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2014.12

埋文委ニュース 第67号

日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会

埋文委・夏期研修会 ********** 2014.8.17

 今年度の夏期研修会は、日本考古学協会事務局を会場として、委員11名の参加により8月17日(日)に開催した。当委員会では、2004年以来各県ごとにその年の文化財保護関係の状況を調査するアンケートを実施してきたが、10年間の調査経過を経て、埋文行政の変化、およびそのシステムの利点と欠点が見えてきたのを契機に総括することとなった。同時に、課題として総括結果を広く会員に知ってもらい、今後の指針を検討するためのセッションを総会時に行うことを議題とした。

 冒頭に、これまでのアンケート調査に関して、松本委員(埼玉県)より取り上げてきた課題と主な議論の中身について、包括的な整理と問題点が簡潔に示された。以下、内容を列記すれば、調査の標準化をめぐる問題、文化財担当職員の不足、財団の経営問題、民間調査機関の位置づけ、大学内の研究環境、博物館・資料館の統廃合、遺物の保管・管理、調査に係る資格制度のあり方などきわめて多様な論点が挙げられた。

 まず、アンケートの整理に際しては、地方行政の現状を再度認識する必要性が議論された。その議論の中で、埋文行政において近年遺跡保存の考えが希薄になっているのではないか、という指摘があった。すなわち、本来ならば開発計画に対して遺跡をどう保存するかというのが埋文行政の根幹であり、やむを得ず開発を許すのであればできるだけ正確にその遺跡の記録を残す、というのが行政発掘調査の基本的な論理であろう。しかし近年は、開発申請に対し、遺跡を保護の対象ではなく行政的な「処理」の対象として、最初から発掘調査を前提とした議論に入るというシステムが出来上がり、半ば本末転倒の保護行政が一般化しつつある状況になっているように見受けられる。この半世紀の間、埋蔵文化財の発掘調査を先行させて、遺跡の保護を後回しにしてきたことが現在の状況をもたらした、という認識で一致した。

 このことに関して、基本的には文化財行政と研究者個人の文化財保護意識を問うこと、なぜ遺跡は残されなければいけないかという不断の問いかけが求められる。また弱体化しているように見える大学の考古学教育の再検討が求められること、さらに大学と行政の境界を越える議論が必要であろう。そして、そのような状況の中での日本考古学協会、また埋文委の位置づけをもう一度問い直すべき、という議論も活発に行われた。

 今後、行政調査の減少が予想され、さらには将来的に消滅していく自治体が出てくる中で、埋蔵文化財行政はどこに向かうのか。これに関連して、あらためて遺跡の果たす役割が見直されはじめている。すなわち、地域の文化財をいかに活かしていくかが、これからの方向であることは明白である。

 この点においては同時に、文化財保護と活用の側面も含めて検討しなければならない課題であり、市民と一体になって遺跡を遺した事例などを見て、様々な立場からの包括な議論が求められよう。また、遺跡が遺せたところだけを顕彰するようなあり方には若干の違和感があり、むしろ、日常的に失われていく一般的な遺跡をどう保護していくのかに関して、行政の構想力や創造性が問われている。この点についても、埋文委としての考え方を十分整理し、認識しておく必要があることが議論された。

(馬淵記)

埋文委・情報交換会 ********** 2014.10.12

 埋蔵文化財保護対策委員会では2014年度伊達大会にあわせて、10月12日(日)午後1時00分からだて歴史の杜カルチャーセンターリハーサル室において、埋文担当理事、委員ならびに会員6名の参加を得て情報交換会を開催した。進行役は小笠原永隆事務局次長が務め、埋蔵文化財保護をめぐる昨今の状況、その他について活発な意見交換が行われた。

・基調講演「北海道大学構内での埋蔵文化財調査」

 髙倉純氏(北海道大学埋蔵文化財調査室)より北海道大学構内にある遺跡の発掘調査の成果と活用状況についての報告がなされ、その概要は以下のとおりである。

 170万uの大規模なキャンパスの中に扇状地の末端から流れ出る湧水地(メム)が点在し、続縄文及び擦文文化期を中心に、丘陵地及び台地上は墓域、扇状地末端〜沖積地が集落域として利用され、数多くの遺跡が確認されている。大学施設の建設に伴う遺跡調査に対処するため、北海道大学埋蔵文化財調査室は1980年に設立され、これまで70件〜80件について協議を行い、年数回のペースで発掘調査を行っている。その成果は、「キャンパスエコミュージアム」の推進に積極的に活用し、案内板の設置、イベントの開催(調査された遺跡をめぐり、その内容を理解するウォーキングなど)を行っている。キャンパスが所在する札幌市は、歴史系博物館がなく、史跡整備の事例もないことから、一般市民が考古学に触れる機会は極めて少なく、北大の取組の意義は大きいと考えられる。出入りが自由なキャンパスは、昔の自然や景観を残しているところも多く、以前から市民が親しんでいる場所であるが、そこに遺跡があることがわかると、新鮮な驚きを示すことが多い。

 髙倉氏の発表は、各遺跡の概要から調査法及び活用法に及び、非常に興味深い内容であり、出席した委員のほぼ全員から多くの質問が寄せられた。出席者は少数で残念であったが、発表及び質疑の内容は濃く、充実した時間であった。

・各地からの報告

 関根達人委員(青森県)より、青森県五所川原市五月女泡遺跡の保存決定がなされたことに対する御礼があった。さらに、西目屋村における津軽ダム関連の大規模調査(水上遺跡・川原平遺跡)の現状が報告された。水上遺跡から県内最大級である縄文時代中期の石棺墓群が、川原平遺跡からは県内初となる晩期集落跡が盛土遺構、土器捨て場を伴って検出されるなど、極めて注目すべき成果が出ており、調査は急ピッチで進められ、今年度で終了するとのことであった。

 馬淵委員からは神奈川県鎌倉市の北鎌倉駅沿いの岩塊(円覚寺結界)問題に関する現状報告があった。歴史的景観上からも極めて重要な岩塊が、道路拡幅のために消失の危機にあり、地域住民からも保存要望が出ているが、市側は姿勢を崩しておらず、予断を許さない状況である。

(小笠原記)