標記の件について、別添書類の如く、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容をもつものでありますので、貴殿において、その保存の対策を速やかに講ぜられることを要望いたします。
なお、当件の具体的な措置、対策については2012年11月22日(木)までに、ご回答をくださるようお願いいたします。
静岡県沼津市に所在する高尾山古墳は、駿河湾東岸の愛鷹山裾野の丘陵上にあり、その西側に浮島ヶ原と呼ばれる広大な沼地が広がり、南に駿河湾を見下ろす場所にあります。近年実施された沼津市の発掘調査により、3世紀前半に築造された日本最古級の前方後方墳であることが判明しました。古墳の規模は、墳丘長62mを超え、古墳が創出された段階にいちはやく大型古墳の築かれていたことがわかります。また、古墳に伴う主体部は朱の敷かれた木棺で、内部から青銅器、鉄槍、鉄鏃、ヤリガンナ、勾玉などの比較的豊富な遺物が出土しています。
このように、古墳の規模や出土品から、駿河地域では、すでに3世紀前半代に王としての権力者の存在が窺われます。とくに、注目されるのは弥生時代の社会構造を一変させる出土品の登場であり、社会の大きな変動を反映しています。同時に、出土した土器から北陸、近江、東海西部の各地域の勢力の関与が窺われ、被葬者との同盟関係も想定されます。
当時の政治の中心地として考えられている北九州や畿内だけではなく、東海地方の駿河においても強大な権力をもつ地域首長の誕生が想定され、各地域が関連する国家出現の実態をよく表しています。また、日本における国家の形成を解明する上でも、貴重な古墳であると言えます。さらに、古墳の立地が水路と陸路を繋ぐ交通の要衝に存在することから、水上交通等に関わる地域首長の性格を窺わせるものとなっており、高尾山古墳の学術的な重要性の高さを物語っています。
ところが、高尾山古墳の全域が沼津市の計画する都市計画道路沼津一色線道路の改良工事の事業地内にあることから、今後、道路工事が予定通り実施された場合、当該古墳の消滅が危惧されます。この古墳が消失することは、沼津市民ばかりでなく日本国民にとっても大きな損失であり、私たちは国民共有の財産として、学術的にも高く評価される歴史的遺産としての高尾山古墳を恒久的に残していかなければなりません。
以上のことから、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は埋蔵文化財の保護と活用の観点から、下記の通り要望いたします。