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埋文委 第11号
2008年1月30日
文化庁長官     青木 保 様
京都府知事     山田啓二 様
京都府教育長    田原博明 様
宇治市長      久保田勇 様
宇治市教育長    石田 肇 様
有限責任中間法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 近藤英夫

「宇治川護岸遺跡」(太閤堤)の保存と活用に関する要望について

 標記の件について、別添書類の如く、「宇治川護岸遺跡」(太閤堤)の学術上の重要性に鑑み、早急に市民および研究者が納得できる適切な施策を講じられることを要望いたします。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、現在、宇治市菟道丸山にて調査が進められている「太閤堤」について「治水事業の希有な事例として、また、豊臣秀吉による天下普請の実態を知る上でも貴重な事例」として、国民共有の文化遺産である「太閤堤」を後世に伝えるため、保存並びに活用について適切な対応策を講じられますよう強く要望するものです。
 なお、当件の具体的な対応策については、2月15日(金)までにご回答をくださるようお願いいたします。

一、別添書類 一通

以上


埋文委 第11号 2008年1月30日
文化庁長官     青木 保 様
京都府知事     山田啓二 様
京都府教育長    田原博明 様
宇治市長      久保田勇 様
宇治市教育長    石田 肇 様
有限責任中間法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 近藤英夫

「宇治川護岸遺跡」(太閤堤)の保存と活用に関する要望書

 宇治市菟道丸山所在の「宇治川護岸遺跡」(太閤堤)は、宇治川の右岸、京阪宇治駅西側に計画された土地区画整理事業に先立つ乙方遺跡の保護を目的とした発掘調査によって発見されました。この遺構は、その造成方法や石材などから、すでに工事で一部消滅した「槇島堤」遺構とほぼ同じ時期・性格のものと考えられます。すなわち、豊臣秀吉による大規模な治水事業によるものと考えられ、いわゆる「太閤堤」の一部と判断されます。

 「太閤堤」とは豊臣秀吉が伏見城築城に伴い、宇治川の川筋付け替えに関係して築いた堤防のことで、宇治から向島までの「槇島堤」、宇治から小倉までの「薗場堤」、小倉から向島までの「小倉堤」の計12kmの総称として一般に用いられています。築堤の開始は、史料によれば文禄3年(1594)のことで、宇治川から巨椋池を切り離して、堤を向島まで延長する宇治川左岸の槇島堤から工事が始まったとされています。

 「宇治川護岸遺跡」は、上で述べた「太閤堤」の実態が初めて広範囲で確認されたものと評価されます。このような16世紀末の大規模護岸の事例は、全国的に見ても他に類例がないと同時に、杭止護岸も今回初めて確認されたもので、高度な土木技術に裏打ちされたもので、大規模な治水事業の実像を具体的に知ることのできる遺構であります。

 今回の発見以後、宇治市では遺跡の範囲を探るべく引き続き調査を実施され、多大な成果を上げられている所であり、その学術的重要性はますます高まってきております。

 この「宇治川護岸遺跡」にかんしては、宇治市も遺構を活用する姿勢をもっていると仄聞しますが、その具体的方策については現在のところ不明のままであります。もし、区画整理事業が当初の計画どおりに実施されれば、遺跡の破壊のみならず周辺の環境に対しても多大な影響を及ぼしかねません。また、保存の議論が長引く中で、すでに調査で明らかになっている遺構の劣化についても危惧されるところであり、早急な対応が望まれるところであります。

 以上のことから、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、文化財の保護・活用と歴史的景観保全の観点から、以下の点を強く要望いたします。

  1. 今回調査された「宇治川護岸遺跡」に対し、早急に適切な保護処置を講ずること。
  2. 「宇治川護岸遺跡」を保全・保護するとともに、歴史的資産として活用の方策を図ること。
  3. 文化庁並びに京都府教育委員会は、宇治市の文化財保護行政に対して十分な監督責任を果たし、適切な指導と支援を行い、「宇治川護岸遺跡」のみならず宇治川周辺に残された歴史的景観についても、保全・保護を図ること。
以上