日本考古学協会の蔵書を海外に寄贈する案の行方については衆目を集めてきましたが、2010年10月16日(土)に開催された臨時総会において否決されたところです。またこれにより、今後の蔵書の保全・活用問題に向けて第三者を含めた特別委員会を設置することが、次の総会において諮られると聞き及んでおります。この特別委員会が、協会員の理解と合意のもと有意義に機能するために、特別委員会において議論されるべき課題について、総会開催に先立って協会員に情報提供・周知徹底したうえで、総会に臨んでいただきたいと思います。ここでは、その検討すべき課題について、私見を述べさせていただきます。
基本的な事項として、日本考古学協会の使命とは何か。それはまず、@考古学研究を深めるための研究発表・情報交換の場、そして、A遺跡に関する多種多様な情報収集・情報発信のセンター的役割の2点であると考えます。
現状は、後者の役割が充分に果たせているとはいえない状態です。しかし、協会の蔵書が今まで充分に活用されてこなかったということをもって、手放してもいいという理由にはなりません。後者の役割というものは、@破壊された遺跡の存在証明証ともいえる発掘調査報告書の意義と価値を、協会が重く認識しているという姿勢表明、A現代の考古学研究者だけでなく、次世代の研究者が日本列島史を研究する際の基礎資料となるものとして収集・保管し、次世代に伝える責任を意味しており、むしろこれこそが、日本考古学協会の学問的・社会的存在意義を裏づけるものといえます。
現在に至るまで、蔵書が充分に活用されていないことは協会ならびに協会員各自が反省すべき点でありますが、今回のことを機会に、これまで放置されてきた蔵書の活用方法について、協会員一人ひとりが智恵をだしあい、真剣に検討する絶好の機会にすべきだと思います。
今日、蔵書の活用方法としては、@原本の直接閲覧、Aデジタル・データ化したものの利用の2通りがあります。
しかしながらデジタル・データは、それを利用するためのツール(ハード、ソフト、技術)が常に必要であることや、下記に述べるデジタル・データの媒体としての脆弱さを考えれば、原本の保存は必須であるし、原本閲覧の実現をめざすことが基本です。いずれにしても、蔵書目録の整備充実(ネット上の公開も含む)は、すみやかに取り組む必要があります。
また原本閲覧の実現を、協会自らが取り組むのか、他機関・組織に委託するのかという問題もあります。これについては、経済的な事情により協会自らがおこなうことは無理との理事会判断がなされたようですが、原本の保全を図ることは協会の責任においてなされるべきであり、再検討の余地がないのかどうか、特別委員会において改めて協議していただきたいと思います。
発掘報告書にも、過去・現在・未来があります。過去、すなわちデジタル・データ化及び公開を想定していない既刊の発掘調査報告書については、@デジタル・データ化及びその公開にともなう諸権利問題(著作権、肖像権など)、A巨額な費用、B媒体としての脆弱さ(技術革新によるシステム変更でデータが使えなくなる危険性など)などの難題がともないます。
また、文章のみの文献とは異なり、精密な図面、大判の図面をともなう発掘調査報告書を適切にデジタル・データ化するためには、データ化の作業に考古学の専門家の判断が必要な場面が想定されます。さらに、発掘調査報告書のより広範な活用をめざすのであれば、キーワード検索の機能等も必要でしょう。そうした基本的な作業においても、細部は考古学の専門家がサポートする必要があります。そうしたサポート体制をいかに確保するかも問題です。
蔵書のデジタル・データ化にあたっては、こうした諸問題について、どのような見通しをもっているのかを明白にしたうえで取り組んでいただきたいと思います。また、すでに発掘報告書のデジタル・データ化に取り組んでいる諸組織との連携、関連諸学会との連携も検討する必要があるでしょう。
現在、いくつかの埋蔵文化財センターや、国立情報学研究所CSI委託事業として複数の大学図書館による「全国遺跡資料リポジトリ・プロジェクト」によって、発掘調査報告書がデジタル・データ化され、公開されています。実際に使ってみると、横長のパソコン画面での閲覧のしにくさ、本文と離れたページにある図面や写真、注を参照したり、欲しい情報の記載箇所を探す際の煩わしさなど、原本の方が使いやすいと思う点が少なくありません。協会員の皆さんも、実際に利用してみたうえで、図面の精度やキーワード検索のあり方など、より適切なデジタル化について充分な議論をおこない具体的な提示をしていただきたいと思います。
発掘報告書は、破壊された遺跡に刻まれた人間の営みを誰もが復元・解明できるように記録化するものです。しかし残念ながら、それは各時代の学問水準、発掘技術、担当者の力量、発掘調査の条件などにより、完璧に遂行することはなかなか困難なことです。しかし、昨今推進されているデジタル化を活用することにより、発掘調査のビデオ録画をはじめ、デジタル映像等の活用によって、より充実した遺跡の記録保存が可能となるでしょう。デジタル・データ化は、発掘報告書のあり方に根本から見直しを迫るほどの画期的な技術革新です。しかし、魅力は大きいけれど、いまだ未知数な要素の多い分野であり、リスクも大きい。それをいかに有効に活用できるか、私たちが試されている局面だともいえるでしょう。私たちは、デジタル化導入を見据えた新たな遺跡の記録・保存形態を模索し、そのマニュアル作りにも取り組む必要があります。活字媒体、デジタル・データの両者のメリットを融合させながら、発掘調査の記録をどのような形にとりまとめるか。またどのように保全・活用すれば、もっとも有効に発掘調査の成果を他の学問分野はもとより一般市民にも利用し、広く活かしてもらうことができるかについても、すべての協会員の叡智を結集し、議論を深めていただきたいと思います。
一方で、しかし、いくらデジタル技術が発達してきたといっても、遺構・遺物等の図面の詳細な検証など、原本に立ち返る必要が生じるケースが必ず出てきます。発掘報告書の原本は、失われた遺跡をたどる唯一の証言者であり、この原本があればこそ、次世代の技術を応用することもできるのです。デジタル技術も、そうした技術的応用の一つにすぎません。国立国会図書館等でおこなわれている図書のデジタル化も、大前提は原本の保存です。言い方を変えれば、発掘報告書の原本破棄は、我々考古学者にとっては、遺跡そのものの破壊に匹敵する情報の喪失ととらえるべきだと強く感じています。
以上の提言が、特別委員会において議論を深めるために役立つことを願っています。
(2011年1月31日)