HOME > 文化財保護 > 埋文委ニュース


埋文委ニュース 第46号

2004.12 日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会

埋文委・夏期研修会 2004.9.25・26

 本年度の夏期研修会は、9月24・25日の2日間にわたり、千葉県千葉市で開催された。千葉市は縄文時代の巨大な環状貝塚が集中している地域として知られているが、縄文時代にとどまらず、現代まで貝塚が作り続けられた「貝塚のまち」である。現在、そのコア地域の東端に位置する加曽利貝塚を世界遺産に登録しようという動きがあるが、反面、埋文委で保存を要望した花輪貝塚や千葉貝塚(貝塚町貝塚群)、東寺山貝塚群など、コア地域の中心部で貝塚の保存問題が発生している。こうした遺跡保存問題が生じる最大の原因は、地域マネジメントの中に遺跡が位置づけられていない点にある。そこで、千葉市貝塚群のコア地域を巡検し、地域マネジメントにおける遺跡の意義と、その保全方法について研修することが、今回の研修の目的である。

 研修会は、1日目及び2日目午前中の貝塚巡検と、2日目午後の研修会という日程で行われた。2日間の参加者は合計19名で、在京委員・関西連絡会の他、千葉県在住の協会員の参加も得た。25日の午前中は雨天での巡検となったが、その後は心配された天候も回復し、都合25箇所の貝塚を自動車と徒歩で巡検した。今回の研修会の実施に当たっては、研修会の会場となった加曽利貝塚博物館・千葉市教育委員会・園生貝塚研究会の協力を得た。

研修の経過

9月25日(土)

9月26日(日)

貝塚の巡検

 25日午前中の園生貝塚は、市街地に近接した立地にもかかわらず、遺跡が良好に残されていることに驚くとともに、開発が進む周辺地域と現在山林として残るこの土地自体の、いわば均衡状態も危ういものであるとの危機感を抱かざるを得なかった。台門・荒屋敷・草刈場の大形環状貝塚を擁する千葉貝塚(貝塚町貝塚群)は、さらにその周囲、そして低地部に至るまで縄文時代を中心に古墳時代、中世に至る遺跡・小貝塚群が分布している。この台地を徒歩で巡検する中で、大型貝塚の台地を覆うような白い貝殻に圧倒され、またそれらに近接して存在する様々な形態の点在貝塚、往時を髣髴とさせる低地の景観は、まさにこれらが一体として後世に伝えられるべき価値を有するものであるとの認識を抱いた。公有地または私有地の別があるとはいえ、とりあえず全面或いは一部が緑地・山林として保存されている貝塚がある一 方、多くの貝塚は畑地として残っている。前者の 場合、特に公有地ではほぼ恒久的な保存が見込め る一方で、地面には芝が貼ってあったり雑草が密 集しているため特別な公開施設を設けなければそ こを貝塚であると認識することは難しい。一方、 後者のケースは密集する貝殻によって一般の市民 でも容易にそこが貝塚であることを知ることがで きるが、私有地であるがゆえに常に現状の改変と いう危機を孕んでいるといえる。今回巡検を行っ た地域は、冒頭で述べた、「貝塚のまち」と呼ぶ にふさわしい景観が現在も保存されており、一部の著名な、或いは大きな貝塚の公有化に止まらず、現在地域住民の生活が展開している台地や、それを取り巻く低地を含めて後世に残してこそ意義があるものであるとの認識を参加者が共有することができたと思われる。

研修会

 上述の巡検を受けて2日目の午後は、加曽利貝 塚博物館講堂にて研修会を行った。冒頭、司会の 日暮委員から、いわゆる「観光の目玉」的な有名 遺跡の整備ではなく、地域マネジメントの中にそ れを位置づける試みについて具体的な事例を挙げ ながらの解題があり、これを導入として、地域計 画を専門とする日本大学教授糸長氏から、地域に 存在する歴史的文化資源を生かしたまちづくりに ついて発表をいただいた。遺跡を地域固有の歴史 的資源の一つとして捉え、それを地域環境の中に 位置付けることによってそれぞれが相互に関係し 合う循環的な地域社会を形成する。当然その地域計画の策定過程には、地域住民の一体的な参加が前提となる。糸長氏の地域計画論は、千葉市の貝塚群の保存問題に対して、一つの有効な視座を提供するように思えた。

 これに続いて加曽利貝塚博物館副館長の村田氏から、加曽利貝塚博物館の活動と保存の取り組みについて発表をいただいた。高度経済成長期にあって次々に遺跡が消滅してゆく現状に対して、当面の対応策として幾つかの貝塚を緑地として保全してきた経緯、そして地域にありながらその住民と一体となって貝塚博物館を維持してゆくことの難しさについて、現場の最前線としての立場から具体例を挙げながら説き、これからどのように地域と一体となった活動を展開してゆくのか、その模索について説明された。また「貝塚のまち」にある博物館として、将来的に「貝塚総合博物館」を目指す基礎的な情報収集を企画展と連動して継続的に行う活動や、都川のボーリングコアの分析による古環境復元について説明され、これらは糸長氏が言う、「点」としての遺跡保存ではなく、地域の中における「面」としての取り組みに通ずるものであろう。

 その後、両者による発表を受けて参加者を含めた討論が行われた。特に、多くの場合私有地である景観を含めた地域保全を志向することについて、行政の実態を含めてより現実的な問題をどう乗り越えるのかといった点や、これらの考古学的調査による学術成果と地域マネジメントの資源化とをどのように交差させてゆくのかといった問題等が討議された。