日本考古学協会は、本年3月1日付けで有限責任中間法人として発足し、新たなスタートを切った。2004年5月22日(土)・23日(日)に千葉大学を会場として開催された第70回総会は、したがって新生日本考古学協会の第1回総会という性格をもつものであった。総会前日の21日にまず理事会と埋蔵文化財保護対策委員会全国委員会が開かれ、22日には総会と公開講演会・懇親会、23日は研究発表会と図書交換会・機器展示会が開催された。
22日の総会は、けやき会館1階大ホールにおいて9時30分に開会され、まず甘粕健会長より本協会が新たに法人として発足したことの意義を説く挨拶があり、そのあと千葉大学文学部長西村靖敬教授および実行委員長の柳澤清一教授から歓迎のご挨拶をいただいた。続いて議長団・書記を選出して議事に移り、まず前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告を報告事項の最後にまわして報道関係者が総会会場に入ることの承認を求めた。そして2003年度事業報告、新入会員資格審査報告があり、新たに146名の入会が承認された。次いで従来の20名から25名に定員改訂された理事の選挙結果が報告されたのを受けて、新会長の選出投票が開始された。引き続き、このたび大きく制度改革されることとなった日本学術会議についてと、本協会の法人化について昨秋の臨時総会以後の経過と2004年3月1日に新法人が発足したことが報告された。埋蔵文化財保護対策委員会の活動および2003年度決算・監査についての報告も行われた。報告事項の最後に、特別委員会報告が小林達雄委員長より行われた。3ヶ年にわたる活動の総括を行って本協会としての責任を果たしたとし、旧石器時代研究の将来展望にも言及した上で、本報告をもって最終報告とすること、および本総会をもって本特別委員会を解散することが提議され、質疑の後、承認された。
審議事項は、まず2004年度事業計画として、秋の大会は広島大学・広島県民文化センターを会場として開催すること、日本学術会議考古学研連との共催によるシンポジウム「モノからみた東アジアの交流−7・8世紀を中心にして−」を10月9日に奈良大学を会場として開催すること、倫理綱領の検討を引き続き進めることなどの説明があり、予算案とともに承認された。監事の選出では、新たに2名選出するにあたって任期4年と2年の各1名とする案が承認された。次に新入会員審議規定については、今回の改正は法人化に伴う字句の整理が主であり、審査基準の内規については具体的な見直し作業を進めていると説明された。その他の審議事項として、事務局次長の設置、総会声明の2件が諮られた。事務局次長の設置は法人化に伴って事務局体制の整備・強化を図るものである。また総会声明は、奈良県オオヤマト古墳群の重要性からヒエ塚古墳・ノムギ古墳・マバカ古墳を貫通する道路建設の見直しを求めるとともに、早急に「オオヤマト古墳群の国史跡指定を求める声明」と、数年来懸案となっている平城宮跡の周辺域=平城京内を貫通する高速道路計画の見直しを求め、「国特別史跡・世界遺産『平城宮跡』の保全・保護を求める声明」の2案件を承認した。そのあと、15時に締め切られる会長選挙の結果を待つために、12時30分に総会はいったん中断された。
午後の13時30分より公開講演会が開催された。まず千葉大学岡本東三教授より、東国・異界・王権などを課題として考古学と民俗学や古代史との協同の場を創出するという趣旨説明と、講師の赤坂憲雄(東北芸術工科大学東北文化研究センター所長)・吉村武彦(元千葉大学教授・明治大学教授)両先生の紹介があった。赤坂氏は、「歴史民俗学は可能か−考古学と民俗学の将来における協同のために−」と題して、「縄文時代の日本」という物言いや水田稲作を基準とする弥生文化理解を取り上げて、考古学は果たして文書史料に立脚したヤマト中心史観の呪縛から自由たり得ているかという問いを発した。「公」に偏るヤマト中心史観に替わって、「私」の世界から組み上げる歴史を構成するには、民俗学と考古学・歴史学とが協同しなければならないと説く。また、吉村氏の演題は「ヤマト王権とアヅマ・ヒナ」で、ヤマト王権の成立時期と政治的センターの認定方法に古代史と考古学とで著しいズレがあることを指摘するとともに、『古事記』にみえる「アメ−アヅマ−ヒナ」の世界観がヤマト王権の統治原理であり、考古学的にどう表れるのかを検討するよう求めた。両氏とも、これまで考古学との協業を推進して、旧来の各学問体系を脱構築する実践を積み上げてきた方であり、私たち考古学界に厳しい注文をつきつける講演であった。
公開講演会が終了したのち、17時に総会が再開された。会長選挙の結果、田村晃一理事が会長に当選したことが報告された。直ちに就任挨拶があり、法人化とはまさに社会的責任を問われる存在となることだと強調された。また、新旧理事が登壇して紹介され、17時20分に総会が閉会した。
17時30分から、けやき会館3階レセプションホールに会場を移して懇親会が行われ、全国各地から多数の会員が集い、多彩な懇談が繰り広げられた。
翌23日の研究発表は、67件という多数の申込みがあり、4会場に分かれて同時進行することとなった。しかも1件あたりの発表時間は質疑込みで25分。さらに20分経過したら次の発表者がパワーポイントの立ち上げを準備するというハードスケジュールとなった。PCを用いる発表が8割と激増したために、急遽進行の段取りを軌道修正するなど、実行委員会には難しい対応をお願いすることとなった。第4会場では海外の調査研究が16件もあり、近年の日本考古学界がその研究対象を大きく広げたことを実感することができた。しかし一方で、ある出席会員が、全体に報告内容の細分化が著しく、分散的な印象を受けたので、研究発表の方法や構成を思い切って検討し直すベきではないかと述べる状況であった。発表者と直接議論できるポスターセッションなど、発表形式を含めて検討が必要であると感じた。
図書交換会と機器展示・販売は、3会場に分かれて10時から15時まで開催された。実行委員会によって作成された冊子『図書交換会交換図書リスト』によると、図書頒布は150団体にのぼり、機器展示・デモ・販売は7社であった。
なお、けやき会館3階中会議室では、千葉大学考古学研究室が調査された館山市大寺山洞穴遺跡・沖ノ島遺跡、勝浦市こうもり穴洞穴遺跡などの出土遺物と、千葉市園生貝塚など千葉大学地理学資料標本室所蔵資料の展示も行われ、参加者の注目を集めた。
2日間の参加者は、22日会員366名・一般66名、23日会員636名・一般788名で、両日合わせて会員1,002名・一般854名、合計1,856名にのぼった。
以上のように、本総会は多数の参加者・研究発表・図書頒布となり、それまでの準備と当日の運営は大変な労苦を伴ったに違いない。千葉大学スタッフと千葉県内協力者からなる実行委員会の方々には心より感謝申し上げたい。
日時:2004年5月22日(土)
会場:千葉大学けやき会館1階大ホール
午前9時30分、司会進行から、出席者107名、委任状1,272通(計1,379名)で総会成立要件の会員数の8分の1以上を満たしていることが報告され、第70回総会が開会された。開催にあたって、会長・千葉大学文学部長・実行委員長が挨拶し、議長と書記が選出されて、議事の進行にあたった。
現在の会員数は、3,808名であることが報告され、2003年度の物故会員21名に対して黙祷が捧げられた。その後、総会資料1[2003年度事業報告]に基づき、総会・大会・委員会(3月以降は理事会)等の開催報告、定期刊行物(年報・会報・機関誌)の刊行報告、新入会員資格審査委員会の開催報告、理事選挙の結果報告、法人化の経過報告、陵墓問題について報告された。
質問:会費未納者が会員から外れるとは、どのような意味であるのか。
回答:会費未納により会員資格を失ったという意味である。
委員長から、2004年度新入会員の入会申し込みは149名あり、厳正な審査の結果、146名が基準を満たしていると認められたことが報告された。当日、会場に来た新入会員は壇上で紹介された。
選挙管理委員会から、表1・2に基づき報告があった。16名の選挙管理委員による開票の結果、有権者数3,829名中、投票者数1,163名、投票率30.4%、有効投票者1,153名、無効投票者10名、記名欄数11,226票、有効欄数11,208票、無効欄数18票、無記名欄数6,069票であったことが報告され、25名の当選者の名前が公表され、当選者全員が理事に就任することを承諾した旨の報告があった。本報告に対して質疑はなく、拍手をもって承認された。
その後、会長選挙に入った。選挙管理委員が投票箱をもって会場を回り、会場入口に投票箱が設置された。投票締め切りは午後3時であり、投票結果は公開講演会の終了後に公表することになった。
日本学術会議の改革に関する法案が4月14日に参議院を通過し、平成17年10月1日より施行されることになった。新しい法案では、[1] 日本学術会議の会員が会員を選考するようになり、[2] 70歳定年制が導入され任期を3年から6年に延長(3回まで再任可)、[3] 3年ごとに半数会員が改選されること、[4] 現行の7部制から人文科学・生命科学・理学及び工学の3部制となること、[5] 緊急の課題や新たな課題を調査審議し、日本学術会議の会員と連携して職務の一部を行う連携会員を新設、[6] 現行の運営審議会を幹事会に改組し、職務・権限の一部の委任を可能とすること、[7] 会長の補佐機能を強化し、副会長1人を増員すること、[8] 所管が総務省から内閣府に移管され、総合科学技術会議と連携し、わが国の科学技術の推進に寄与することが報告された。
また、本年10月9日に考古学研究連絡委員会主催のシンポジウム『モノからみた東アジアの交流―7・8世紀を中心にして―』を奈良大学で開催することが報告された。
2003年度大会に合せて、滋賀県立大学で臨時総会が開催され、有限責任中間法人日本考古学協会定款案、および法人化に伴う出資金返還請求権の譲渡、財産引き継ぎについて審議され、これらが承認されたことから、有限責任中間法人日本考古学協会の設立が決議された。法人化に伴って、従来の委員20名から理事25名の体制に移行すること、事務局の体制・理事の責任・運営の問題などが残ることが報告された。
総会資料1[埋蔵文化財保護対策委員会報告]に基づいて活動内容が報告され、補足説明として、全国委員会、幹事会、夏期研修会、情報交換会等の内容が報告された。
質問:オオヤマト古墳群の声明(案)の2ヶ所に不適当な用語が使われている。また、平城宮跡の声明(案)については、歴史的景観が著しく改悪することよりも、遺跡や遺構の保存に重点を置いた方がよいのではないか。
2003年度は3月から有限責任中間法人に移行したため、収支計算は4月1日から2月29日までは従来の会計報告、3月1日から31日までは商法に基づく会計報告で処理したことが報告され、総会資料に基づいて説明された。
次に監事から、適正に運用されている旨の監査報告があった。
決算報告並びに監査報告について、拍手をもって承認された。
2000年11月の事件発覚以来、2001年5月に本委員会が設置され、委員長自ら藤村元会員との面談を行ったり、2004年4月に文部科学省の科学研究費補助金で座散乱木遺跡の検証発掘を行うなど、ねつ造事件の検証作業を進めてきた。2003年5月に新委員長となって、ねつ造事件の検証作業を進め、最終的に藤村元会員が関与した168遺跡をねつ造と判断した。
また、本年4月3日、カナダのモントリオールで開催されたアメリカ考古学会のセッションで、ねつ造事件を含む日本の旧石器研究の現状を説明した。80名の参加があり、参加者のコメントの多くは、ねつ造事件に対する日本考古学協会の対応を好意的に評価していた。これに先行して、本委員会の最後の活動として、3月に自然科学の領域の研究者と今後の共同研究の進め方および将来の展望について協議した。
日本考古学協会は、こうしたねつ造事件の検証作業をすることにより、その責務を果たしたことから、本日付けで本委員会は解散するとの報告がなされた。
質問:ねつ造とわかり、抹消された遺跡の石器に前・中期の石器が入っている可能性があるのか、また本会で研究発表された遺跡や遺物については、発表者や執筆者に責任があるのではないか。
回答:もし、抹消された遺跡から前・中期の石器が出土すれば、それは新しい発見となる。抹消された遺跡や遺物の発表者や執筆者の責任を問うのは本委員会の役割ではない。それは別の問題で、日本考古学協会としては、具体的に取り組んでいない。
2004年度事業計画(案)に基づいて、総会・大会・理事会等の開催計画、定期刊行物(年報・会報・機関誌)の刊行計画、日本学術会議、組織・調査、埋蔵文化財保護対策委員会、陵墓問題について説明が行われ、案は拍手をもって承認された。
予算書(案)に基づいて説明があり、その後で[1] 会費収入は新入会員の会費を含めた上で会費免除会員127名分を差し引き予算計上を行ったこと、[2] 機関誌『日本考古学』刊行に対する科学研究費補助金は昨年度より減額されたこと、[3] 雑収入は各種刊行物の売り上げを見込んで計上しているが、前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告書収入を除いた額であり、昨年度より減としたこと、[4] 収入合計は昨年より減額となっているが、これは繰越金および前・中期旧石器問題調査研究特別委員会報告書収入が無いことによること、[5] 支出科目はこれまで事業費と管理費に分けていたが、今年度から商法に則って経費として一本化してあるとの補足説明があった。これに対して次の質問があった。
質問:会費未納者が多いが、これをどう予算に組み込むのか
回答:未納金額を見込んで予算を組むということは考えていない。全員が払うという前提で予算をたてており、未納金については別に取り組む問題と考えている。
質問:別の問題とはどういうことなのか。
回答:会費未納会員に対して会費支払いの督促を行うことや回収の手だてを考えるといったことである。
質問:そのような古いやり方でよいのか。有限責任中間法人になったのだから未納会費対策についての方針をきちんと出してほしい。
この後、予算案は拍手をもって承認された。
任期が満了する監事にかわり、新監事を2名推薦する旨の提案があり、拍手をもって承認された。
主な改正点は、これまでの審議規定の3を3.委員委嘱と4.委員任期に分け、任期については2期までとしたことである。この改正により経験のある委員によって有効な審査を行うことができ、さらには事務量の軽減化にもつながるとの説明がなされた。また、新入会員資格基準に関する内規については、現在検討中であるとの報告があった。この件は拍手をもって承認された。
定款の第24条第3項の事務局職員の役職について次の提案がなされた。事務局を強化するため事務局長を補佐する事務局次長の役職を設置したいとの提案があり、拍手をもって承認された。
「オオヤマト古墳群の国史跡指定を求める声明」と「国特別史跡・世界遺産『平城宮跡』の保全・保護を求める声明」の文案について審議が行われた。
先の埋蔵文化財保護対策委員会報告時に「オオヤマト古墳群の国史跡指定を求める声明(案)」に不適当な部分があるとの指摘があった。この指摘に対して埋蔵文化財保護対策委員長が回答し、オオヤマト古墳群の北端部を縦断する県道建設は、現在、声明文(案)にある「建設計画」段階ではなく、すでに「建設実施」段階に入っていることを説明し、この不適切な2ヶ所を訂正したいとの提案があり、訂正を行った「オオヤマト古墳群の国史跡指定を求める声明(案)」が読み上げられ、この件は拍手をもって承認された。
「国特別史跡・世界遺産『平城宮跡』の保全・保護を求める声明(案)」については史跡としての重要性をもっと強調すべきとの意見がだされたが、特に変更・訂正箇所はなく、「国特別史跡・世界遺産『平城宮跡』の保全・保護を求める声明(案)」が読み上げられ、拍手をもって承認された。
12時20分、報告・審議など総会議事が一応終了し、一時休会。記念講演の後、17時から総会が再開された。
投票総数191票のうち無効票1票、白票1票があり、有効票数は189票である。投票結果は、田村晃一理事が74票を獲得し会長に選出され、大きな拍手をもって承認された。続いて、新会長から挨拶があった。
このたび、第70回総会で会長に選出されましたので、一言ご挨拶申し上げます。
日本考古学協会は本年3月1日をもちまして有限責任中間法人になりました。これは前委員会のたいへんなご努力の結果でありまして、長い間にわたって法人化をめざしてまいりました本協会の一員として、前委員会のご尽力に感謝申し上げる次第です。
また、前委員会ではその発足直後に旧石器捏造が発覚しましたが、ただちにそれに対応すべく特別委員会を設置し、的確に対応し、本年5月に行われた総会で最終的な報告を行い、一応の決着を見ました。このことに対しましても、前委員会ならびに特別委員会の関係者皆様方に深甚なる敬意を表したいと思います。
しかしながら、この旧石器捏造事件が考古学という学問に不信の念をいだかせる結果となったことは疑いありません。科学的学問としての考古学をめざしてまいりましたすべての考古学研究者、ならびにその研究者達の集団である日本考古学協会に対し、この事件が与えた打撃は図り知れないものがあると思います。登呂遺跡の発掘以来、現在にいたるまでの数多くの発掘調査の結果によって、世間一般の人々は考古学に対して明るい希望と信頼を寄せてまいりましたが、この事件はそれを根底からくつがえしてしまったといっても過言ではありません。歴史を捏造し、歪曲したこの事件に直接関与しないまでも、それを見抜けず、むしろ発表の場を与えることによって、結果的に左袒してしまったことに、協会員の一人として深く反省するとともに、協会自体としても自戒することが必要ではないでしょうか。そうした反省の上にたって、本協会がなすべきことはなんでしょうか。考古学に対する信頼をとり戻すよう努力すること、このことこそが本協会の責務ではないでしょうか。そのためには何をなすべきか。本理事会としてもその方向付けに努力したいと思いますが、またより多くの会員の皆様方のご意見をも伺いたいと考えているところであります。
さらに申し添えますと、最近、考古学あるいは埋蔵文化財をとりまく環境が憂慮すべき状況にあるということであります。その大きな原因は長引く不況という経済状況にあるといえますが、それがさまざまな形態をとって埋蔵文化財の保護という国民的課題にのしかかってきているところに、複雑で対応の難しい問題があるといえます。市町村段階における埋蔵文化財部門の弱体化問題、いわゆる発掘会社による調査の問題、博物館における学芸部問題などなどであります。本協会としてもこの問題に対して、なんらかの行動をとるべきであろうと思っているところであります。
法人として出発した日本考古学協会の前途は決して平坦ではありません。実質的に初代となる法人理事会の代表者として、この平坦ではない前途を乗り切ることができるよう、会員諸賢のより一層のご支援をお願いしましてご挨拶といたします。(了)
最後に副会長から閉会の挨拶があり、17時20分に閉会した。