作業に協力するという思いの中で作成された報告書、レポートであると理解してよいと思います。予稿集には名を出していませんが、多くの研究者が発掘の現場で、また石器検証の場で、あるいはそれぞれ独自の立場で苦悩の念をおさえながら自己検証を通じて検証調査に協力している等、我々はこの目で見、そして、話として聞いております。
 特別委委員長としては、そうした関係者の努力を受け止め、ただ単に責任を問うのではなく、さらに事実の解明のための協力に期待し、その結果の反省を、今後の研究に生かす主体者になってほしいと願うものです。
 なお、藤村新一氏とは、昨年の9月26日の第5回の面談以後、全く直接の連絡をとれない状態が続いています。昨年秋以来、病状が悪化し、精神状態が不安定なため、第三者との面談は不可能というのが主治医からの連絡です。しかし、昨年の重大な告白の前後を通じて、彼が社会、学界、共同研究者などに対して陳謝と自分の過ちに対する悔悟の言葉をしばしば口にしていたことは、昨年10月7日の盛岡での私の報告で申し上げたとおりです。

4.残された課題と今後の取り組み
 2001年度の活動報告の総括は、捏造疑惑の検証調査に関するまとめでほぼ尽きるといわざるを得ません。しかし、当面、設置期間3年でスタートした特別委の任務は、事件の事実関係の検証調査だけで終わるというものではありませんでした。
今後、地方自治体等が行う検証調査などに積極的に協力・支援できる体制は維持するにしても、学会としての主要な課題は、すでに特別委第5作業部会等が提示し、具体的な検討に入り、予稿集にも一部その経過報告がなされている、研究史・方法論の総括や、考古学の社会的責任などといった、より本質的な諸課題を検討する中で、再発防止と研究の再出発の基盤づくりを行うことです。
 そのことを、段階的・前進的に具体化をはかるため、当面、特別委が共同で検討し、実現をはかるべき措置として、次の諸点を活動の目標にしたいと考えます。

(1)今般の検証調査の体験と結果を全研究者、とくに若い世代が共通の認識として持ち、今後、捏造再発や事実誤認を防止することと、遺跡・遺物の正しい調査研究が進められるような、全学界的な研究会・シンポジウムを積極的に企画する。なお、そのためにも特別委は、検証調査の「本報告書」を年度内に編集・発行いたします。
(2)今般の事件と検証調査の結果を、国内だけでなく、海外の研究者にも正確に説明し、世界的な共通課題として、今後の考古学研究に生かすための国際シンポジウムを計画する。
(3)藤村氏関与以外の後期旧石器以前の可能性があるとされる遺跡・遺物および年代・地層・環境等を総合的に検討する合同研究会を早急に具体化する。あわせて、今までの前・中期旧石器時代研究史の総括と方法論の検討を急ぐ。

これらの取り組みをスムーズに進展させるため、現在の5作業部会の再編と運営の改善が必要です。新年度早々に実現したいと思います。なお、この点に関して、現委員長としての個人的付言をさせていただきますと、こうした新年度の活動方針は、次の時代の新しい研究に対応するものであり、若い世代の研究者が中心となって推進すべきであることを、とくに切望する次第です。

5.おわりに
 旧石器発掘捏造という未曾有の不祥事は、日本考古学全体を激しくゆすぶった、すべての研究者にとって屈辱と衝撃の事件でした。その発覚から1年半が経ちました。短いという言い方もありますが、多くの人にとっては長い、辛い期間だったというのが実感ではないでしょうか。検証調査は、多くの人々の献身的な努力によって予想以上に進展し、その結果は予想を上回る厳しい結果であったことを、総括報告としてながながと行ってきました。
 しかし、これで終わったのではありません。100%の実証は不可能にしても、未調査の疑惑遺跡や石器の検証には、できる限りの努力を重ねる必要があると思います。そして学界的には、新しい研究の基盤づくりを急ぎ、同時に、社会やマスコミからこの事件を通じて批判されたような研究者の資質や倫理、考古学の科学としての体質の改善、学会や研究の体制の見直しなど、学界と研究者の本質に関わる多くの問題が提起されています。
 今回の事件とその検証調査の経過を踏まえて、日本考古学協会全体をリードする立場から「会長声明」が発表されます。特別委はその趣旨を支持し、特別委としての今後の活動を推進するとともに、日本考古学協会員、研究者個々の問題としても、声明に沿った方針に協力することを誓って、やや長時間に過ぎた総括報告を終わります。
24 2002/05/26 前・中期旧石器問題に対する会長声明 ■前・中期旧石器問題に対する会長声明
2002年5月26日

 「旧石器発掘捏造」が発覚してから1年半が経過しました。日本考古学協会は捏造発覚直後の2000年11月12日に委員会見解を発表しました。その中で藤村新一氏の捏造行為は、考古学の拠って立つ基盤を自ら破壊するもので研究者の倫理が厳しく問われなくてはならないと糾弾しました。また、協会員の中からこのような行為をなす者を出し、しかも研究者相互の批判によってこれを防ぐことができず、わが国の考古学の信頼を大きく傷つけたことを深くお詫びしました。そして会則に照らして藤村氏を退会せしむること、協会として研究者倫理の徹底についての検討に取り組むこと、疑念の生じた遺跡の検証を含めて、前・中期旧石器遺跡に対する自由闊達な学術的検討を集中的に行う「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」を組織すること等を表明しました。
 「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」は、2000年12月20日に準備会が結成され、翌2001年5月19日の日本考古学協会第67回総会において戸沢充則会員を委員長として正式に発足し、5つの作業部会を設けて精力的な活動を行ってきました。この間、日本考古学協会・東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会・北海道考古学会等の関連する学会と大学、問題の遺跡が所在する各自治体および文化庁等の一致協力により、当初の予想を超えるスピードで検証作業が進んでいます。それとともに当初の想定を超えるような驚くべき捏造の広がりが明らかになりつつあります。その詳細は『特別委員会報告II』にまとめられています。
 顧みれば、一部の研究者からの正鵠を射るところの多い批判がなされていたにもかかわらず、論争を深めることができず、学界の相互批判を通じて捏造を明らかにするチャンスを逸したことは惜しまれます。自由闊達で、徹底した論争の場を形成することができなかった日本考古学協会の責任も大きいと考えられます。
 日本列島における人類文化の始源という、国民にとってきわめて重要なテーマに対し虚偽の歴史像を提供することになり、それが一学説としてではなく、あたかも定説であるかのごとく多くの教科書に取り上げられ、歴史教育に大きな混乱をもたらしたことは誠に申し訳ないことです。日本考古学協会の研究発表会では、藤村氏等の研究グループの研究発表が異常に高い頻度で行われましたが、協会としては反対論者との討論を企画する等の問題意識もなく、結果的に捏造にかかわる調査を権威づけることになったことを反省しています。
 捏造事件は考古学に対する国民の期待と信頼を裏切る背信行為でしたが、とりわけ問題の遺跡の所在地で発掘調査に協力し、歴史のロマンを育み、遺跡を活かした町作りに希望を託していた自治体と地域住民を物心両面において深く傷つけることになりました。こうした方々から考古学全体に厳しい批判が寄せられるのは当然です。その一方で、この間に行われた検証発掘に当たって、どの地域でも、自治体と住民の方々が複雑な気持ちをかかえながらも、研究者のお詫びと訴えを受け入れ、科学的に真実を明らかにするという一点で快く協力がいただけたことは心強い限りであり、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。
 日本考古学協会は、捏造事件によって失われた日本の考古学の信頼を回復する上での最優先課題として疑惑の検証に総力をあげて取り組み、1年半を経て一定の成果を得ることができました。今回の事件が社会に及ぼした甚大な損害、それに対する研究者の責任は重く、なかでも日本考古学協会の責任は、重大なものがあります。真実の歴史を求めるすべての国民に対して、また日本考古学の行く末を心配しておられる海外の同学の友人に対し、日本考古学協会に結集する3,600余人の考古学研究者を代表し、心から陳謝いたします。あわせて日本考古学の信頼回復と新生のために一層の努力を傾けることを誓うものであります。
 なお、3ヶ年の時限で設置された「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」は、今折り返し点を迎えました。2002年度においては本報告書を刊行し、国内外に対する日本考古学協会の説明責任を果たしたいと思います。あわせて日本の旧石器時代史の再構築を展望する新しい検討段階に進む予定です。また、日本考古学協会として考古学研究者の倫理をめぐる討議を深め、新しい倫理綱領の制定をめざそうと思います。

2002年5月26日(日本考古学協会第68回総会)
日本考古学協会会長 甘粕健
25 2002/06/22 第8回総括部会 ■第8回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2002年6月22日(日)午後2時〜5時
場所:日本考古学協会事務所

・以下のような経過報告があった。
(1)座散乱木遺跡の発掘調査の現地説明会が6月9日に行なわれ、12日には埋め戻しが終了した。
(2)文化庁の座散乱木遺跡の取り扱いに関する検討会から、特別委員会および調査団にヒアリングの依頼があった。
(3)群馬県教育委員会および栃木県考古学会から、遺跡の検証について打診があり、部会長会議で判断する。

・6月22日の協会委員会において、戸沢委員長が健康上の理由から委員長を辞任することが了解されたという報告があり、新委員長が決定するまでは、副委員長が会務をすすめること、総括部会としては、新委員長に小林達雄副委員長を推薦することを決定した。
・特別委員会の報告書について
(1)2002年末原稿締め切り、2002年度末刊行とし、和文および欧文の体裁にする。
(2)編集委員会委員長は春成副委員長、矢島委員が補佐し、委員は各部会から1名ずつ推薦してもらう。

・今後の特別委員会の活動を見据えた部会の再編を検討することになった。
・国際シンポジウムの開催についても検討課題とする。
・岩手県ひょうたん穴洞穴の調査についての経過報告があり、できるだけ協力することを確認した。
・宮城県内の動向についての報告があった。
26 2002/07/28 第9回総括部会 ■第9回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2002年7月28日(日)午後2時〜4時30分
場所:日本考古学協会事務所

・7月27日の協会委員会において、新委員長に小林達雄副委員長が就任することが了承されたとの報告があった。
・岩手考古学会によるひょうたん穴遺跡の検証調査の計画について説明があり、特別委員会から調査委員会副委員長に矢島委員、同委員に白石委員、調査団の地層指導に菊池強一委員を派遣し、調査経費については特別委員会から補助することを決定した。
・7月22日に文化庁の座散乱木遺跡の取り扱いに関する検討会が開催され、特別委員会および調査団がヒアリングに応じたことが報告された。
・各部会から報告書の目次原案が出され、次回までに春成編集委員会委員長がとりまとめることになった。
・国際シンポジウムの開催について議論され、次回の継続審議となった。
27 2003/03/17 第10回総括部会 ■第10回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2003年3月17日(月)午後2時〜4時30分
場所:日本考古学協会事務所

・史跡座散乱木遺跡に関する調査研究委員会への対応と同委員会によって史跡指定取り消しが妥当であるという答申がなされたことが報告された。
・以下のような経過報告があった。
(1)多賀城市による検証の結果、志引遺跡は全面的に捏造、柏木遺跡については土壙1出土の73点が縄文時代の所産、他は捏造であることを宮城県考古学会とともに確認した。
(2)仙台市山田上ノ台遺跡の検証発掘の結果、中期旧石器および後期旧石器のうち1ブロックが捏造であることが確認された。
(3)宮城県教育委員会による県内の藤村氏が関与した148遺跡の検証結果を宮城県考古学会とともに確認した。

・報告書の編集状況について報告があった。
・第69回総会の特別委員会報告の内容、担当、時間等について協議した。
・2003年度の活動について協議し、以下のことを決定した。
(1)国際シンポジウムは開催せず、海外の国際学会において報告する方向で考え、欧文の報告書を刊行する。
(2)作業部会については再編することにし、正副委員長・事務局で原案を作成する。

・捏造遺跡に関する協会出版物の取り扱いについては、委員会にリストを提示し、学術資料としては不適であることを明らかにするように求める。
28 2003/05/23 第11回総括部会 ■第11回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2003年5月23日(金)午後1時30分〜3時
場所:日本大学文理学部百周年記念館2階会議室2

1.国際学会参加について
・2004年3月に開催されるアメリカ考古学会(SAA)に委員を派遣し、発表を行うことが承認された。
・発表の構成(案)は、(1)日本の後期旧石器研究の現状、(2)前・中期旧石器発掘捏造問題の検証結果、(3)日本の後期以前の旧石器の様相、(4)日本の後期旧石器の終末から土器の出現をめぐる問題とする。
・これに合わせて、発表内容にもとづいた海外で頒布できる英文の報告書を刊行する。

2.各作業部会の今後の活動について
各部会長から以下のような報告があった。
・第1・2作業部会:積極的な検証活動は終了し、部会は検証依頼などに対応する余地は残して縮小する。
・第3作業部会:関連分野との今後の共同研究のあり方を展望するために、フォーラム等を開催し、そこでの議論をもとに報告書を刊行する。
・第4作業部会:部会としての活動は終了する。
・第5作業部会:部会としての活動は終了し、再編する。
・上記の報告に関連して、岩手県金取遺跡の範囲確認調査の状況について報告があった。
・協会発行図書以外に発表された旧石器発掘捏造問題関係の記事の扱いについて議論され、協会委員会の検討に委ねることになった。

3.今後の特別委員会の活動の方向性について
・各作業部会を縮小、再編し諸課題にあたることにし、その原案は委員長・副委員長・事務局長を中心に作成する。
・今後の特別委員会では、旧石器研究の理念的方向を検討する。

4.総会の特別委員会報告について
・プログラムの確認を行った。

5.その他
・旧石器発掘捏造関係者の責任と謝罪の問題、考古学学界全体をどう改善していくか、捏造発覚以前から問題を指摘していた研究者に対する評価についての議論があり、協会委員会に伝えることになった。
29 2003/05/23 第3回全体会議 ■第3回前・中期旧石器問題調査研究特別委員会全体会議の概要
日時:2003年5月23日(金)午後3時〜5時
場所:日本大学文理学部百周年記念館2階会議室2

1.経過報告
・第2回全体会議以後の特別委員会の活動経過を、事務局矢島委員から報告。
・春成副委員長から、特別委員会の報告書『前・中期旧石器問題の検証』が完成した旨の報告があり、その概要が説明された。
・矢島委員から協会出版物における捏造関係論文・報告・記事の取り扱いについて、委員会より会告として明示・公表することとなったことが報告された。

2.総会特別委員会報告について
・矢島委員から、総会時特別委員会報告のスケジュールおよび発表者等について説明があり、了承された。
・小林委員長から、明日の総会における総括報告の概要が示され、意見交換ののち了承された。

3.国際学会参加について
・2003年度の特別委員会の活動として、国際会議開催の可能性を検討してきたが、多くの外国人研究者を招請しての会議開催は困難であることから、2004年3月開催のアメリカ考古学会に委員を派遣し、セッションを設けて発表することとしたいとの総括部会の提案を検討し、了承した。
・発表の構成は、捏造問題の検証結果のみではなく、日本における旧石器時代から土器出現期にわたる研究の現状を紹介するものとする。

4.各作業部会の今後の活動について
・第1・2作業部会は、部会としての検証活動はほぼ終了したので、残る検証依頼に対応できる余地を残し縮小する。
・第3作業部会は関連分野との共同研究のあり方を展望するフォーラム等の開催を企画する。
・第4・5部会は、部会としての活動は終了する。

5.特別委員会の組織再編について
・国際学会対応、残る検証依頼等への対応、金取遺跡発掘調査等への協力などが2003年度の特別委員会の活動として予定される。このための組織再編成は委員長・副委員長・事務局で原案をまとめ、総括部会に諮ることとした。
30 2003/05/24 第69回総会 特別委員会総括報告 ■捏造事件と考古学研究者
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括報告
2003年5月24日
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長 小林達雄

1.はじめに
 前・中期旧石器問題調査研究特別委員会(以下、旧石器問題特別委)は、2001年6月10日に結成以来三ヶ年計画で問題の検証と研究を押し進めてきた。当初の予告通り、約1年間で、ある程度の結論を得るべく努力し、昨年度の日本考古学協会第68回総会において、中間的な報告をおこなった。つまり、それまでに旧石器問題特別委の5つの部会が精力的な検証作業によって到達した見解が、東北旧石器文化研究所の元理事長・藤村新一が関与した旧石器はほとんど学術的根拠のないものと判断される、という極めて遺憾な結論を発表した。
 総会当時の期間中、国指定史跡の座散乱木遺跡の検証発掘が継続中であったため、結論は保留しながらも、やはり検証済みの他遺跡と同様に肯定すべき証拠を得ることは困難であることを予告していた。その後の最終的な結果は、予想を覆すに足る新たな根拠がなく、むしろ座散乱木遺跡についても積極的に否定せざるを得ないことが明らかになった。
 また、引き続き実施された、岩手県ひょうたん穴遺跡、宮城県山田上ノ台遺跡などの検証発掘の結果も、一部の後期旧石器時代の石器を含むものの、それ以前の前・中期旧石器の存在を証明することは出来ず、一連の捏造行為の産物と判断せざるを得ないこととなった。
 一方、こうした検証発掘とは別に、5つの部会で進めてきた作業は、いずれも中間報告での否定的な見解を超える新事実を加えることも出来ず、むしろ改めて藤村関与の遺跡と石器の全ては捏造されたものと判断されるに至った。
 ここに、痛恨の極みとともに、未曾有の不祥事について最終的な報告をおこなう。

2.捏造事件発生の背景
 日本列島における旧石器文化存否問題は、明治後半期にN.G.マンローによる仮説とその実証のための発掘調査の実践に始まる。たしかに、全国各地から多数発見されているゾウやシカなどの化石は、同時代の人類渡来の可能性を十分予想させるものである、という前提には高い蓋然性と正当性が認められる。同様な視点に立って、直良信夫の旧石器研究が続けられた。しかしながら、全国で現在2万5千個所以上の旧石器時代遺跡が知られているにも拘わらず、この二人に代表される先駆者は真正の旧石器の発見の機会を得ることが出来ずに終わった。
 こうして、敗戦後まで日本考古学は、旧石器文化は日本列島にはなかったのだ、という通念に強く支配されてきたのである。ところが、遺跡踏査を続けていた相沢忠洋が、群馬県岩宿遺跡を発見し(1946年)、明治大学考古学研究室の発掘(1949年)によって、初めて旧石器文化の発見とその後の研究の道が拓かれた。
 まさかの旧石器の存在は、多くの研究者や考古学ファンを魅了し、活発な研究が進められた。新発見の遺跡は、直ちに発掘の対象となり、日本考古学における最も活発な研究分野となった。当時の研究は、各地で蓄積されつつあった石器群の型式学的研究と編年に主力がおかれ、やがてある程度の成果をみるに至り、いわば小康状態に入った。換言すれば、一定の研究の到達点は次なる新しい課題の模索を窺いながら試行錯誤の袋小路にとどまっていた。
 1962年大分県丹生遺跡が登場し、それまで発見されていた石器群よりも一段と古い前期旧石器と目される存在が注目され、古代学協会による発掘調査が6次にわたって実施された。しかし、地質学的に年代を裏付ける結果を得ることが出来ずに中断された。
 一方、芹沢長介は佐渡の長木の礫層に包含される資料を検討しながら、やがて独自に旧石器問題の発見に取り組むに至り、まず大分県早水台遺跡の石英製石器の一群を日本列島における前期旧石器(約3万年までを後期旧石器、それ以上古い石器群を前期旧石器と定義)という考えを示した。さらに、ほぼ匹敵する年代の遺跡として、栃木県星野遺跡、群馬県岩宿D地点遺跡などの発掘に取り組み、東北大学の学生を中心に活発な研究活動が展開された。同様な観点から加藤稔による山形県上屋地遺跡をはじめ、島根県出雲地方における碧玉製石器群などが報告された。
 しかしながら、旧石器研究者の間には、それらが人為的な加工品か、自然の営力による剥離痕を有するものか、という事実をめぐって賛否両論相譲ることがなかった。疑義を表明した代表は杉原荘介(1967年)であり、それ以降前期旧石器問題は推進派と否定派あるいは傍観者の対立状態が続くこととなった。
 この膠着状態を打開しようとする研究の取り組みの延長線上に、このたびの前・中期旧石器問題がある。
 つまり、この問題は、少なくとも1975年の石器文化談話会の結成と活発な活動が契機となったのである。純粋に旧石器文化の解明を目的とする若手研究者の団体であり、これがいわゆる捏造事件の直接的な引き金になったことを意味するものでは勿論ない。しかし、この学術団体の活動の最も重要な成果として矢継ぎ早に学界に送り出して来た25年間に及ぶ責任は極めて大きいものと言わざるを得ない。さらに重要問題について文字通り易々諾々として容認を許して来た学界もまた厳しい反省が必要とされる。
 しかも、一方ではこうした研究に対して、小田静夫とC.T.キーリおよび竹岡俊樹や角張淳一らの一部研究者から疑義が提起されていたにも関わらず、学問的論争の場へと止揚出来なかったことは、学界の重大責任として認めなくてはならない。

3.前・中期旧石器問題の発生
 前・中期旧石器問題は、旧石器文化談話会およびその発展的解消の上に成立した(NPO)東北旧石器文化研究所に所属する藤村新一による一連の遺跡捏造行為に関わるものである。
 そして、それによって惹起された問題は考古学界のみにとどまらず、博物館や教科書、その他さまざまな分野に与えた社会的影響がある。
 それ故にこそ、この問題を厳粛なる事実として認識し、今後の新しい展望を見極める決意と実践が必要とされたのである。
 本問題は、長い潜伏期間の末に2000年11月5日の毎日新聞によるスクープで明らかにされた。まさに、それまで蓄積されて来た前・中期旧石器問題の終わりを告げるとともに、新たな課題の始まりを意味するものであった。
 発掘調査中の宮城県上高森遺跡において、藤村が早朝に石器を埋めこむ現場の有様をはっきりとカメラが捉えていた。同時に北海道総進不動坂遺跡の捏造行為を自ら認めた。その時、同席した東北旧石器文化研究所理事長の鎌田俊昭、理事の東北福祉大学梶原洋の2人は、しかし他の遺跡はそうした行為とは無関係であると断言していた。
 しかし、その発言は決して確たる根拠に裏付けられた保証を欠き、むしろその場しのぎの苦哀の言であることを思わせるものがあった。まさに一過性の事件ではなく、予想をはるかに越えた根深い大問題と認識されたのである。

4.前・中期旧石器問題調査研究特別委員会
 学界を揺るがすこの重大な事態の出来に鑑みて、日本考古学協会委員会は2000年12月20日、前・中期旧石器問題調査研究特別委員会(略称、旧石器問題特別委)準備会を設置し、約6ヶ月の準備期間を経て、翌年6月10日、正式に発足する運びとなった。
 委員長は戸沢充則、副委員長に小林達雄、春成秀爾が選任され、以下の5つの作業部会の構成をとり、各々に部会長が当てられた。なお、2002年6月22日、戸沢委員長は辞任し、同年7月27日、小林が委員長に就任した。

■第1作業部会−−遺物検証
 部会長 小野 昭
■第2作業部会−−遺物検証
 部会長 白石浩之
■第3作業部会−−検証技術開発
 部会長 矢島國雄
■第4作業部会−−型式学的研究
 部会長 松藤和人
■第5作業部会−−研究方法論研究
 部会長 春成秀爾(9月12日に安蒜政雄に変更)

 旧石器問題特別委は、約1年間を目途に一定の結論の見通しを得ることとし、各部会毎に検証作業に着手し、継続された。
 その間、関係自治体や地域研究団体もまた独自に体制を組織するなど、検証が進められた。また、山形県袖原3遺跡や宮城県上高森遺跡や北海道総進不動坂遺跡の検証発掘および関係遺跡の石器観察による検証作業が実施された。そして、何れにおいても旧石器としての肯定的な証拠はなく、おしなべて否定的な判断へと傾いていった。
 こうした検証の内容は、『前・中期旧石器問題の検証』の各論に報告されている通りである。

5.藤村新一との面談
 検証対象の遺跡について、旧石器問題特別委の各部会による検証作業は、あくまでも第三者によるものであり、自ら限界がある。勿論真剣な取り組みによって正体への接近のための方法論を開発するなど相当程度の成果をあげることが出来た。しかし、直接の当事者による説明を抜きには、どうしても越えられない壁があることも事実である。戸沢委員長は、そのための試みを探り、藤村との5回にわたる面談に成功した。
 しかし、藤村は「心身のバランスを崩す、ある病気」の状態にあり、必要十分な時間をかけて疑問点を詳細に糺すことは不可能であった。しかし地道な努力が、その限界を次第に破り、ようやく北海道4,岩手県2,宮城県14,山形県6、福島県2、群馬県3、埼玉県11、の合計42遺跡の捏造を聞き出した。だが、東京都多摩ニュータウンNo.471−B遺跡など、ほかに関与の事実が明白な遺跡については告白遺跡リストから抜けているものが依然として残されているなど、告白内容は完璧なものではなかった。例えば、文化庁調査による藤村関与遺跡は55遺跡である。また、第5作業部会(研究史・方法論)が、石器文化談話会などの記録類の分析から藤村と会員が踏査した遺跡は、遺物発見が不成功に終わったものを含めて58遺跡にのぼり、その全てが網羅されていたわけではない。
 いずれにせよ、捏造工作を告白した遺跡が各部会の検証作業による否定的な見解と合致するものであり、したがって藤村関与遺跡のすべてが学術的資料としては価値のないものと積極的に判断せざるを得ない結果が明らかとなったのである。
 なお、第5部会によれば、藤村関与遺跡が、1972年12月から始められた可能性を否定できないという見解の示されていることは今後の検討課題となる。

6.検証調査の内容
 検証作業は旧石器問題特別委の発足以来2003年5月現在までの2年にわたって継続されてきた。約1年後の昨2002年5月26日、日本考古学協会第68回総会において中間的報告をした。この時点で、藤村関与の遺跡・遺物が全面的に学術資料としての価値は認められる可能性のほとんどないことの判断を示した。
 また、こうした不祥事を内に抱える日本考古学協会は、深い反省とともに、そうした事態を阻止し得ず世間のいろいろな方面に影響を与え、迷惑をかけた責任の一端を自覚し、謝罪した。
 それから、さらに約1年間にわたる検証作業によって、2003年度の日本考古学協会第69回総会を機に、最終的な報告書を刊行し、改めて藤村関与の前・中期旧石器はすべて捏造の産物であり、学術的価値を有しないことをはっきりと結論づけるに至った。
 なお、旧石器問題特別委は、本年度においては3ヶ年計画の最終年度として、検証に関わる課題の整理と今後の展望を検証することとしたい。また、多数の研究者が参加する国際的な学会において、特別なセッションを設け、過去に国際学会で発信して来た前・中期旧石器問題を総括し、訂正と釈明および日本列島の旧石器文化研究の現状を発表する機会を模索中である。

(1)遺跡の検証発掘
 これまでに、福島県一斗内松葉山、山形県袖原3,埼玉県秩父遺跡群、北海道総進不動坂、宮城県上高森、同座散乱木、同山田上ノ台、岩手県ひょうたん穴の各遺跡で検証発掘が行われた。その結果は、全てにおいて、確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠はなく、むしろ捏造行為を明らかに証拠立てる石器埋めこみ器具の痕跡あるいは地質学的観点からすれば文化層の存在し得ない火砕流中からの出土を装うなどの明白な工作の痕跡などが確認されている。つまり、検証発掘のいずれもが、前・中期旧石器の一切の可能性を否定する結果となった。
(2)石器の検証
 検証対象の石器群には、本来の包含層中の原位置に遺存した状態に反する不自然な資料が高い比率で混在していることが明らかとなった。とくに、1)地表面に浮き出していたがために二次的についたと推定される農機具などによる鉄の線条痕や新しい干渉によるガジリと呼ばれる傷などが有力な判断の手がかりとなることが判明した。2)埋納遺構からの出土とされた石器に、地表の黒土が付着している例があった。3)前・中期旧石器には未発達と考えられている押圧剥離が認められる例が少なからずあった。4)同様に加熱処理をして剥離作業を容易にしようと意図した痕跡をもつ例があった。
 いずれも、縄文時代石器の表面採集品の埋めこみなどの手口を推定させる根拠となるものである。

7.座散乱木の検証発掘
 前・中期旧石器時代遺跡の中で、国指定史跡の宮城県「座散乱木遺跡」は特別な意味を有するものであった。
 第1に、1976年から1981年までの三次にわたる発掘は、前・中期旧石器問題の先駆けとして、それ以降の問題との継続と増殖の原点をなすものである。第2に、岡村道雄の主導による『座散乱木遺跡発掘調査報告書III』(1983)の刊行後、1997年には国史跡として指定された。これによって名実ともに学術的価値の評価が定着し、より一層問題の加速と深化の進行を促す結果につながる契機となった。
 「座散乱木遺跡」は、前・中期旧石器問題における中核であり、この検証はまさに本陣攻略の意味がある。そのため、日本考古学協会が主体となり、文化庁、宮城県教育委員会、岩出山町、宮城県考古学会の協力体制で発掘が計画され、2001年4月26日から6月14日まで実施された。したがって、日本考古学協会第68回総会における旧石器問題特別委の報告では中間的な報告を余儀なくされたのである。
 結局、最終報告は岩出山町において考古学的にも地質学的にも学術的価値がないという明確な判断の発表となった。
 この結果を受けて、文化庁はさらに独自の調査研究を行い、12月9日に国指定史跡の解除がなされた。

8.課題
 前・中期旧石器問題は、誰一人として予想もしなかった、あるいは出来なかった異常な事態である。まさに学問の領域が否定され、蹂りんされたほどの重大な意味をもつ。これを単なる一個人のなせる憎むべき所業と断ずるのは容易であるが、それでは済まない。充分熟慮して今後の新しい展望につなげていく覚悟が必要である。
(1)張本人の責任
   検証の進行とともに、藤村の独り芝居の実態が明らかとなった。このことは動かし難い事実である。石器文化談話会から東北旧石器文化研究所を舞台として共に歩んできた仲間の非憤慷慨は痛いほど理解できる。その手口の巧妙さ、計画性、悪らつな心根など憎みても余りある言葉で、無念を押し殺している。何とも罪な所業に及んだものか。
 しかしながら、この考古学界にあっては、何人の予想をも超えた理不尽な捏造行為は断じて許すべからざるものであり、2001年5月19日、日本考古学協会総会は藤村を退会させる処分を決定した。
 その一方で、藤村は独り孤立していたのではなく、仲間を意識しながら生きていたことを忘れてはならない。彼は仲間の眼を自分に向けて欲しかった、極くありふれた思いが、迷い込ませるに至った初期の精神状態が、そのまま抑止力のきかないままに、ついとり返しのつかないさらなる行動に走らせた可能性を考える。
(2)第一次関係者
 検証を通してみれば、あっけないほど他愛のない仕掛けにだまされていたことは明白な事実である。個人的にも親交を重ねながら、好人物と受けとめていた一人としても、直接いくつもの石器や崖面や発掘現場を共有して来た者はもちろん、多数が前・中期旧石器問題の関係者である。
 関係者のなかでも、とくに時間の共有の度合いや志を確かめ合いながら行動即ち発掘をして来た者は第一次関係者である。しかし信頼を裏切られたという側に立ってだけいることは許されない。このことは図らずも、藤村を永年にわたる捏造行為を中止することなく持続させる暗黙の圧力にもなっていた可能性に思いを致す必要がある。
 石器の検証が始まるや、たちまち黒土の付着やガジリや鉄線条痕の不自然さが暴き出された事実の前に、厳しい反省が必要とされよう。とりわけ、早くから件の石器の産状や石器自体について疑義を表明してきた研究者がいたにもかかわらず、耳を貸さなかった責任は大きい。
 しかしながら、事態の重大さを確認し、自らの責任を明確にし、さらに問題解明のために本特別委に対して全面的に協力され第一次関係者としての責任を果たそうと努力された。
(3)第二次関係者
 前・中期旧石器を実見したり、実見しながらも良くは観察しなかった者も、毫の疑念も抱くことなく認めて来た者も、いずれもはっきりとした関係者としての自覚が要求される。ときには、率先して新発見の意義を評価し、折に触れ吹聴の御先棒をかついで来た経緯を充分に自覚しなければならない。
 つまり、研究者の一部は、世間一般の考古学に関心をもつ人々に対して、積極的に紹介の役を果たして来たことは再三再四にとどまらない。少なくとも筆者をはじめ、第二次関係者としての意味を正しく認識する必要がある。
(4)対極者
 前・中期旧石器に当初より疑問点を発していた小田静夫、C.T.キーリ並びに最近になって否定的意見を発表し、周囲の研究者にシグナルを送り続けていた竹岡俊樹、角張淳一、馬場悠男らは改めて評価されなければならない。
 こうした幾度にもわたる警鐘にも拘わらず効を奏しなかったのは、明らかに囲りの研究者の怠慢と力不足である。その一方で、賛同派の眼を覚ますことに性急なあまり、文章など公に発信する際に表現が激しすぎたのが逆効果に働いたことも事実と思われる。そうした場合には、人間は思い通りには客観視出来ないばかりか、内容の吟味の前に拒絶反応を起こすことさえある。
 個人的事情を超えた人間としての性のしからしむるところである。
(5)行政関係の課題
 本問題については、文化財を管轄する行政の対応の課題がある。有体に言えば、ことの重大さの意識に欠けるところはなかったのか。事件発覚後の埼玉県当局の迅速な対応と、宮城県や文化庁の初動対応の仕方との間には、大きな差があったことを、戸沢前委員長は指摘している。少なくとも、相応の責任の自覚に基づく、より迅速な具体的対応措置が期待されたところであった。
 もっともその後、座散乱木遺跡ほかの検証発掘・実現のために文化庁をはじめとする関係自治体は改めて積極的に取り組み、問題解明に成果をあげたことは銘記すべきである。
 また文化庁は今後の旧石器時代遺跡の史跡指定に際しては、特別に調査研究委員会を設けるなど慎重な対応をとることになったのは評価されよう。

9.おわりに
 前・中期旧石器問題は、日本考古学界が初めて経験する衝撃的な事件であった。とくに考古学が自らの力で問題の所在を突きとめたのではなく、まさに毎日新聞のスクープによって眼を醒まされるまで太平の夢の中にいたという事実は重ねて大汚点となった。通常は考古学に関わる問題を逆に正しく発信すべき側に立つべきであったし、その危険な状態は2000年7月の段階で、インターネット上に具体的に論じられていたのに、真向から取り組む姿勢を欠いたことを、まず反省しなくてはならない。
 その理由について、石器研究の基礎的な学力に問題があったことも確かな事実である。さらに重ねて、10万年単位で次々と古くなる遺跡がタイムマシーンのレールに乗った状況を思わせるほどに発見され続けて来たことの異常さすら許してしまっていた。それにしても世界的観点からみても、極めて重大な人類史に関わる遺跡に対する取り組みが慎重さを欠き、捏造を見逃してしまうほどの杜撰な発掘がまかり通ったことも悔やまれてならない。
 こうした点は、明らかに日本考古学の信用を失わせるものであり、改めて厳しく戒めなくてはならない。
 しかしながら、旧石器問題特別委の検証は、後追いしながらも問題の所在を正しく認識し、いまや毫のあいまいさもなく、当該石器群と遺跡の全てが学術的には根拠のないものであったことについて断定を下すことが出来た。そこに至る方法論も獲得し、有効に実績をあげることが出来た。今後さらにそれを深化させていくことによって、石器認識をより確固たるものとすることを期待し得る。
 なお、日本考古学界における未曾有の不祥事を学界の強い閉鎖性との関連性に由来すると考える向きもある。しかし、とくに考古学界に固有の性質ではなく、学問する個人間の特殊性あるいは一回性の事情が絡んだケースとして理解される場合も少なくない。たとえそうした傾向が若干みられるとしても、すでに今日の学界全体の空気は大幅に開放的であることは確かな事実であり、そうした弊害は急速に解消されてゆくであろうことを確信するものである。

2003年5月24日
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長 小林達雄
31 2004/01/11 第12回総括部会 ■第12回 前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括部会の概要
日時:2004年1月11日(日)午後3時〜5時
場所:日本考古学協会事務所

1.金取遺跡の発掘調査について、矢島國雄・佐川正敏・菊池強一委員から報告があった。周辺部のみの発掘であったためか、前回出土の石器群と一連の遺物は検出できなかったが、北原テフラと洞爺テフラは確認された。
2.長崎県平戸市の入口遺跡の件は、小林達雄委員長がその訪問の印象を報告した。
3.3月31日からカナダ、モントリオールで開催されるアメリカ考古学会(SAA)総会で、捏造問題の検証を含む日本の旧石器研究の現状を発表するための分科会を行いたいとの申請が通った。申請にあたり、各発表の要旨は提出済みで、これらは、会場で購入できるアブストラクト集に掲載される。さらに英文予稿集を刊行し、当日会場で配布する予定である。この分科会の組織担当者は矢島委員と井川史子氏(在モントリオール)、議長は佐々木憲一会員。日本語原稿については現在、佐々木会員が鋭意英訳中。これらに加えて小林委員長が、この分科会の意義を冒頭に説明する。なお、これらの発表の成果を欧文学術雑誌にまとめて投稿すべきとの意見が小林委員長より出され、佐々木会員からAsian PerspectivesまたはJournal of East Asian Archaeologyを考えてはどうかという発言があった。
4.アメリカ考古学会(SAA)分科会での予稿集は、図表をふんだんに入れるので一人あたりの発表原稿を20頁として、A4判100頁位の冊子を予定する。当日100部配布するとして、合計300部印刷することで合意した。
5.特別委員会の委員全員には、分科会参加を呼びかける連絡をする。会員への呼びかけは、3月発行の会報と協会ホームページを利用する。
6.隣接諸科学との共同研究のあり方についてのフォーラムを3月下旬に明治大学で開催する予定である。シンポジウム記録は特別委員会編集で刊行する。
7.5月の協会総会で特別委員会の最終報告を行う。アメリカ考古学会総会参加の後、総括部会を開き、皆の意見を集約しとりまとめる。次回の総括部会は5月8日(土)午後3時を予定する。
  以上

第69回アメリカ考古学会年次大会は下記の要領で開催されます。
参加希望の方は各自お申し込み下さい。
  Society for American Archaeology 69th Annual Meeting
  March 31−April 4, 2004
  Palais des Congres de Montreal, Montreal, Canada
下記のアメリカ考古学会のホームページにプログラムが示されています。また、このホームページから参加登録できます。
  http://www.saa.org/meetings/prelimProgram.html

アイコン日本考古学協会
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