文化庁長官 青木 保 様 広島県知事 藤田雄山 様 広島県教育長 榎田好一 様 福山市長 羽田 皓 様 福山市教育長 高橋和男 様
標記の件について、別添書類の如く、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容をもつものでありますので、貴殿において、その保存の対策を速やかに講ぜられることを要望いたします。
なお、当件の具体的な措置、対策については7月18日(金)までに、ご回答をくださるようお願いいたします。
記
一、別添書類 一通
文化庁長官 青木 保 様 広島県知事 藤田雄山 様 広島県教育長 榎田好一 様 福山市長 羽田 皓 様 福山市教育長 高橋和男 様
広島県福山市に所在する福山城跡は、福島正則改易の後、備後福山10万石の領主として入封した水野勝成が、幕府の許可と援助を得て1622(元和8)年に完成させた輪郭式平山城です。二重の堀で囲まれ、五層天守と三重櫓七棟を備え、各櫓を多聞櫓で結ぶ壮大な城郭で、一国一城制以後に築城された近世城郭としては破格の規模を持っていました。水野勝成は有力な譜代大名であり、福山城は毛利氏など西国の外様大名牽制の要としての役割を担っていたと思われます。
国史跡福山城跡内には国重要文化財伏見櫓、筋鉄御門が現存していますが、1873(明治6)年の廃城の後、本丸などの一部を除いて売却され、多くの建物が解体されるとともに、1935(昭和10)年頃までに全ての堀が埋め立てられ、堀の位置さえも正確にはわからない状況になっていました。また、天守をはじめとする多くの建物が、太平洋戦争中の空襲により失われています。
しかし、近年のJR福山駅周辺の再開発に伴う掘削によって堀の正確な位置が確認されるとともに、二重の堀が良好な状態で保存されていることがわかってきました。また、2005年の発掘調査では東側の外堀の位置や規模が確認されています。
その中で、2007年から開始されたJR福山駅南口地下送迎場建設計画に伴う南側外堀部分の発掘調査では、外堀の石垣や櫓台跡、舟入遺構、御水門跡に比定される遺構が極めて良好な状態で残されていることが明らかになるなど、重要な成果があがっています。舟入遺構は、城の内外に人や物資を搬入・搬出するための船着場で、雁木や門跡が遺存しています。また、舟入遺構南側の石垣の張り出し部には二重櫓が築かれていたと考えられ、これら総体を舟入関連遺構群と捉えることができます。福山城は瀬戸内海を直接望める場所に築城され、城と瀬戸内海は入り川で結ばれていました。今回明らかにされた遺構群は、こうした海を通じて他地域との交通、交易に至便であった福山城の築城当初の特徴をもっとも良く示す、福山城の生命線とも言うべき重要な遺構群であります。
このたびの調査では、舟入遺構を中心とした遺構群が良好な状態で残っていることが確認されました。周辺地域においても同城に関係する遺構がなお残されている可能性は極めて高いと思われます。しかしながらJR福山駅周辺においては今後も再開発が計画されており、遺構の破壊、消滅が危惧されるところです。
福山城は地域に営々と培われてきた優れた土木技術の結晶であり、そこにみられるのは支配者と被支配者という関係を超えた領民たちの豊かな創造性です。それはまさしく、全国に誇りうるものといえます。福山城はまさに地域のシンボルであり、地域活性化の要ともなる歴史的文化遺産として大きな役割を果たすものでもあります。
以上のことから日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、福山城跡舟入関連遺構群および周辺遺構の保存、活用をはかるために以下の通り要望いたします。