2005年6月16日
文化庁長官 河合隼雄様 和歌山県知事 木村良樹様 和歌山県教育長 小関洋治様 和歌山県県土整備部長 酒井利夫様
標記の件について、別添書類の如く、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容をもつものでありますので、貴殿において、その保存の対策を速やかに講ぜられることを要望いたします。
なお、当件の具体的な措置、対策については7月7日(木)までに、ご回答を下さるようお願いいたします。
一、別添書類 一通
文化庁長官 河合隼雄様 和歌山県知事 木村良樹様 和歌山県教育長 小関洋治様 和歌山県県土整備部長 酒井利夫様
和歌山県和歌山市西浜地内に現存する水軒堤防は、初代紀州藩主徳川頼宣の時代に朝比奈段右衛門(隠居冷水軒)が、寛永年間に約13年かけて築造したとされており、その重要性から昭和34年には県史跡に指定されています。防波堤の規模は、高さ3〜6間(5.4〜10.8m)、全長900余聞(1.62km)とされております。
安政年間(19世紀中頃)の絵図『異船記』には、防波堤の石積が描かれています。昭和初期頃まではその石積みが一部露出していたようですが、昭和30年代以降は堤防の西側が埋め立てられ、石積みは砂により覆われて完全に埋没してしまっています。
2005年5月、和歌山県文化財センターが実施した和歌山下津港本椎一号道路交差点改良工事に伴う事前調査において、水軒堤防の石積み遺構が良好な状態で発見されました。石積みの堤防は江戸時代(17世紀)に築造されたもので、切石を用いた布積みで構築されており、石材表面が丸く膨らむよう周辺部を加工した「こぶ出し」の技法も見られます。この技法は、同時代に築造された城郭の石垣にも用いられており、その土木技術は学術上高く評価されています。しかしながら調査終了後は、堤防遺構の上部を掘削・削平し、道路を拡幅する計画と聞き及んでおります。
この水軒堤防は、宝永南海地震(1707年)・安政南海地震(1854年)・南海大地震(1946年)等の地震や津波に耐え、長い間にわたり防災上極めて重要な役割を果たしてきた施設です。19世紀に、浜口梧陵が完成させた国指定史跡「広村堤防」と並び、和歌山県の防災史を考えるうえでも貴重な歴史遺産といえます。
以上のことから日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、水軒堤防遺構が我が国の防災史を考えるうえでは学術的に欠くべからざるものであると考えます。
関係諸機関にあっては、県史跡であることを重く受け止め、史跡の価値を損なう県道拡幅工事計画を見直し、史跡の全面的な保全・活用を行うべく、早急な対策を講じられますよう強く要望いたします。