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機関誌『日本考古学』第33号

2012.5.20発行 182p ISSN 1340-8488 ISBN 978-4-642-09327-9
論文 村田幸子 summary 弥生時代絵画の一断面 1-32
論文 篠藤マリア summary 考古学データの組織的モデル化と量的分析の試み ―装飾古墳の編年を例にして― 33-51
論文 櫻井久之 summary 2つの刀剣装具による文様系統論 ―忍岡・大和天神山両古墳出土例からの考察― 53-70
論文 妹尾周三 summary 国分寺の創建瓦と造瓦体制 ―安芸国分寺の創建金堂にみる瓦生産と国衙工房― 71-93
研究ノート 田尻義了・足立達朗・中野伸彦・米村和紘・小山内康人・田中良之 summary 弥生時代北部九州における鋳型石材の原産地同定と鋳型素材の加工と流通 95-112
遺跡報告 髙倉純 summary 札幌市K39遺跡 医学部陽子線研究施設地点の発掘調査 ―北海道大学構内における擦文前期の末期古墳関連遺構の発見― 113-122
遺跡報告 浜田竜彦・中尾智行・下江健太・山梨千晶 summary 本高弓ノ木遺跡の発掘調査について 123-138
書評 安斎正人 summary 岡村道雄著『旧石器遺跡捏造事件』を読む 139-142
書 評 藤尾慎一郎 summary 中山誠二著『植物考古学と日本の農耕の起源』 小畑弘己著『東北アジア古民族植物学と縄文農耕』 143-149
書評 菱田哲郎 summary 奈良文化財研究所編『図説 平城京事典』 151-154
研究動向 社会科・歴史教科書等検討委員会 summary シンポジウム:子ども達に弥生・古墳時代をどう伝えるか 155-178

弥生時代絵画の一断面

村田幸子

― 論文要旨 ―

 弥生時代絵画の研究は今日,資料の増加に伴って極めて多岐にわたっている。さらに近年は,弥生時代における絵画出現段階の資料が増加したことで,その成立と展開の状況がとらえやすくなってきている。

 本稿ではまず,土器絵画と青銅器絵画,木製品や土製品に描かれた絵画がどのように関連しあいながら分布域を広げ,多様化するのか,それがどのような経過を経て終息に向うのかを,絵画全体の動向もふまえながら,詳細に跡付けることをこころみた。その結果,弥生時代絵画は土器絵画を出発点とし,青銅器や木製品に描かれた絵画を起点としてモチーフや絵画表現が多様化したこと,また後期におけるモチーフの減少は,中期後葉にいったん明瞭化したモチーフの描き分けが,絵画表現の簡略化に伴って不明瞭化したことに伴う可能性を示した。

 またそれぞれのキャンバスにおいてどのようなモチーフ選択が行われるのかも検討した。時期別にモチーフの選択状況を比較すると,土器絵画と銅鐸絵画とでは異なる選択をしている部分のあることがわかった。さらに銅鐸絵画に注目した場合でも,袈裟襷紋銅鐸と,流水紋・横帯紋銅鐸との間において,モチーフ選択や絵画を配置する部位の選択に相違点が認められたことから,それぞれの製作に際し,工人達は異なるルールで絵を描いた可能性を指摘した。その中で「三十四のキャンバス」と総称される一連の銅鐸絵画群には,どの描画ルールからも逸脱する部分があり,それゆえに豊富な絵画表現が生み出されていることを指摘した。これらの点を通じ絵画を用いた「まつり」の多様性・重層性を推論した。さらに「三十四のキャンバス」と総称される銅鐸絵画群に描かれた人物の,頭部表現の分類を手がかりに,それらの製作順序を検討し,桜ヶ丘5号銅鐸,谷文晁旧蔵銅鐸,桜ヶ丘4号銅鐸,伝香川県出土銅鐸の順に鋳造された可能性を示した。

キーワード

  • 対象時代 弥生時代
  • 対象地域 西日本・東海地域
  • 研究対象 絵画資料



考古学データの組織的モデル化と量的分析の試み ―装飾古墳の編年を例にして―

篠藤マリア

― 論文要旨 ―

 本稿は考古学研究の伝統的な方法である質的研究の成果を補完しうる量的研究方法(quantitative methods)の紹介であり,その実例として考古学における遺物群や遺跡群の編年的配列 a) の問題を,装飾古墳を通してあつかい,量的研究方法の有効性を示したものである。量的研究の方法は,主に統計学,分類学,ファジー理論,関連データモデルの基礎的考えに基づいている。すなわち以下の内容である。

 「柔軟性」は,新しい研究段階や代替的な考え方を導入する時に,これに関する内容的条件を既にできたモデルに新しいパラメーターとして応用するだけで済むことを意味する。本稿では上記の適用例として装飾古墳の編年的研究を紹介し,全国885基の装飾古墳の中の編年的位置づけの明らかな519基の装飾古墳のデータを操作 (manipulate)し分析(analyse)した。分析結果の棒グラフは時代によって変わる確立に基づく分布を示し,考古学で普遍的になった編年観と異なり,時代による様式的変更を意味しない。様式的内容は自由に選ばれる変項(variable)によって細かく分析できるが,本稿は墓制と地域的分布に関する変項だけを検討した。結果は既にある装飾古墳の研究の主要な考えと矛盾せず,確立に基づく頻度による4つの段階に区別できた。図文の種類など内容についての分析も同じ方法をもって行われる。

 本稿の編年的解析の主な特徴は確率論の導入である。これは「アオリスト的解析」に似た方法であり,古墳以外の遺跡・遺物にも応用できる。

キーワード

  • 対象時代 古墳〜古代
  • 対象地域 日本
  • 研究対象 量的研究方法,装飾古墳,編年研究



2つの刀剣装具による文様系統論

―忍岡・大和天神山両古墳出土例からの考察―
櫻井久之

― 論文要旨 ―

 古墳時代に出現した直弧文をはじめとする装飾文様は,ただ単に器物を飾り立てるためだけの文様ではなく,呪的性格や権威の象徴といった意味をもっていたと考えられている。こうした文様群について,その主題となった図形表現や系統関係を明らかにするため,本論では大阪府忍しのぶがおか岡古墳・奈良県天神山古墳から出土した人字形文(忍岡系文様)と呼ばれる文様の施された木製刀剣装具を主たる検討対象とした。まず,検討を進めるうえで問題となる直弧文の定義を明らかにし,研究の立脚点となる諸事項を示した。それを受けて,これらの装具に施された文様がどのような過程を経て形成されたのかを,用いられた図形の特徴や配置状況の変化,試作図による検証をとおして考察した。

 その結果,両例とも人字形の図形を主題とした文様でありながら,創作時に拠りどころとした文様や作図手法を異にしており,人字形文に系統の異なる2者(忍岡系列・天神山系列)のあることが明らかとなった。忍岡系列は大阪府紫金山古墳から出土した「貝輪T」の環体部にある文様を手本とし,天神山系列は同じ貝輪の板状部表面にある文様の一部を用いて作図していると考えられた。

 典拠とされたどちらの文様も,同一の貝輪に彫刻されたものであることは,この器物の重要性を示す。そして,主題図形に対する認識の違いから,この両系列は別人物によって創作されたもので,創作の時期についても1世代ほどの開きがあることがうかがえた。

 両系列が主題とする人字形図形は,宇佐晋一・斎藤和夫が明らかにした「原単位図形」がバチ状に裾を拡げる側とは逆側につくられた「帯の反転表現」である。B型直弧文の中核をなす図形もこの同じ主題から導かれており,A型直弧文も原単位図形の湾曲部から続く「帯の反転表現」を用いるという点では同様といえる。古墳時代前期前葉〜中葉,こうした「帯の反転表現」を主題とした文様があいついで創出され,それまで用いられていた弧帯文や原単位図形が組合わされた文様(原単位文)からの転換が図られている。ここに装飾文様の系統上の一画期を推定した。

キーワード

  • 対象時代 古墳時代
  • 対象地域 九州〜東北南部
  • 研究対象 古墳時代の装飾文様,文様の主題,文様の系統



国分寺の創建瓦と造瓦体制

―安芸国分寺の創建金堂にみる瓦生産と国衙工房―
妹尾周三

― 論 文 要 旨 ―

 国分寺は,天平13(741)年に建立が命じられた官寺の一つである。しかし,その進捗は国により異なっていた可能性が高く,この実態を明らかにするためには出土資料が豊富な丸瓦と平瓦などを利用し,個々の国分寺とともにその国の造瓦体制・組織の検討が必要不可欠と考える。

 本稿は,広島県東広島市に所在する安芸国分寺を取り上げ,一括廃棄されたと考えられる9号土坑中層と451号土坑中層出土の瓦について,製作技法の観察や数量処理に基づく属性分析を試みることで,焼成前の生なま瓦がわら生産に携わった造瓦集団やそれが葺かれていた堂塔の検討を行った。また,当時の安芸国における造瓦体制を復元するため,この寺院に先行して整備された古代山陽道の駅館など,すなわち地方官衙出土の瓦についても同様な分析を実施し,双方の資料を比較した。

 その結果,9号土坑中層出土の瓦は,天平勝宝2(750)年頃に建立された創建金堂の瓦の一部であることが推定され,6人の造瓦工人が3人ずつ2組に分かれて型かた木き ・桶おけ型がたをはじめとする道具を専有し,丸瓦と平瓦,さらには軒先瓦や道具瓦を生産していた可能性を考えた。また,これらは厚さに恣意的な特徴が認められるが,丸瓦類は先端部凸面の斜め削り落しなど,平瓦類は粘土板桶巻き作りによるが, 4分割後には凹型成形台を利用した規格化と量産化が行われていたことが明らかとなったのである。創建期の主たる軒先瓦は,複弁蓮華文軒丸瓦と均整唐草文軒平瓦だが,この国の瓦葺官衙では早くから重圏文軒丸瓦と重廓文軒平瓦のセットが葺かれていたため,両者はこれまで異なった生産体制によるものと推測されている。しかし,出土した瓦を比較すると,丸瓦や平瓦はもちろん,軒先瓦の製作技法や法量などに多くの共通点が認められ,いずれもが同じ造瓦集団によって生産された規格性の高い製品群であることがうかがわれた。

 こうしたことから,安芸国では,国内の官衙の造営・整備のために早くから国衙が編成し,管理運営する官営工房(国衙工房)が設けられており,国分寺の建立に際してもこの工房に属する造瓦集団が国分寺瓦屋に赴き,瓦生産に携わっていたことが考えられるのである。

キーワード

  • 対象時代 奈良時代
  • 対象地域 安芸国
  • 研究対象 国分寺・造瓦体制・国衙工房



研究ノート

弥生時代北部九州における鋳型石材の原産地同定と鋳型素材の加工と流通

田尻義了・足立達朗・中野伸彦・米村和紘・小山内康人・田中良之

― 論 文 要 旨 ―

 弥生時代を代表する青銅器は,北部九州において主に石製鋳型を用いて製作される。これまでに石製鋳型は破片を含めると250点以上出土しており,その石材は石英斑岩(いわゆる石英長石斑岩)が約90%を占める。これまでの研究では,この石材は主要な青銅器製作地とは離れた福岡県南部を流れる矢部川流域で採取できる石材と,肉眼観察の結果,類似していると指摘されてきた。

 そこで,本研究では矢部川で採取した石材と,実際に鋳型として使用された石材に対して,電界放出形電子線マイクロアナライザー(FE-EPMA)を用いた主要構成鉱物の化学組成分析と対象資料内に副成分鉱物として含まれるモナズ石のU-Th-Pb化学年代測定,波長分散型蛍光X線分析装置(XRF)を用いた主要元素・微量元素の全岩化学分析, レーザーアブレーション誘導結合プラズマ質量分析計(LA-ICP-MS)を用いた微量元素・希土類元素の全岩化学分析を行った。分析結果は,全ての項目で一致し,弥生時代に北部九州で青銅器生産に用いられた石製鋳型の石英斑岩は,矢部川の河原で採取されていたことが明らかになった。しかしその結果には考古学的な裏付けが行われておらず,実際の遺跡や考古資料との対比が必要であった。

 そこで,過去に調査された矢部川流域に所在する遺跡を精査したところ,北山今小路遺跡(八女市)では,石英斑岩製資料が多量に出土しており,それらの資料は河原石や,河原石片,剥片,砥石などに分類することができた。遺跡より出土した資料に関しても同様に化学分析を実施したところ,全ての項目で先の分析結果と一致した。したがって,これまでの分析結果と,遺跡から多量に出土した剥片の存在から,北山今小路遺跡内で鋳型素材の加工を行っていたと復原することができる。すなわち,矢部川の河原で採取した石材を北山今小路遺跡へ持ち込み,サイズや質の選抜を行いながら鋳型素材として加工し,それらを福岡平野などに所在する青銅器製作地へ搬出していたことが明らかになった。また,これまでに出土している鋳型の分布傾向の検討から,鋳型素材は福岡平野を経由して各地の青銅器製作地へ配布されていることも判明した。

キーワード

  • 対象時代 弥生時代
  • 対象地域 九州(北部九州)
  • 研究対象 鋳型石材の原産地同定,LA-ICP-MS,FE-EPMA



遺跡報告

札幌市K39遺跡 医学部陽子線研究施設地点の発掘調査 ―北海道大学構内における擦文前期の末期古墳関連遺構の発見―

髙倉純

― 要旨 ―

 札幌市K39遺跡医学部陽子線研究施設地点は,北海道大学札幌キャンパスのほぼ中央に位置する擦文文化の遺跡である。本地点は,扇状地の末端から沖積低地にかけての地形面に立地している。本地点では,2011年4月1日から5月31日までの期間,約2,500uを対象に,北海道大学埋蔵文化財調査室によって発掘調査が実施された。その結果,遺構として溝2基,土坑1基が検出された。溝XA01は,円環状をなす平面形をなしており,8世紀後葉から9世紀初頭にかけての遺物が溝内から出土している。本遺構は,帰属時期,平面形態,規模,遺構内の覆土やそこからの出土遺物の諸特徴などを勘案すると,「北海道式古墳」と呼ばれてきた末期古墳に関連する遺構であると考えられる。

 当該遺構の発掘調査による確認例は,これまで石狩低地帯南西縁の江別から恵庭市域の段丘面や丘陵地に集中していた。近年では,札幌市域の扇状地や沖積低地においても確認され始めている。本地点での発掘調査により,擦文期の竪穴住居址の群集的分布で知られる旧琴似川水系においても当該遺構が分布することが確実となったとともに,この地域での構築年代も明らかとなった。また本地点が旧河道からやや離れた箇所に立地している点が注目される。このことは,当該期の一般的な集落とは異なる微地形面に,この地域の末期古墳やその関連遺構は残されていた可能性を示唆している。

キーワード

  • 対象時代 擦文
  • 対象地域 北海道
  • 研究対象 墓



遺跡報告

もとだかゆみのき
本高弓ノ木遺跡の発掘調査について

浜田竜彦・中尾智行・下江健太・山梨千晶

― 要 旨 ―

 本高弓ノ木遺跡は,鳥取県鳥取市本高地内の沖積平野に立地する縄文時代から近世にいたる複合遺跡である。同遺跡では,国土交通省による一般国道9号(鳥取西道路)の改築に伴う事前の発掘調査が2008年度から実施されており, 鳥取県教育文化財団による2009・2010年度の発掘調査で,縄文時代晩期末〜弥生時代前期前葉,弥生時代後期後葉,古墳時代前期中葉における山陰地方の歴史を考察するうえで重要な資料がみつかった。

 縄文時代晩期末〜弥生時代前期前葉に埋没した河川からは大量の木材が出土した。分割された木材や辺材が多く含まれており,加工の途上にある木材が集積されていたと考えられる。また,木材に伴って,イネ,アワ,キビの種実圧痕が付着した突帯文土器や古相の遠賀川式土器が出土した。鳥取平野における縄文・弥生時代移行期の土器相を示す資料群である。

 また,弥生時代後期後葉には,長方形で四隅が突出する盛土遺構が築造されていた。上部は削平されており,埋葬施設を検出できなかったが,盛土の一部に石列が残存しており,四隅突出型墳丘墓の可能性がある。鳥取県内における弥生墳丘墓は丘陵上に立地することが一般的で,これまでに沖積平野では確認されていない。そのため,当遺構の評価には慎重にならざるを得ないが,平野部にも墳丘墓が立地する可能性があることを示唆する重要な発見といえよう。

 古墳時代前期中葉には,調査地を南北に貫く大規模な水路や,多量の木材と盛土からなる構造物が確認された。構造物は遺跡の南西側から水を水路に引き入れるための施設と考えられる。浸食などによって破損するたびに修復,改修が行われており,周辺の開発にとって重要な施設であったことがうかがえる。また,構造物の調査中,積み上げられた土嚢や菰状の編み物などが出土した。植物素材や編み方も観察できる良好な資料である。本高弓ノ木遺跡北側の丘陵には,古墳時代前期中葉に築造された大型の前方後円墳,本高14号墳がある。水路や導水施設は,古墳の築造時期と同じ頃に機能しており,前方後円墳の造営主体との関わりがうかがわれる。

キーワード

  • 対象時代 縄文時代晩期?古墳時代前期
  • 対象地域 鳥取県鳥取市
  • 研究対象 木材利用,種実圧痕,墳丘墓,水利,土木



書評

岡村道雄著『旧石器遺跡捏造事件』を読む

安斎正人

 2000年11月5日の毎日新聞朝刊記事に始まる「旧石器遺跡捏造事件」は,日本考古学協会特別委員会が2003年5月に出した調査報告書をもって,一応の決着がついたとされた。そしてその時から風化が始まった。

 私について言えば,2007年に東北芸術工科大学に移ることになった(諸般の事情で実際には2008年度から)。民俗学・歴史学・考古学を三脚とする東北文化研究センターおよび歴史遺産学科の考古学部門を担うこと,東北地方を中心とした縄紋文化研究の発信地づくり,この2つが私に期待されたことであった。そこで縄紋研究に主軸を移すにあたって,それまで距離を置いていた捏造事件への対処問題に対して,私なりのけじめをつけておく意図で,『前期旧石器再発掘:捏造事件その後』(2007)を上梓したわけである。

 それから3年たって,捏造発覚後10年目の2010年に入って,3冊の関連図書が出版された。5月に角張淳一『旧石器捏造事件の研究』,11月に松藤和人『検証「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』と,今回書評を依頼された本書である。後の2著は献呈本として読んでいたが,角張の著書は読んでいない。

 著者の岡村は,角張だけでなく,多くの人に共犯者,あるいは埋蔵文化財行政のトップとしての自覚に欠ける,と批判されてきた。私は一時たいへん親しく交際していたが,岡村が文化庁に移って後は,ほとんど会う機会がなく疎遠になっていた。したがって,「東北旧石器文化研究所」の4人を中国文化革命の「文革四人組」に擬したとき,岡村の立ち位置が,毛沢東なのか,周恩来なのか,林彪なのか,はたまたケ小平なのか,判断がつかなかったし,そもそも旧石器研究者としての彼に関心を失っていた。そんなことだが,私自身も関与した「前期旧石器存否」に関わることであり,岡村との旧交もあり,書評を引き受けた。

(山川出版社,2010 年11 月5日,総頁数245 頁,ISBN978-4-634-15008-9)



書 評

中山誠二著『植物考古学と日本の農耕の起源』

小畑弘己著『東北アジア古民族植物学と縄文農耕』
藤尾慎一郎

はじめに

 縄文人も農耕を行っていたのではないか,という縄文農耕論は,縄文時代がまだ石器時代と呼ばれていた明治の頃からみることができ,今日まで100年以上にわたってさまざまな視点から議論されてきた。

 明治の縄文農耕は,中部高地の縄文中期にみられる大量の打製石斧や大規模な遺跡,多数の竪穴住居跡の存在を説明するのに,縄文人も農耕を行っていなければ,これほどの人口を支えることは難しい,という考え方に基づいて想定されたものであった。

 縄文時代は採集狩猟段階,弥生時代は生産経済,だから縄文人は農耕を行っていないという論調は,唯物史観による歴史叙述が確立してくる,1930年代以降にみられるようになる。山内清男と森本六爾による,縄文人の生業に関する考え方の違いが明らかになるのも,この頃のことである。

 2010〜 2011年にかけて,縄文農耕論に関する本が立て続けに刊行された。中山誠二と小畑弘己の書である。この2冊は,対象や方法が大変似かよっているので,初めての試みとして2冊同時書評を行うこととなった。

 中山と小畑の縄文農耕に対するスタンスはかなり異なっている。小畑の積極的な姿勢と中山の慎重な見方はきわめて対照的であるが,これまでの縄文農耕論との最大の違いは,メジャーフードたり得る栽培植物である,マメ類を対象に初めて行われたことである。



書評

奈良文化財研究所編『図説 平城京事典』

菱田哲郎

1.本書の構成

 2010年は平城遷都1300年にあたり,さまざまな事業が実施された。本書もその一環として奈良文化財研究所により,これまでの調査成果を吟味し,最新の研究成果を伝えるべく編まれた事典である。事典と銘打っているが,事項を引く体裁ではなく,さまざまな事象に及ぶ解説を一定の章立てのもとに配列し,結果として平城京の全体を俯瞰するものとなっている。

 本書の構成は,プロローグにあたる第1部「平城京へのアプローチ」につづいて第2部「平城京の世界」に大部を割き,そしてエピローグの第3部「平城京の未来に向けて」,さらに第4部「平城京の研究法」で研究の利便を図っている。とくに「平城京の世界」は,調査成果をわかりやすく解説するために再構成し,第1章「造る」にはじまり,第2章「まつりごと」,第3章「生産と流通」,第4章「暮らす」,第5章「祈る」とつづき,第6章「東アジアのなかの平城京」で締めくくられている。このように,より具体的な人々の活動を重視した構成になっていることが特徴であり,たとえば平安遷都1200年を記念して作られた『平安京提要』(1994年,角川書店)が平安宮,平安京,平安京の近郊を順に解説する構成をとっていたのとは大きく異なっている。このような編集は,三省堂刊の『日本考古学事典』(2006年)において「動詞形の項目の採用による人間活動の相対的な復元の紹介」という編集方針が示されていることと一脈通じるようである。平城京よりも前の都城については,奈良文化財研究所編の『飛鳥・藤原京展−古代律令国家の創造−』(2002年,朝日新聞社)があり,事典と図録という性格の違いはあるけれども,両者をあわせて読むことにより,体系的に古代都城を理解することができるようになった。

(柊風舎,2010 年12 月25 日発行,総頁数596 頁,ISBN978-4-903530-48-2)



研究動向

シンポジウム: 子ども達に弥生・古墳時代をどう伝えるか

社会科・歴史教科書等検討委員会

― 要 旨 ―

 社会科・歴史教科書等検討委員会は,日本考古学協会2011年度総会において,弥生・古墳時代の歴史学習を対象としたテーマセッションを開催した。今年度より,小学校では新学習指導要領に基づいて刊行された新しい教科書が使用されている。本テーマセッションでは,弥生・古墳時代についての記述内容における基本的な課題を明かにし,また,これまでの研究成果を活かした高等学校の授業実践例から基本的な歴史学習の方向性を考えるパネルディスカッションを行った。

 弥生・古墳時代の学習における教科書の課題としては,それぞれの時代像を理解する上で,地域性の取り扱いや,国際性をどの様に理解させているかが大きな課題とされる。また,縄文時代の生活・社会史を中心とする学習から政治史としての視点が重視されるようになる時代でもあるが,相互の関係をどの様に結び付けていくかが重要な課題ともされる。

 これらの課題は,小学校段階でその全てが解決するものではない。取り扱う地域や内容が広がる中学校から高等学校へと,子ども達がどの様な歴史教育を経て理解を深めているのかを知ることが必要とされる。総合学科と普通科の高等学校における授業実践例では,考古学研究の成果を十分に活かすために,考古資料や遺跡情報の教材化や博物館・教育委員会との連携等の環境整備についてその先駆的な取り組みを紹介頂いた。

 社会科・歴史教科書等検討委員会の活動としては,今後この様な先駆的な実践事例もふまえ,小学校から高等学校へと一貫した教育制度の中で,様々な課題の改善を図っていくことが求められる。

キーワード

  • 対象時代 弥生・古墳時代
  • 対象地域 東アジアと日本
  • 研究対象 小学校社会科教科書,高等学校における実践例,新学習指導要領