前・中期旧石器問題

 2000年11月5日驚天動地の事件が起きた。それは東北文化研究所の藤村新一による前・中期旧石器・遺跡捏造事件が毎日新聞の一大スクープとして報道されたことである。この事件によって考古学の社会的な信用は大きく失墜し、母胎となった日本考古学協会の責任と研究者の倫理が大きく問われた。この事件発覚を契機として日本考古学協会は直ちに藤村を日本考古学協会の名誉を傷つけ、かつ容認できないものとして会則に照らし退会させることを決定した。そのうえで今回疑念が取り上げられた前・中期旧石器の遺跡の検証を自由闊達に学術的研究が集中的に行える場としての「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」の必要性を直ちに決め、その準備会として「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会」を立ち上げた。考古学を中心に人類学、地質学の研究者を含めた11名の委員で準備会を構成し、(1)前・中期旧石器の諸遺跡に対する捏造の事実認定調査の支援、学会としての必要な助言、調整、(2)前・中期旧石器時代研究の現状の総括と課題、研究の論点を明らかにして、方法論の確立と研究、調査体制の整備を進めることを目的として2001年の日本考古学協会総会で承認され、特別委員会準備会が発足した。
 この前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会は2000年12月から2001年5月にかけて6回開催された。藤村が関与して発掘調査された15の自治体・研究機関に当該遺跡の調査概要、検証、再調査の計画などについて調べた。
 その結果、福島県安達町一斗内松葉山遺跡の検証調査の参加、藤村コレクションの実見、上高森遺跡、座散乱木遺跡、馬場壇遺跡、原セ笠張遺跡から出土したとされる石器資料のガジリ痕、褐鉄鉱付着痕、摩滅痕、加熱痕などの実態調査を行った。
 2001年5月の日本考古学協会総会で「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」が設置された。委員長に戸沢充則(2002年7月から小林達雄)、副委員長に小林達雄、春成秀爾、第1作業部会(遺物検証)小野昭部会長・大沼克彦・菊池強一・久保弘幸・佐藤宏之・佐藤良二・佐川正敏・竹岡俊樹・鶴丸俊明・春成秀爾・御堂島正・山田晃弘
第2検証部会(遺跡検証)白石浩之部会長・阿部祥人・稲田孝司・大竹憲昭・菊池強一・木村英明・小林達雄・佐川正敏・渋谷孝雄・諏訪間順・辻秀人・戸田哲也・藤原妃敏・山口卓也・山田晃弘・柳田俊雄
第3検証部会(検証技術開発)矢島國雄部会長・小野昭・中村由克・藤田尚・町田洋
第4検証部会(型式検証)松藤和人部会長・伊藤健・小畑弘己・角張淳一・砂田佳弘・竹花和晴・中川和哉・萩原博文・藤波啓容・藤野次史・麻柄一志
第5作業部会(研究方法論研究)安蒜政雄部会長・石橋孝夫・植田真・岡安光彦・織笠昭・坂井隆・佐々木和博・清水宗昭・勅使河原彰・平口哲夫の5作業部会が組織され、3ケ年かけて調査を実施した。
 戸沢委員長は藤村に5回にわたる聞き取り調査した。以下に記したように42遺跡の捏造を告白した。該当遺跡の所在する各自治体にアンケート調査を実施することになった。
北海道:計4遺跡 総進不動坂、下美蔓西、天狗鼻、美葉牛
岩手県:計2遺跡 ひょうたん穴、沢崎
宮城県:計14遺跡 座散乱木、馬場壇A、高森、上高森、中島山、高山館2、青葉山E、沢口、薬莱山No.39、薬莱山No.40、安養寺2、大谷地(Ⅱ)、前河原前、蟹沢Ⅱ
山形県:計6遺跡 袖原3、袖原6、上ミ野A、山屋A、浦山、金沢山新堤2
福島県:計2遺跡 原セ笠張、一斗内松葉山
群馬県:計3遺跡 下川田入沢、赤見峠、中山峠
埼玉県:計11遺跡 小鹿坂、長尾根、長尾根北、桧木入、十三仏、並木下、音楽堂裏、中葉山?、万願寺、寺尾Ⅰ、寺尾Ⅱ
 第1作業部会の検証調査の結果は藤村が関与した28遺跡の1100点以上の石器を調べたところ、正常な出土状態ではありえない不自然な傷が付いた石器の割合が高いことがわかった。また石器の表面には黒色土が付いていたもの、新旧の風化度をもつ石器や、褐鉄鉱の付着した石器が目立ち、学問的な資料としての要件を欠く資料との結論に達した。
 第2作業部会では藤村氏関与の遺跡での検証発掘調査を実施したところ藤村氏が埋めた石器が再発掘されたが、ヘラのような工具で半開きにしてその中に石器を挟み込み足で地固めして捏造をしていたことが分かった。石器の出土状態は跡型が不明瞭で、明瞭なインプリントを有していないことが確認された。また上高森遺跡での35~60万年前の埋納遺構や建物跡については検証調査の結果、マンガンや酸化鉄によるまだらの変色または地震による液状化現象によるひび割れによる誤認、あわせて埋納遺構とする底面には工作された痕跡があり、捏造と判断された。また本来生活できない水生堆積層中や火砕流の地層中から石器が出土したことは捏造であることを明らかに示すものであることが地質学者との連携で明らかになった。
 第4作業部会では前・中期旧石器と縄文時代の石器を型式学的に比較検討し、東北地方の縄文時代の石器に類品を見出すことができることを分かった。
 第5作業部会では藤村の長期にわたる古い記録、メモ、証言の再現から藤村が長きにわたって捏造行為をしていたことを把握した。
 2003年5月小林委員長より前・中期旧石器問題調査研究特別委員会総括報告が第69回総会(日本大学)にて行われた。

  1. 藤村の聞き取りによって捏造した遺跡は42遺跡とする告白であったが、文化庁の調査では藤村関与の遺跡は55遺跡で、その他3遺跡が記録類の分析から把握されているので、すべてが網羅されたものではない。
  2. 捏造遺跡の検証調査は福島県一斗内松葉山、山形県袖原3、埼玉県秩父遺跡群、北海道総進不動坂、宮城県上高森、座散乱木、山田上ノ台、岩手県ひょうたん穴の各遺跡で検証調査したが、確実な前・中期旧石器時代と判断し得る証拠は認められなかった。
  3. 二次的についた農機具の鉄の線状痕やガジリ痕の傷が付加されていた。埋納遺構から出土した石器に地表の黒土が付着していた。
  4. 前・中期旧石器に未発達と考えられている押圧剥を離認められる例が少なからず存在した。
  5. 加熱処理をして剥離作業を容易にしようと意図した痕跡をもつ例があった。

 また宮城県座散乱木遺跡は前・中期旧石器時代研究の先駆け的な遺跡であり、あわせて国指定史跡になった経緯から特別の意味をもっていた。この検証調査によって考古学的にも地質学的にも価値がないという結論に達し、指定史跡が解除になった。
 なお前・中期旧石器問題調査研究特別委員会編による総括として『前・中期旧石器問題の検証』全625頁が刊行され、特別委員会としての活動は終了した。

今後の展望

 日本考古学協会では全力で前・中期旧石器問題調査研究特別委員会を立ち上げて検証した結果、藤村による遺跡捏造であったことが判明したが、旧石器研究者はもちろんのこと日本考古学協会としても長くこの犯行を見逃してきた点に忸怩たる思いがある。今後二度とこのようなことが起きないように倫理規定の見直しを行い、倫理綱領を策定した。
 捏造された出土遺物の跡型が不自然であったことは先に触れたが、跡型の確認は重要な作業である。研究者は遺物の出土状態について時間をかけて観察、記録化する必要がある。捏造発覚後に実施された長野県竹佐中原遺跡の発掘調査では石器の出土状態についてビデオ撮影をしながら調査が進められた点は身近に実施可能な記録であろう。
 また捏造を見逃した要因の一つとして、周辺大陸との関連性や研究の情報交換がおろそかであったことが問われた。特別委員会が解散した後は日本考古学協会のような大きな組織で頻繁に旧石器にかかわる大会や研究会を開催することは現実的に難しいことから、日本旧石器学会が創設された。国内の研究発表やシンポジウムは勿論であるが、周辺大陸での研究や発掘調査事例などより新しい情報を交換する必要性から中国、ロシア、韓国、日本の4か国の研究者の合意のもとにアジア旧石器協会が設けられ、持ちまわりで国際大会を開催し、研究の情報を発信している。
 また日本旧石器学会では全国の旧石器研究者の協力で旧石器時代の遺跡数を調査したところ12,000ケ所が確認された。これらの遺跡の多くは後期旧石器時代に相当するものであるが、中期ないし前期旧石器時代に相当する遺跡の多くは人骨の共伴が認められないことや出土遺物の包含する地層が不明瞭であること、そして何よりも石器か自然石か判別が難しい課題を残している。長年芹沢長介氏が発掘調査した栃木県星野遺跡においても珪岩製石器が人工品か否か決着がついていない。日本列島にいつ頃人類が渡来し、旧石器文化の基層を創りだしたのか大変重要な課題を抱えているので、より確実な遺跡の発掘調査が期待される。この場合周辺大陸の知見と学際的な研究を見据えた研究であることは言うまでもないことである。
 なお捏造の再発防止の一つとして、日本学術会議史学委員会2011年による「歴史学・考古学における学術資料の質の維持・向上のために-発掘調査の在り方を中心として-」の提言を会報に掲載し、協会員に周知化をした。とりわけ発掘調査の学際的な研究の必要性や専門性を重視した発掘担当者の育成や配置、資格制度など積極的な提言がなされている。そのことは結果的に捏造を起きない、起こさせない土壌を醸しだすことにつながる。また日本考古学協会理事会でも埋蔵文化財保護対策委員会や社会科・歴史教科書等検討委員会、国際交流委員会、研究環境検討委員会の各委員会の日常的な活動で、埋蔵文化財行政や遺跡保護、社会科教科書への旧石器時代研究成果の事実記載、四学会を含む各国との合同公開講演会の開催、大学教育における考古学専攻生の育成や資格制度、そして各地域での積極的な公開講座の開催など積極的に実施していることが捏造の再発防止にもつながり、ひいては協会員の研究環境の向上にもつながっているのである。
(註)前・中期旧石器問題調査研究特別委員会の活動については別記1、大分県聖嶽問題については別に触れている。