日本考古学協会所蔵図書については、2009年5月の第75回総会で承認された「一般社団法人日本考古学協会所蔵図書寄贈先募集要綱」にしたがって一括寄贈先の公募を行い、応募のあった英国のセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures)に寄贈することを、本年5月開催の第76回総会で報告し、承認されました。
この課題については、2005年3月の会報No.154(2005年3月)から逐次理事会報告を掲載し、2006年度からは総会においても毎回報告し、承認を得たうえで手続きを進めてまいりました。このたびの第76回総会でもあらためて経過の要点を報告したところ、思いがけず強い反対意見も出されたことは、8月発行会報No.170の総会報告記事のとおりです。しかし、この件は2006年以来会報で会員から意見を募り、毎回の総会の議を経て決定したものです。
しかし、遺憾ながら、こうした事情をご存じない方もおられるようですので、本協会所蔵図書をめぐる一連の経緯をここに再度ご報告し、あらためて広く会員のご理解を求めることといたします。
なお、これまで総会議事を含めて会報で報告してきたことを整理して述べますが、よりご理解をいただくために一部基礎情報・データを追加したことを申し添えます。
本年5月22日開催の第76回総会において、日本考古学協会所蔵図書の一括寄贈先を英国・セインズベリー日本藝術研究所に決定したことを報告し、承認されました。これは2004年度から本格的な検討を開始し、2006年の第72回総会から毎年総会で報告し、かつ会報で全会員に周知をはかって進めてきた手続きにしたがって決定されたものです。公募に対して国内・国外から6件の問い合わせがありましたが、期日内に応募があったのは同研究所からの1件のみでした。総会で、寄贈先が海外であることに対して批判的ご意見が出されましたが、2006年以来総会で決定した寄贈先条件に、機関の国籍は盛り込んでおらず、海外であることを理由として先の決定を覆すことはできません。本協会は、定款第2条で「この法人は、考古学研究者が、自主・民主・平等・互恵・公開の原則にたって、考古学の発展を図ることを目的とする。」と定めており、国籍をもって判断を左右することは本協会の基本原則に反するからです。
本協会は、2004年以来、蔵書の一括保存を大原則として活用の道を探ってきました。新たに収蔵施設を確保する案や、会費増額を含めた運営にかかる財政上の問題も、具体的に検討しました。しかし、きわめて残念なことに、これらの実現は困難であるという結論に至り、2006年度総会以来、一括寄贈を基本原則として検討を進めてきたものです。
寄贈先のセインズベリー日本藝術研究所は、ロンドンの北東約150kmにあるノリッジ(Norwich)に所在し、日本芸術・文化の研究を推進するとともに、国際的な日本美術研究の活性化を図ることを趣旨として1999年に設立された独立非営利団体です。イースト・アングリア大学と提携し、大英博物館・ロンドン大学東洋アフリカ研究学院などとも連携関係にあります。同研究所のプロジェクトの中に「日本の考古学および文化遺産プロジェクト」があり、日本考古学に関するシンポジウムをほぼ毎年開催し、2003年以来日本から5名の若手考古学者を受け入れ、2001年に『火炎土器:縄文期日本の芸術と景観』展(会場:ケンブリッジ大学フィッツウィリアム博物館)、2009年に『土偶展』(会場:大英博物館)を開催し、今年2010年は『unearthed−日本とバルカン地方の土偶−』展を開催するなど、日本考古学に関する活動を展開しています。こうした活動実績、および日本考古学協会寄贈図書の活用計画が適当であることから、寄贈先として採択しました。
本協会の目的を達成するための事業として、本協会は定款第3条で事業として「(6)関連学術団体との連携及び協力」や「(7)国際的な研究交流の推進」を挙げています。今回の決定を基礎として、今後セインズベリー日本藝術研究所との連携促進をとおして、本協会所蔵図書一括寄贈方針を定めた当初は想定しなかったような、図書活用にとどまらない、さらに広がりをもつ展開が視野に入る、という積極的な評価も可能です。
本協会所蔵図書は、1948年の発足以来、永年にわたって会員や自治体等から寄贈をうけたものですが、固有の収蔵施設がないために公開できない状態が続きました。ようやく1975年から市川市立市川考古博物館に寄託して会員(および会員の紹介のあるもの)が利用できる状態となりました(『寄託図書利用規定』1975年3月31日発効:会報No.54:1975年3月)。しかし、本協会独力の公開ではないために、1975年から1990年代まで、所蔵図書の保管と公開、および総大会資料や年報等の在庫保管の問題が繰り返し委員会(現理事会に相当)で議論され(会報No.85:1984年7月など)、1970年代末には日本学術会議考古学研究連絡会議において国立考古学博物館構想が検討され、そのなかで本協会の所蔵図書の扱いも視野のうちにありましたが、残念ながらいずれも解決・実現に至りませんでした。所蔵図書とは別に、協会刊行物保存・在庫分は1980年代から世田谷区内倉庫などを利用してきました。1993年には収納容量等の問題から足立区内貸倉庫に移転し、1994年には保存図書の市立市川考古博物館委託分が収納限界に達したことから、これを撤収して足立区内貸倉庫に収納する措置もとりました(会報No.119:1992年12月・No.122:1993年7月・No.134:1998年7月など)。
2000年3月、市立市川考古博物館の収蔵容量が限界に達したことなどから、同博物館から撤収要請が出されました。数年前から予想された事態でしたが、同博物館と協議のうえ、追加収納は中止するものの、それまでの寄託分については従前どおりの対応をお願いしたうえで、2000年5月の第66回総会において実情を報告し、法人化をにらんだ積極的活用を含めた対策を急ぐ必要があると述べました(会報No.140:2000年7月)。一方、2000年以後の寄贈図書は埼玉県所沢市のナガオ倉庫に梱包して収納することとしました。これにより保管代が毎年増加していくことと、同博物館からの撤収要請に応える打開策を見出すために、2004年12月25日の理事会で、蔵書公開施設兼事務所の確保を検討する施設整備検討委員会を設置する方針が承認され(会報No.154:2005年3月)、これを受けて2005年度に施設整備検討小委員会を組織して財政面と合わせて検討が本格化しました。
そして2006年の第72回総会で報告・承認された方針通り、同年8月の会報No.158(2006年8月)で「意見を求めます……協会所蔵図書の取扱い及び報告書等の受入れに関し今後のあり方について」と題して全会員にご意見を求めました。そこでは、①今後、遺跡発掘調査報告書等の収集は行わない、②現有所蔵図書は一定の条件を付して、公的機関に一括寄付する、③寄付先は公募する、という方針を提示しました。そして、「説明、問題点」として、①国内の機関では発掘調査報告書がすでにかなり所蔵されている一方、地方学会誌等は未収集傾向があること、②市立市川考古博物館は満杯である一方、利用は極めて少ないこと、③調査報告書の重要性や寄贈経緯から、管理は協会が負うものであり、売却や無条件配布は許されないこと、④2003年3月1日に有限責任中間法人化した際に「協会の財産としては、会計上は、協会発行物で有料配布するものは流動資産になるが、所蔵図書は、一般図書館の場合と同じく消耗の後、廃棄されるものと考えられ、流動資産にはしていないこと。」の4点を明示しました。
これに対して、9件の意見が寄せられ、うち7件は条件付き賛成であったことから、施設整備検討小委員会で協議を重ねた結果、レファレンス(利用情報サービス)などの条件付きで一括寄贈する方針が再確認されました(会報No.160:2007年3月)。この間、所蔵図書を本協会が独自に管理・活用する条件を整えるために、会費の値上げや会員からの募金を基礎とする施設獲得案も検討されましたが、同小委員会および理事会で議論の結果、実現は困難と判断されました。そして2007年の第73回総会では、一括寄贈方針を報告し、承認されました。その際、所蔵図書問題等について会報で全会員に意見を求めたものの、回答は9件にすぎなかったことを紹介して、さらに会員の積極的意見表明を求めました(会報No.161:2007年7月)。同総会を受けて、同年7月理事会で協会図書対応検討小委員会に改組し、同年9月理事会で委員の委嘱を行い、図書寄贈にかかる協議を進めました。12月15日の同委員会第1回では、一定の条件を付して一括して公的機関に寄贈する、その一定の条件とは、①閲覧とコピーサービス、②継続収集、③廃棄しない等であり、寄贈は公募とするなどで、この基本方針を確認して、問題点の洗い出しを行いました。
この間、2007年8月22日付けで日本情報考古学会IT化作業部会から当協会会長宛に「日本考古学協会所蔵書籍のIT化への提言」が提出されました。これに対して、公的施設に一括寄贈するという方針が、会員の意見を求めたうえで理事会・総会の承認を得ていることなどの理由により、受諾は困難であると回答しました。ついで11月8日付けで同作業部会代表植木武氏から「再考願い−ヒアリング申請−」が会長宛に提出されたことから、協会図書対応検討小委員会において12月15日植木代表にヒアリングを行いました。2008年1月26日の同小委員会でこの提言を検討し(会報No.163:2008年3月)、①経費、事務量が多大であり、今の協会の体制・実力では困難である、②日本情報考古学会からのIT化要望であり、その事業主体が本協会でなければならないというものでもない、③IT化作業では全所蔵図書を裁断する必要があるが、こうした報告書類の裁断は、一括保存という基本原則と相容れない、④すべての報告書を一括寄贈する方針を総会で承認している、⑤事業への出費、将来の維持管理に関して財政的裏付けが困難である、という理由から、提案は受け入れられないと決定しました(2008年1月29日付け回答)。
そして2008年の第74回総会では、2007年度の経過および所蔵図書の収納状況について説明・紹介したうえで、図書寄贈の方針と2010年1月搬出に向けた具体的な進め方を報告しました。そこでは、寄贈先は条件を満たした機関・施設が対象で、閲覧等のサービス、目録の作成を行い、図書の廃棄はしないこと、協会寄贈図書であることを明記する等が条件になるとしました(会報No.164:2008年8月)。さらに、会報No.165(2008年12月)に「協会所蔵図書寄贈先募集要綱(原案)について」を掲載し、会員への徹底を図るために別途チラシを添えて注意を喚起する措置もとりました。募集要綱(原案)では、選定された機関に2010年3月までに一括寄贈することとし、本協会は新たに図書の寄贈を受けない(第3条)、受贈者はすべての人々の希望に応じて受贈図書を閲覧等の便宜を図らねばならない(第4条)、目録情報を提供して利用者に利用の便を図るが、利用者には通例の必要経費の負担を求めることができる(第5条)、廃棄や売却、第三者への譲渡はしてはならない(第6条)、受贈者は国公立の機関並びにこれに準ずる機関及び団体とする(第7条)などが明記されています。
この原案に対して、期日内に会員からの意見表明は1件もありませんでしたので、2009年の第75回総会において審議し、承認されて「協会所蔵図書寄贈先募集要綱」が制定されました。これにもとづいて同年8月の会報No.167ならびに本協会公式サイトにおいて協会所蔵図書の寄贈先を公募しました。これに対して国内および海外の研究機関や大学などから計6件の問い合わせがありましたが、残念ながら、このうち国内4つの機関・大学からの申請はなく、10月31日の応募締め切り日までに申請書の提出があったのは英国のセインズベリー日本藝術研究所1件のみでした。
この申し込みについて、協会図書対応検討小委員会で検討した結果、研究活動実績および、収蔵施設の管理運営・図書閲覧やレファレンスの体制・デジタル化などの活用計画が適当であると判断し、受理する方針を固めました。次いで、2010年1月23日の理事会で募集結果を報告し審議した結果、賛成18・反対2で、セインズベリー日本藝術研究所を寄贈先とすると採決しました(会報No.169:2010年3月)。
これを受けて、2月26日に本協会事務所において、セインズベリー日本藝術研究所副所長のサイモン・ケイナー(Simon Kaner)氏、同研究所附属リサ・セインズベリー図書館司書の平野明氏と寄贈にかかる具体的な手続きについて協議いたしました。また、市立市川考古博物館から今年度内の搬出を厳守するよう要請がありましたので、ほかの本協会図書を保管している埼玉県所沢市のナガオ倉庫へ寄託図書を一旦搬出することとし、3月22日・23日にセインズベリー日本藝術研究所の経費で移動し、それ以後は同研究所が管理者(経費負担)となっています。そして3月30日付けで覚書を交わしたところです。
以上、すべて2009年総会で承認された要綱にもとづいて手続きを進めたものです。
現在、寄贈図書の管理運営・レファレンス・今後の収集方法等の詳細について、協会図書対応検討小委員会・理事会で検討するとともに、セインズベリー日本藝術研究所と協議をすすめているところです。56,000冊を越える図書の整理は、国内の大型図書館でも2〜3年かかる作業です。まず、本寄贈図書の目録作成が当面の作業となりますが、目録の作成は、遺跡名・地名の読み方などに正確を期すため日本国内で行う予定です。目録作成が終了した後、リサ・セインズベリー図書館へ搬送して収蔵することになりますが、レファレンスの充実と本協会員への便宜をどのように図るか十分に協議し、契約を結ぶ計画です。今秋には、同研究所理事会の理事長であるイースト・アングリア大学学長と理事2名が来日し、本協会を訪問する案が示されていますので、それまでにできるだけ多くの会員から意見を伺って、閲覧等の便宜について協議したいと思います。
たとえば、本格的なデジタルデータの配信に先駆けて、①コピーサービスおよびその送付を行うこと、②国際的な図書館間の相互貸借によって、現地を訪問することなく日本国内の大学ないし公的図書館で閲覧できること(有料)、③作成した目録はインターネット上で公開すること、などについて検討しているところです。
また、今後の図書収集をどのように行っていくかという課題は、単に図書の収集に留まらず、セインズベリー日本藝術研究所と本協会の相互協力をどのように進めるかという視点で検討していきたいと考えています。
2010年度総会で、所蔵図書は、本協会定款で総会議決を要する事項として第27条(3)に挙げられた「財産目録及び貸借対照表についての事項」に該当するので、2010年1月理事会で寄贈先を決定したことは無効である、という趣旨の意見が出されました。しかし、本協会所蔵図書はきわめて重要な「たからもの」であるという意識は強くもつものの、定款でいう財産には該当しません。
所蔵図書をめぐる動きとは別に、本協会は1966年に法人化の検討を始めました。1981年度からは毎年300万円を積み立てて法人化準備の基本財産とし、1988年度から委員長を会長と改称し、文部省と接触し、会員アンケートを実施するなどを経て、2000年までに諸準備を整えました。そして2002年4月1日に新たに中間法人法が施行されたのを受けて同年秋から有限責任中間法人化の検討が本格化し、2003年10月25日の臨時総会で承認され、2004年3月1日に法人として発足しました。
この法人化移行に際して、旧協会から新協会に引き継ぐ「譲渡財産目録」が作成されましたが、「所蔵図書については、会計事務所と相談の結果、元来寄贈されたものであり将来にわたって売買する予定もないことから、資産価値は極めて微茫であると判断されたため、現物出資目録には掲載しない」(会報No.150:2003年12月)と委員会(現在の理事会に当たる)決定し、2003年10月25日の法人設立のための臨時総会で報告・了承されています。前記のように、図書一括寄贈方針について会員の意見を求めた会報No.158でも、この点について明記したところです。
では、非法人であった日本考古学協会から有限責任中間法人日本考古学協会に所蔵図書が譲渡されていないのではないか、という疑問が生じるかもしれません。しかし、有限責任中間法人に移行する際に定めた定款の附則の4に「従来、日本考古学協会(非法人)に属した権利義務の一切は、この法人が継承する」とあり、中間法人から一般社団法人に移行した際にも、この附則部分は改正されておらず、条文は現在も有効です。この「権利義務の一切」の文言には「所有権」も含まれるので、法的に所蔵図書は現協会に継承されています。
同博物館に寄託して会員(および会員の紹介があるもの)に公開されていた図書は38,234冊に上ります。その利用状況については、2001年までと2004年度は年間十数名ですが、2002年以後は毎年0〜5名で、いずれも約半数は学生です。公開されているものの、会員の利用はきわめて少ないのが現実です。2000年度以後の所蔵図書を含めて公開しても、これを越える利用があるという保証があるでしょうか。
本協会所蔵図書の一括寄贈の方向が明確になった2005年度の理事会で、一括寄贈先を募集した場合、海外の機関も応募することが予想されるが、海外在住研究者も会員に擁する日本を代表する学会が、国籍条件を付した募集をかけるのは問題が大きい、という意見が出されました。理事会決定した案件ではないために、会報にこの情報が掲載されなかったことについての批判は受けざるを得ないと考えます。しかし、2006〜2009年度総会に提示した一括寄贈に関する文書には、いっさい国籍条件を付しておりません。したがって、寄贈先が海外機関であることを理由に、今回の決定を覆すことはできません。
主だった大学や研究機関・博物館等に実情を伺うと、応募しなかった理由の第一は、図書館に遺跡の発掘調査報告書は受け入れない方針が徹底されてきている、という深刻な問題であり、しかも報告書類を受け入れる図書館・図書室でも、施設の容量の問題から重複本の受け入れはまったく不可能であり、一括受贈はきわめて難しいのが現状です。
なお、本年の総会で、初めから英国を暗黙の前提として検討が進められたのではないかという疑念が表明されましたが、これはまったくの誤解です。セインズベリー日本藝術研究所が意思表示したのは、会報No.158(2006年8月)で一括寄贈方針が公開されてから半年後の2007年2月であり、2009年1月にも申請があったものの、まだ募集していないことから、2回とも受理せず、書類は返送しています。
2009年度現在、貸倉庫に保管している図書数は17,980冊で、経費は年間347,760円でした。これまで市立市川考古博物館に寄託されていた図書をこれに加えると56,214冊で、年間経費が997,920円となり、貸倉庫にある協会保存分29箱と現在本協会事務所にある34箱分の図書を加えると年間60,480円増で、計1,058,400円にもなります。いうまでもなく、100名を超える会員の会費に相当します。
2007年に日本情報考古学会IT化作業部会から、協会図書をIT化する提言が寄せられ、2010年度総会でも同じ意見がだされました。IT化については重要な提言と受け止めたので2007年にヒアリングを行いましたが、IT化作業の際に、1965年以降の報告書をすべて裁断することは、所蔵図書の一括保存という大原則に反するために、これに応じることはできないという決定をしました。さらに、もしこの提言を受け止めたと仮定しても、IT化作業後の所蔵図書の問題については、まったく状況は変わりません。つまり、IT化の問題と協会所蔵図書問題は、まったく別個の問題なのです。
寄贈先と決定したセインズベリー日本藝術研究所は、ロンドンの北東約150kmにあるノリッジ(Norwich)市の大聖堂内に所在し、ロバート&リサ・セインズベリー夫妻からの基金で設立され、ギャッツビー財団の資金援助、国際交流基金等の助成、日本大使館のサポートなどにより活動しています。日本列島の物質文化・視覚的な文化の研究を促進することにより、同分野の国際的な研究の橋渡しとなることを目的とする研究所です。
大英博物館、イースト・アングリア大学、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院とも提携・連携関係にあり、ケンブリッジ大学フィッツウィリアム博物館・立命館大学・九州大学・新潟県立博物館とも共同研究契約を結んでいます。本部にあるリサ・セインズベリー図書館の、日本の芸術・文化・考古学に関連する所蔵資料数は、質・量ともヨーロッパ屈指で、日本の国会図書館とも「資料の国際交換」制度の提携を行い、日本の発掘調査報告書も一部受入れています。
現所長のニコル・クーリジ・ルーマニエール(Nicole Coolidge Rousmaniere)氏は、大英博物館アジア部日本セクションのキュレーターでもあります。同氏は、日本の陶磁器や日欧交流史に造詣が深く、最近では2008年1月19日開催の日本考古学協会はじめ四学会合同公開講演会でも基調講演をされています。また氏は、2007年4月から2009年9月まで、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻の客員教授に招聘され、授業を担当されておりました。
同研究所のプロジェクトの中に、縄文文化研究者である副所長のサイモン・ケイナー氏が担当する「日本の考古学および文化遺産プロジェクト」があり、日本考古学に関するシンポジウムが、ほぼ毎年開催されています。また、2003年以来日本から毎年のように若手考古学者を受け入れている(2010年度2名)ほか、2001年に『火炎土器:縄文期日本の芸術と景観』展(会場:ケンブリッジ大学フィッツウィリアム博物館)、2009年に『土偶展』(会場:大英博物館)を開催し、今年2010年は『unearthed−日本とバルカン地方の土偶−』展を現在開催中です。特に『土偶展』は、入場者78,327名を数え、また図録“The Power of Dogu”の臨時増刷、情報誌で五つ星評価など、驚くべき好評を博したことは、『月刊文化財』2010年7月号などでも紹介されているとおりです。
こうした活発な諸活動を通じて、現在、ヨーロッパにおける日本考古学の研究ネットワークの中心的役割を果たしています。
セインズベリー日本藝術研究所の詳細は、以下の公式サイトにてご確認ください。
http://www.sainsbury-institute.org/ (英語)
http://www.sainsbury-institute.org/fileadmin/images/AR/arjp06.pdf(日本語:9頁)