文化庁長官 青木 保 様 島根県知事 溝口善兵衛 様 島根県教育長 藤原義光 様 松江市長 松浦正敬 様 松江市教育長 福島律子 様
標記の件について、別添書類の如く、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容をもつものでありますので、貴殿において、その保存の対策を速やかに講ぜられることを要望いたします。
なお、当件の具体的な措置、対策については11月7日(金)までに、ご回答をくださるようお願いいたします。
記
一、別添書類 一通
文化庁長官 青木 保 様 島根県知事 溝口善兵衛 様 島根県教育長 藤原義光 様 松江市長 松浦正敬 様 松江市教育長 福島律子 様
松江市の中心部に所在する国史跡松江城は、関ヶ原の戦い後の1600(慶長5)年11月に入国した堀尾吉晴によって築城され1611(慶長16)年に完成した、桃山様式の天守が現存する数少ない城郭の一つです。堀尾家改易後、1634(寛永11)年に入国した京極忠高が三の丸の修築を行い、また1638(寛永15)年の松平直政の入国以降にも手が加えられてきました。その後、1934年には城域約19万4千m2が国史跡に、1950年には天守が国の重要文化財に指定され、島根県のシンボルとして島根県民・松江市民に親しまれてきた文化財であります。
松江城城下町は、松江城の占地する亀田(極楽寺)山の周囲に広がる沼沢地を埋め立てて建設された町であり、近世城下町建設の基本プランを知ることのできる全国的にも希少な例であります。松江市では1993年に「史跡松江城環境整備指針」を策定し、近世松江城の復元整備事業を進めてきましたが、1994年11月には北惣門橋も復元・完成しています。この北惣門橋は、家老屋敷と松江城内を結ぶ重要な役割を担った橋とされており、この橋のすぐ東側に家老屋敷が配置されています。
この家老屋敷の跡を含む上級武家屋敷跡に松江市歴史資料館の建設が計画され、市教育委員会により2006年から試掘調査・発掘調査が実施されてきました。その結果、松江城下建設以降幕末にいたる間の家老屋敷および隣接する上級武家屋敷の建物他の遺構群が、4面にわたって極めて良好な保存状態で発見されました。発見された遺構群は、いずれも近世松江城下の武家屋敷の姿を今日に伝える貴重且つ重要な知見をもたらしています。例えば、家老屋敷内で検出された導水路で結ばれる2基の池遺構を中心とする庭園遺構は、近世初頭における作庭思想を考えるうえで極めて重要な発見です。導水路を境にそれぞれの池を中心とした景色の異なる庭を設計したとも想定できる家老屋敷庭園および関連建物遺構群の存在は、今後の近世武家屋敷庭園研究上欠くことのできないものと言えるでしょう。
先に復元整備を実施した北惣門橋が本来担っていた役割を考えるとき、この家老屋敷遺構群を失えば、松江市が進めてきた松江城整備事業は、画竜点睛を欠くと評価せざるを得ません。現在計画されている歴史資料館は、松江城を中心とした近世松江を取り上げるものと聞き及んでおります。その資料館建設が、上述したような近世の重要遺構群の存在を踏まえた設計変更等の工夫を経ないまま実施されるならば、今後の松江市の文化財を活かした町づくりを進める上で大きな禍根を残すものと危惧されます。調査成果をいかに活かすかが、今日、最も強く求められているものであります。
現在も盛土をするなど地下遺構保存のための努力が続けられているということでありますが、現時点で公にされている対応策では、工事に伴い100本を超える基礎杭やトイレ工事により、庭園遺構や礎石建物跡の破壊は必至であります。遺構の活用をも視野に入れ、改めて設計変更等の工夫を含めた保存策の検討が望まれます。
以上、松江城城下武家屋敷遺構群の歴史的・文化的重要性に鑑み、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記のとおり要望いたします。