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松江城下上級武家屋敷調査の視察結果報告

埋蔵文化財保護対策委員会

 日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、2008年11月15日に松江城下上級武家屋敷調査を視察した。以下はその結果報告である。

 松江城下上級武家屋敷の調査は、市歴史資料館建設に先立つものであり、2006年より調査が行われ、本年11月末に調査終了の予定である。松江城下上級武家屋敷跡では、北側部分で家老屋敷とされる屋敷跡が、南側で上級武家屋敷が発見されている。

 市の計画では、調査終了後は発見された遺構の一部が現地保存されるが残りの多くは資料館建設により煙滅することとなる。

 もとより、私たちは計画の見直しを強く求めている。しかしながら、現時点では建設計画の見直しにはいたっていない。こうした状況も踏まえて、視察結果をまとめると、なお調査を行なうべき点が多々存在した。これまでの、市の努力を認めつつも、より高い精度の調査とその時間的保証を求めるものである。

北側・家老屋敷部分について

 北側屋敷の空間構成がなお充分に把握されているとは言い難い。時期別の各遺構のプランと相互の関係がなお明確になっていない。さらに精査を行う必要があると思われる。

●苑池の古期段階の見きわめについて

 家老屋敷では、大池(楕円形に近い形状)と小池(方形に近い形状)と二つの池を検出している。 このうち、大池は、3面・4面の2段階にわたり機能した庭園の重要施設であるが、どちらの段階についても、池の平面形状が充分に把握されていない。これは、資料館建設に伴う記録保存の調査であるという前提を受け入れるか否かは別にして、調査の致命的な瑕疵である。可及的速やかにプランの把握をする必要がある。

 両池にたいする導水路についても、追求がなお不十分である。また、大池と小池、相互の関係を充分把握しきれていない。石材に切り組みの跡があるなど、かなり重要な施設であった可能性がある。さらに、両池の間を区切る廊の先(南側)にどのような施設があったか、再度追求する必要がある。

●大池南側の状況について

 家老屋敷の南側の施設ももう少し正確に把握する必要がある(塀などの把握)。

●北側屋敷4面下検出の鉄滓を含む炭化層について

 これがどのような性格のものか、その拡がりを把握する必要があろう。もしこれが製鉄関連遺構であるとすれば、至近位置に存在の予想される製鉄址本体を確認する必要がある。同時に、これが城下の屋敷建設に先立つ松江城普請に関係する工房のようなものであるとすると、家老屋敷部分の最下層には、松江築城に伴う遺構群が残されている可能性があり、これも追求すべき課題である。

南側・上級武家屋敷部分

 全体にまだ調査の途中という感じが否めない。礎石の追求、および建物自体の規模も不確定な部分がある。したがって、屋敷地の内部の建物の変遷が正確に理解できている段階には至っていない。

南北屋敷地の区画溝周辺

 屋敷地を南北に区画する溝について、その時期的変遷が充分に把握しきれていない。したがって、その性格の追求にはなお詳細な調査を進める必要がある。

まとめと近世城下町屋敷調査の評価

 松江城下町遺跡の上級武家屋敷遺構群は、17世紀初頭の遺構群が極めて保存状態が良い形で検出されたという特徴を持っている。これは、従来の近世城下町の調査で検出されている遺構群が18世紀にかかる時期のものが多い中で、城下町建設段階まで遡る遺構群であるということであり、これまで充分明らかにされてこなかった近世城下町建設の当初の状況を考える上で重要な知見であり注目される。

 考古学・歴史学的にみれば、家老屋敷跡の二段階に整理される可能性の高い大池および小池からなる苑池遺構は、中世末から近世への転換期における作庭思想の変遷を捉えられる重要な存在であり、充分な精査と重要遺構としての慎重な取り扱いが求められる中心的な遺構群である。

 また、松江城築城期の工房遺構が残されている可能性もあり、この一帯に当該期の城普請関係遺構が展開していることを想定すべきである。

 以上のように検出遺構のいずれについても、市の行なっている調査は大きな成果をあげていることは事実であるが、全体として調査途上にあることは否めずようやく時間をかけて精査を行なう段階に入りつつ有るというのが実情である。

 さらに大きな課題としては、資料館建設にあたって今回の調査成果を組み込み、当初計画を見直す必要があると考える。

以上