2002年5月26日(日本考古学協会第68回総会)
日本考古学協会会長 甘粕 健
「旧石器発掘捏造」が発覚してから1年半が経過しました。日本考古学協会は捏造発覚直後の2000年11月12日に委員会見解を発表しました。その中で藤村新一氏の捏造行為は、考古学の拠って立つ基盤を自ら破壊するもので研究者の倫理が厳しく問われなくてはならないと糾弾しました。また、協会員の中からこのような行為をなす者を出し、しかも研究者相互の批判によってこれを防ぐことができず、わが国の考古学の信頼を大きく傷つけたことを深くお詫びしました。そして会則に照らして藤村氏を退会せしむること、協会として研究者倫理の徹底についての検討に取り組むこと、疑念の生じた遺跡の検証を含めて、前・中期旧石器遺跡に対する自由闊達な学術的検討を集中的に行う「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」を組織すること等を表明しました。
「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」は、2000年12月20日に準備会が結成され、翌2001年5月19日の日本考古学協会第67回総会において戸沢充則会員を委員長として正式に発足し、5つの作業部会を設けて精力的な活動を行ってきました。この間、日本考古学協会・東北日本の旧石器文化を語る会・宮城県考古学会・北海道考古学会等の関連する学会と大学、問題の遺跡が所在する各自治体および文化庁等の一致協力により、当初の予想を超えるスピードで検証作業が進んでいます。それとともに当初の想定を超えるような驚くべき捏造の広がりが明らかになりつつあります。その詳細は『特別委員会報告II』にまとめられています。
顧みれば、一部の研究者からの正鵠を射るところの多い批判がなされていたにもかかわらず、論争を深めることができず、学界の相互批判を通じて捏造を明らかにするチャンスを逸したことは惜しまれます。自由闊達で、徹底した論争の場を形成することができなかった日本考古学協会の責任も大きいと考えられます。
日本列島における人類文化の始源という、国民にとってきわめて重要なテーマに対し虚偽の歴史像を提供することになり、それが一学説としてではなく、あたかも定説であるかのごとく多くの教科書に取り上げられ、歴史教育に大きな混乱をもたらしたことは誠に申し訳ないことです。日本考古学協会の研究発表会では、藤村氏等の研究グループの研究発表が異常に高い頻度で行われましたが、協会としては反対論者との討論を企画する等の問題意識もなく、結果的に捏造にかかわる調査を権威づけることになったことを反省しています。
捏造事件は考古学に対する国民の期待と信頼を裏切る背信行為でしたが、とりわけ問題の遺跡の所在地で発掘調査に協力し、歴史のロマンを育み、遺跡を活かした町作りに希望を託していた自治体と地域住民を物心両面において深く傷つけることになりました。こうした方々から考古学全体に厳しい批判が寄せられるのは当然です。その一方で、この間に行われた検証発掘に当たって、どの地域でも、自治体と住民の方々が複雑な気持ちをかかえながらも、研究者のお詫びと訴えを受け入れ、科学的に真実を明らかにするという一点で快く協力がいただけたことは心強い限りであり、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。
日本考古学協会は、捏造事件によって失われた日本の考古学の信頼を回復する上での最優先課題として疑惑の検証に総力をあげて取り組み、1年半を経て一定の成果を得ることができました。今回の事件が社会に及ぼした甚大な損害、それに対する研究者の責任は重く、なかでも日本考古学協会の責任は、重大なものがあります。真実の歴史を求めるすべての国民に対して、また日本考古学の行く末を心配しておられる海外の同学の友人に対し、日本考古学協会に結集する3,600余人の考古学研究者を代表し、心から陳謝いたします。あわせて日本考古学の信頼回復と新生のために一層の努力を傾けることを誓うものであります。
なお、3ヶ年の時限で設置された「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」は、今折り返し点を迎えました。2002年度においては本報告書を刊行し、国内外に対する日本考古学協会の説明責任を果たしたいと思います。あわせて日本の旧石器時代史の再構築を展望する新しい検討段階に進む予定です。また、日本考古学協会として考古学研究者の倫理をめぐる討議を深め、新しい倫理綱領の制定をめざそうと思います。