世界考古学会議中間会議大阪大会は、「共生の考古学−過去との対話、遺産の継承」をテーマに、2006年1月11日(水)〜16日(月)の日程で、大阪歴史博物館を会場に開催された。
日本考古学協会は、1月12日(水)の開会式に田村晃一会長が挨拶を行うとともに、ポスターセッションに参加し、下記の日程で岸本雅敏会員(国際交流小委員会委員)、矢島國雄会員(埋蔵文化財保護対策委員会委員)が発表を行った。
【日 程】 2006年1月11日(水)全日 エクスカーションA、B 1月12日(木)午前 受付・開会式・基調講演 午後 研究発表 夜 ウェルカムパーテイー 1月13日(金)全日 研究発表 夜 懇親会 1月14日(土)全日 研究発表 夜 フェアウェルパーティー 1月15日(日)午前 研究発表・閉会式 午後 シンポジウム 1月16日(月)全日 エクスカーションB、C 【会 場】 大阪歴史博物館(大阪府大阪市中央区大手前4-1-32)
【ポスター内容】(翻訳文)
日本考古学協会の歴史は、一面では埋蔵文化財保護の戦いであったとも言える。1950年台の戦後日本の復興期、1960−70年代以来の高度成長に伴う開発の急増の中で、自らの研究資料であり、また国民共有の文化遺産である遺跡を護る活動に日本考古学協会は多大のエネルギーを投じてきた。そしてその事態は今日なお続いている。1955年の大阪府イタスケ古墳の保存運動、1962年以来の平城宮跡の保存運動、千葉県加曾利貝塚の保存運動を経て、日本考古学協会は文化財対策小委員会、埋蔵文化財保護対策特別委員会を組織し、遺跡の保存の努力を重ねてきたが、列島規模での国土開発の波に埋蔵文化財の保護はますます厳しい局面に立たされ、常設の埋蔵文化財保護対策委員会に改組拡充し、遺跡の保護・保存に取り組むとともに、埋蔵文化財にかかわる行政的な諸問題について学会として発言し続けてきている。その詳細については、『埋蔵文化財白書』1971年、『第2次埋蔵文化財白書』1981年、『日本考古学の50年』1998年、『第3次埋蔵文化財白書』2005年等を参照してほしい。
全国の埋蔵文化財の発掘調査件数は、1995年度には遂に年間1万件を越えるに至り、1996年度をピークとして11,738件の発掘調査が行われ、以後1998年度にかけて6,772件まで急減したものの、その後はまた増加に転じ、依然として8,000件を超える事前調査が続いているのが現状である。そして、その97%もが開発に先立つ事前調査であることに現状の問題は集約的に現れている。この調査費の総額もピークの1996年度には1,321億2,800万円という膨大なものとなっており、発掘調査に携わる専門職員数も6,126人となっている。2002年度では8,076件、総費用965億7,600万円、7,075人である(以上、文化庁調べによる)。
こうした調査件数の増加や調査規模の拡大の中で、相変わらず調査体制、調査精度、情報公開などの点で、多くの問題が指摘されているが、これらの問題は、文化庁、各自治体の担当者、各種関係学会の努力もあって、全体的には、次第に改善の方向に向かっていると言えよう。しかし、遺跡の保護という課題は、なお多くの問題を抱え、なかなか前進が見られないばかりか、多くの発掘調査は、開発のための事前処理化しつつあると言われている。まさに、我が国の埋蔵文化財問題は、新たな局面に突入しているのである。
現在、37万km2の国土に周知の遺跡は全国で37万ヶ所あると言われている。主要四島の中央部は急峻な山岳地形が占めていることを考えると、人間の居住好適域では1km2に数ヶ所以上の遺跡が存在するのが当たり前といってよい。無論のこと、未知の遺跡も数多く、その総数は容易に予測し難い。この埋蔵文化財の保護という問題は、遺跡・遺構というものが、まさに現在人々が生活している土地と切り離すことのできないものであるところに最大の課題があり、なおかつ、ほとんどの場合、科学的な発掘調査によらなければ、詳細かつ具体的な内容を知り得ないものであることから、地表面で視認できるものをもって、その万全な保護の方策を採ることが著しく困難であるところに起因するといってよい。このような埋蔵文化財の全てをそのまま保護し、保存するには、現在の、そして将来にわたる殆ど全ての領域での社会の活動を著しく制限しなければ実現し得ないことも明らかである。
こうしたことから考えれば、埋蔵文化財をどのように保護し、保存し、また活用するかという理念と原則を提示するのは、考古学者と考古学界にとっての重要な課題であると言える。戦前期、戦後期を通じて、多くの先学が遺跡の保護・保存に大きな努力を払われ、幾多の遺跡の保存を実現してきており、それらの活動と整備・活用されている史跡などを通じて、文化財とその保存の意義を広く一般に認識してもらう上で大きな力となってきた。
しかしながら、今日まで、この点での多くの論議があり、また少なからぬ意見の表明は行われてきているものの、十分に確固とした遺跡の保護・保存の理念、原則を提示するに至っているとは言えないのではなかろうか。少なくとも、そうした考え方について、社会的な理解を十分に得られるには至っていないと言わざるを得ない。
このためばかりではないが、埋蔵文化財の保護・保存の問題は、あいかわらず開発に先立つ緊急発掘調査の問題に集約的に見ることができる。いわゆる事前調査が、記録保存によって開発の免罪符的な役割を担い、遺跡を処理し、問題はなくなったとして、開発によって切り刻むことを許可するものとなってしまっているとの指摘は、考えるべき問題点を指し示している。
20世紀における産業・交通の止まるところを知らない急速な技術開発は、進歩・発展の名の下に、自然と文化財を常に犠牲とし続けて今日に至ってきた。これまで、少なくともそうした犠牲は補って余りある利得によって償えるものという、極めて楽観的とも言うべき歴史観、価値観が世界を支配していたといってもよかろう。
しかし今日では、化石燃料の大量消費、熱帯雨林の壊滅的消費、原子力エネルギーの利用や重化学工業の発達のもたらした大規模な自然の汚染と破壊が、遠からず人類の生存すら脅かすことになる地球環境の破壊でもあったことが、はっきりと認識されることになったと言えよう。 また、そうした人類の生存の舞台としての自然ばかりでなく、自然景観と人類がその歴史の営みの中で築いた文化の証人である文化財は、共々にそれぞれの時代や地域の人間精神を指し示すものであり、あらためて、その価値は極めて重く、大きいとの認識から出発しなければならないであろう。このように、自然や文化財の破壊は人間精神の破壊につながるものであるとの認識が生まれ、これらに歯止めをかけなければならないという世界的な動きが登場してきたものと受け止められる。自然環境や埋蔵文化財の保護・保全の問題では、すでに余りにも多くの犠牲が払われており、また日々新たな犠牲を加えているのが現実である。自然と文化財の保護・保存は、今や全地球的、全人類的な緊急課題であると認識されるに至っている。わが国においても、一日も早くその理念を実現し、自然と文化財を護る抜本的な意識改革・制度改革が望まれる。つまり、わが国の自然や文化財の保護・保存の問題も、全地球規模、全人類規模での課題の一端であるとの認識から出発するべきである。にもかかわらず、今日なお、極めて限られた地域での直接的な経済効果や少数の人間の利害に左右されて、二者択一的な思考により、しばしば自然や文化財の命は、これと比べれば極めて短期的でしかない経済効果優先、つまりは開発優先で処理されているのではなかろうか。
現在の日本ほど、高密度でかつ膨大な数の発掘調査が日々行われているところは、世界中捜しても例はないであろう。しかも、その97%が、開発に伴ういわゆる緊急調査である。確かに、かつてとは比較にならないほど、各自治体を中心とした発掘調査体制の整備は進んできたし、その学術的レベルも向上している。また、行政的な対応の地域格差も減少したとはいうものの、文化財保護行政はますます事前発掘調査による遺跡の<処理>という色彩を色濃くしつつある。これは、世界的な文化・文化遺産の保護・保存の潮流とは相容れない方向と言わざるを得ない。
そうした中で、考古学研究者としての埋蔵文化財に対する責任と研究者として依拠するべき職業倫理は何かという問題は避けて通れない問題である。これまで日本の考古学界がこの問題を避けてきたとは言わないが、必ずしも十分な関心を持ち、論議を尽くしてきたとは言えまい。ユネスコを中心とする世界の文化遺産・自然遺産保存の論議や諸活動、その結果提起されてきた宣言・条約・勧告などに対して、学界として十分な検討をし、政府や国民に対する働きかけをしてきたかと言われれば、そうした動きへの注意を怠ってきたことを反省せざるを得ないであろう。
日本を代表する考古学研究者による学会組織としての日本考古学協会、そしてその構成員である会員には、全人類とその文化遺産としての遺跡・遺物に対し、その専門研究者として、どのような倫理基準に従い、どのような責任を負うのかを、相互の討論を通じて探り、明示することが求められている。
An aspect of the history of the Japanese Archaeologists' Association may be characterized by the fight and struggle for the protection and preservation of archaeological heritages. Our premise is that archaeological sites are the cultural heritage shared by all the Japanese people. Faced with a drastic increase in the development of infrastructure in response to the post-World War II revitalization of Japanese economy in the 1950's and rapid economic growth in the 1960's and 1970's, the Association has put enormous amount of time and energy into the protection of archaeological sites. This situation has not changed even today. In response to the protection of the Itasuke Keyhole-Shaped Tumulus in Osaka in 1955, of the Nara Imperial Palace since 1962, and of the Kasori Shell Midden of the Jomon Period, the Association organized the Sub-Committee on the Cultural Resource Management and Ad Hoc Committee on the Archaeological Heritage Management to make effort to protect archaeological sites. Yet, the protection of archaeological sites has become increasingly difficult faced with nation-wide development of infrastructure. As a result, the Association reorganized these temporary committees into the standing Committee on the Archaeological Heritage Management to expand the committee's functions. At present, the Association addresses the administrative issues on the archaeological heritage management. For detail, we suggest referring to: White Paper on Archaeological Heritage Management (1970), Second White Paper on Archaeological Heritage Management (1981), Fifty-Year History of Japanese Archaeology (1998), and Third White Paper on Archaeological Heritage Management (2005).
The number of archaeological excavations conducted in a year exceeded 10,000 in 1995, and reached its peak in 1996, with 11,738 excavations. In 1996, 132 billion 128 million yen (approximately 120 million U.S. dollars) was required to cover these excavations, and 6126 full-time employees were engaged in excavations and subsequent laboratory works. After 1996, the number of excavations decreased to 1998, with 6,772 excavations. The number, however, began to increase after 1998, and recently more than 8,000 excavations are conducted every year. The serious problem is symbolized by the fact that 97% of such archaeological excavations are prior to the development and construction works; i.e. "rescue" excavations in nature. For 2002, 8076 excavations were carried out at the expense of 96 billion 576 million yen (approximately 88 million U.S. dollars), and 7075 full-time employees were devoted for excavations and laboratory works (statistics by the National Agency for Cultural Affairs).
In the process of the increase in the number of excavations and expansion of the scale of excavations, Japanese archaeologists have pointed out numerous problems, including the system of archaeological investigations, technical and scholarly skills of archaeological excavations and laboratory works, and publicizing not only archaeological data but also process of archaeological investigations. The National Agency for Cultural Affairs, officers in charge of archaeological heritage management in local government, and archaeologists belonging to various scholarly societies and organizations have worked hard to improve these problems. Yet, when it comes to the issue of the protection of archaeological sites, numerous difficult problems remain to be solved. In reality, the majority of archaeological excavations are becoming "prior ritual" necessary for development and constructions. Indeed, Japanese archaeologists are confronted with the "new phase" of problem with archaeological heritage management.
At present, some 370 thousand archaeological sites are known in Japan whose area is 370 thousand square kilometers. Since most of the land is mountainous, spatial distribution of archaeological sites is strongly skewed toward areas suitable for human habitation. In other words, far more than one site exists per square kilometer. This number excludes the existence of potentially numerous, previously unknown sites. Because areas suitable for prehistoric and historic human habitation are also suitable for contemporary human habitation, the most serious issue is that we can not separate the habitation areas of contemporary Japanese people from the location of archaeological sites. Moreover, in Japan the great majority of archaeological sites are buried underground; scholarly excavations are necessary for the interpretation of the nature of the sites. This makes it extremely difficult to take every possible measure to preserve archaeological sites without excavations. It is also apparent that the preservation of all the archaeological sites as a whole significantly limits the social activities of Japanese people at present and in the future.
Given all these difficulties, it is an extremely important task of Japanese archaeologists and the scholarly field of Japanese archaeology to present and propose the idea and principle as to how to protect and preserve archaeological heritage and how to utilize the heritage for the contemporary and future society. Japanese archaeologists value and appreciate the previous effort by scholars in the pre-World War II era and during the WWII to successfully preserve archaeological sites. Many of these sites are now restored to what would have appeared at the time of human construction and occupation, and serve as the foundation for public recognition of the significance of cultural heritage management. Yet, Japanese archaeologists must confess that we have not gained enough public understanding and support for the necessity of preservation and protection of archaeological heritages. Partially because of this, problems with archaeological heritage management become apparent whenever rescue excavations are conducted. Japanese archaeologists can not ignore a statement that these rescue excavations in fact serve as an "excuse" for the destruction of archaeological sites.
In the twentieth century, we achieved the ever-lasting technological advance in industry and transportation at the expense of natural and cultural heritages. We were dominated by an optimistic claim that these expenses were paid for by the profit we gained from the industrial and economic progress. In recent years, however, we recognize that large-scale destruction and pollution of nature as a result of large-scale consumption of fossil-fuel, tropical rain forest, and the use of nuclear energy and advance of heavy industry will sooner or later become threats to the earth. Along with natural heritage, cultural heritage is invaluable because cultural heritage has been a witness to our ancestors who saved and utilized nature for their daily life. It is also cultural heritage that gives us a clue to understanding human mind in local regions in different time periods. Therefore, we must recognize the significant value of cultural heritage. In other words, the destruction of natural and cultural heritages would lead to the destruction of human mind, which in the world we must stop. The protection and preservation of natural and cultural heritages have already claimed considerable costs and sacrifice, and the sacrifice has been increasing. We consider it as a globally urgent issue to protect and preserve the natural and cultural heritages. In Japan, we must achieve this goal as soon as possible by reforming the mind of people and the system of the society. We must recognize that the protection and preservation of the natural and cultural heritages in Japan is a part of a global issue. Yet, priorities are given to positively direct economical impact on limited regions or the profit of a few people, and on an either-or-basis, natural and cultural heritages are ignored for the sake of economic and developmental priorities.
Besides Japan, there are no such regions in the world, where large numbers of archaeological excavations of massive scale are being conducted every year. More importantly, 97% of these excavations in Japan are rescue excavations. We praise that the system of and scholarly skills of archaeological investigations in local governments have progressed, and that regional differences in administrative response to archaeological investigations has decreased. Yet, archaeological heritage management in Japan has increasingly become dominated by the aspect of "prior ritual" for the destruction of archaeological sites. Japanese archaeologist must admit that this reality is against the global trend for the protection and preservation of cultural heritages.
In this sense, we must not avoid issues of archaeologists' responsibility for archaeological heritages and of ethics as professional archaeologists. While Japanese archaeologists do not mean to have avoided these issues, it is true that Japanese archaeologists have not paid enough attention to them and have not fully discussed them. Japanese archaeologists have not fully examined statements, treaties, and recommendations proposed by the UNESCO and other organizations as results of various activities to protect and preserve cultural heritages, nor have they voiced the position of archaeologists to convince the national government and people. The Japanese Archaeologists' Association as the representative of Japanese archaeologists and individual members of the Association must seek for and publicize what kind of ethics they should follow and what kind of responsibility they should bear.