HOME > 聖嶽洞穴遺跡問題
聖嶽洞穴遺跡問題について
【2004年12月1日発行 会報No.153,p.8掲載】
日本考古学協会に設置されていた聖嶽洞穴遺跡問題連絡小委員会は、2003年10月25日の『聖嶽洞窟遺跡検証報告』の刊行をもって、実質的な活動を終えた。
しかし聖嶽洞窟遺跡問題が解決したわけではない。その最たるものが、捏造疑惑のなかで、抗議の自殺をされた賀川光夫氏の名誉回復に関する裁判であった。裁判は検証報告書刊行後の、謝罪広告の掲載と慰謝料920万円を命じた福岡高等裁判所判決(2004年2月23日)、これを不服とした文藝春秋社の上告を棄却した最高裁判所判決(2004年7月15日)によって、異例の早さで確定した。文藝春秋社も、慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載を済ませており、一応の決着がついている。この裁判および結果は国内のみならず、「SCIENCE」(VOL305)に掲載され、世界の科学者に伝わっている。
問題の謝罪広告には「大分県聖嶽洞穴遺跡から採取された石器が捏造であり、同遺跡の発掘調査の責任者であった賀川光夫別府大学名誉教授があたかもその捏造に関与した疑いがあると受け取られる一連の記事を掲載しましたが、これらの記事のうち、石器が捏造であること及び同教授がこの捏造に関与したことは事実ではありませんでした」として、文藝春秋の関係者が謝罪している。これらの内容は福岡高裁および最高裁の指示によるものではあるが、明確に捏造を否定している。
現在学問の分野では、雑誌論文の採用・掲載にあたっての査読や大学などで実施されている点検・評価など、客観性をもつ第三者評価が盛んに行われている。聖嶽洞窟遺跡の成果についてそれなりの根拠をもって研究者が疑惑をもつことはあってもかまわない。ただそれを論証するには客観性のあるデータの裏付けが必要である。そして今回の場合、最高の第三者機関である最高裁によって、捏造疑惑に根拠が認められないことが明言されている。私たちはこの事実を重く受け止めるべきである。
最高裁が非を認めたのは文藝春秋社であるが、記事の端緒となり根拠となったのは研究者の一部にもたれた疑惑である。それは、決してマスコミに伝わるのではなく、まずは学問の場で議論、検証されなければならなかった。その過程を怠ったことが、結果的に痛ましい事態を招いた。いま、考古学は、真実を追究する科学なのか、あるいはマスコミともたれ合いながら根拠のあやふやな憶説が横行する擬似科学なのか、社会に問われているのである。
『週刊文春』9月2日号掲載の謝罪文全文
故賀川光夫別府大学名誉教授に対する謝罪文
週刊文春二〇〇一年一月二五日号、同年二月一日号、同年三月一五日号において昭和三〇年代に大分県聖嶽洞穴遺跡から採取された石器が捏造であり、同遺跡の発掘調査の責任者であった賀川光夫別府大学名誉教授があたかもその捏造に関与した疑いがあると受け取られる一連の記事を掲載しましたが、これらの記事のうち、石器が捏造であること及び同教授がこの捏造に関与したことは事実ではありませんでした。
この記事により、故賀川光夫別府大学名誉教授の名誉を傷つけ、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
株式会社 文藝春秋 代表者代表取締役 上野 徹 週刊文春前編集長 木俣正剛 取材記者 河ア貴一
賀川トシコ様 賀川 洋様 賀川 真様
『聖嶽洞窟遺跡検証報告』の刊行について
日本考古学協会は、大分県南海部郡本匠村に所在する聖嶽洞窟遺跡に関する疑惑に関しまして、協会委員会内部に「聖嶽洞穴遺跡問題連絡小委員会」を設置し、九州考古学会・大分県考古学会・別府大学と連携協力し検証してまいりました。このたび、検証結果をまとめました報告書を刊行いたしました。報告書は、1.聖嶽洞窟遺跡の評価の原典になるべきですが、未刊行でした第1次調査報告の作成、2.出土石器の多方面からの分析、3.石器以外の出土遺物の検討、4.遺跡に対する現段階での評価、からなっています。遺跡の捏造疑惑に関しましては、約40年の歳月の流れが壁になり断定はできませんでしたが、いくつかの新たな事実を得ることもできました。私どもは検討の素材を可能なかぎり提供いたしましたので、皆様でご判断いただければと願っております。
本報告書は、協会員各位のご要望がありましたので、10月25・26日に滋賀県立大学で開催されました日本考古学協会2003年度大会の折りに、協会員の皆様へまず販売いたしました。当日欠席されました方々につきましては、別記要領で頒布いたしておりますので、お求めいただけますようご案内いたします。
『聖嶽洞窟遺跡検証報告』頒布案内
- 『聖嶽洞窟遺跡検証報告』 1冊1,000円 ※送料は、1冊の場合340円です。
- 支払い方法: 書籍の送付時に、郵便振替用紙を同封いたしますので、到着後にお振り込み願います。
- 申込方法: 日本考古学協会事務局まで、郵送またはFAXにてお申し込み下さい。
- 申込先:132-0035 江戸川区平井5-15-5 日本考古学協会 FAX 03-3618-6625
聖嶽洞穴遺跡問題について
大分県聖嶽洞穴遺跡に関する疑惑が、新聞、週刊誌などで取り上げられ、賀川光夫会員の自殺という悲劇的な結果を生むに至った。本協会は、聖嶽遺跡の発掘調査が、日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員会による調査の一環として実施され、その調査報告が本協会の編集による『日本の洞穴遺跡』(平凡社刊)に収録されていることから、聖嶽遺跡に対する疑惑に答える必要があると考えた。そこで、聖嶽遺跡の当時の調査結果を再検討するとともに、疑惑の原因が何処にあるのかを明らかにすることを目的として、本協会委員会内に連絡小委員会を設置し、九州考古学会、大分県考古学会、別府大学と協力して上記の目的を達成することとした。協会委員会からは高倉洋彰、小林三郎、山田昌久の各委員があたることとなった。
九州考古学会、大分県考古学会、別府大学による検討会は、聖嶽遺跡の再検討とともに、九州地方の黒曜石製石器の器種、時期、原石産地別の分布状況の把握を進め、さらに、聖嶽遺跡出土石器の原石産地同定の分析作業などを行う予定である。協会は前記3委員を通して、九州考古学会、大分県考古学会、別府大学と協力しつつ問題の解明にあたることとした。
協会と前記3者とによる検討・調査期間は本年度内とし、その結果は『会報』等で報告することにしたい。
第6回調査検討委員会の概要
- 日時:2002年4月7日(日)
- 場所:別府大学歴史文化総合研究センター
- 関係者が集合する検討委員会は今回が最後になるため、検討報告書作成に向けての会合であった。
- 田中良之委員から聖嶽洞窟第2次調査報告書の検討内容が報告された。第1次調査の検討が十分されないままの第2次調査への着手など、いくつかの問題点が指摘された。それは今回の報告書で検討を要する問題点でもある。
- 田中報告に関連して小倉正五委員から、聖嶽洞窟上の尾根に残る土塁状遺構に関する知見が明らかにされ、あわせて『本匠村史』に本匠村から熊本方面まで尾根伝いに往来していたという記載のあることが報告された。
- 高倉洋彰協会委員から報告書の方向性についての説明があり、締切を5月末日とすること、原稿を事務局で集成の後に全文を各委員に配布し、内容の共通理解をはかることの確認があった。
第5回調査検討委員会の概要
- 日時:2002年3月3日(日)
- 場所:九州大学六本松キャンパス
- 下川達彌委員から1960年代初頭の九州における旧石器研究の状況についての報告があった。氏によれば、九州にはまだ研究者層が薄く、旧石器コレクターの活躍の時代であり、コレクターは自分のコレクションを中央の研究者に見せ認めてもらう段階だったとのことであった。
- 本田光子委員・下村智委員および九州考古学会の志賀会員から、別府大学所蔵の聖嶽洞窟関連資料等について報告があった。聖嶽洞窟関連資料の中にチャート製切出形ナイフがあり、聖嶽洞窟出土と確定できないがその可能性があることが指摘された。これに関連して、木崎康弘委員から台形ナイフおよび切出形ナイフについての報告があった。もし新知見のチャート製切出形ナイフが聖嶽洞窟出土品であれば、この遺跡の時期を考える重要な資料となるため、今後の出土地確定のための継続調査を行うことにした。
第4回調査検討委員会の概要
- 日時:2001年11月24日(土)・25日(日)
- 場所:大分県本匠村聖嶽洞穴ほか
- 3回の会合を通じて聖嶽洞窟遺跡の実地踏査の必要性を痛感したため、実施した。今回の踏査にあたっては、聖嶽洞窟への通路の事前整備や案内、囲ケ嶽・こうもり穴・前高など他の洞穴遺跡の案内などに本匠村教育委員会や同村文化財審議会委員諸氏のたいへんなご協力を得た。
- 24日は、現地到着後に、まず聖嶽洞窟を見学した。洞窟内部や洞窟上の尾根などを精査した。洞窟の内部は真っ暗やみで湿地であり、人が生活したり居住するような環境ではなく、遺跡であるとすれば一時的なキャンプ的な利用である可能性を参加者で確認した。尾根は地表直下に岩盤があり、遺構や遺物の残存を期待できない。この日はあわせて,こうもり穴洞穴を見学した。
- 25日は、囲ケ嶽および前高洞穴を踏査し、次いで聖嶽採集人骨を保管している本匠村郷土資料館に向かい、人骨や村内出土資料を調査した。人骨はその特徴からかなり新しい時期のものと考えられた。保管展示されている本匠村堂ノ間遺跡出土資料の縄文時代前期の石鏃17点中に、1点ながら西北九州産黒曜石製品を確認できたことは、この地域に西北九州産の例を欠いていただけに重要であった。最後に今回の踏査の成果と問題点を検討し、散会した。
第3回調査検討委員会の概要
- 日時:2001年9月16日(日)午後2時〜
- 場所:九州大学比較社会文化研究科会議室
- 春成報告を批判した栗田勝弘2001「検証<聖嶽洞穴の第二次調査報告>」(『大分合同新聞』)、賀川先生ご遺族による週刊文春提訴記事(『大分合同新聞』)を論議。
- 別府大学「聖嶽問題検討委員会」が第1次調査出土の8点の石器に関して2月18日に提示した結論について、春成報告の中で橘昌信氏が旧石器時代の石器と縄文時代の石器の区別の困難さをもって反論されているが、このことを客観的に説明することが求められている。そこで萩原博文・小畑弘己両氏に「聖嶽洞窟出土石器の検討方針と方法」を報告していただいた。両氏は(1)後期旧石器時代の石器の層位的出土例による編年作業の見直し、(2)両時代の石器のパティナによる比較の有効性、(3)特定石器の時空的分布の検討についての作業の進行状況と見通しを述べられた。
- 坪根伸也氏の「大分県下の旧石器時代石器石材について」の報告があり、大分県考古学会で作成中の黒曜石製石器のテータベースはまだ途中なので、荻幸二1998「旧石器時代の九州地方の石器石材について」(『古文化談叢』40)を基礎に、大分県下の河川流域別の石器石材について述べられた。問題の聖嶽洞窟は番匠川流域にあたるが、聖嶽以外に石器が報告されていないこと、大野川流域は流紋岩が優勢だが、上流域になると腰岳(牟田とは区別されていない)を含めた黒曜石の比率が高まることなどが、その内容であった。
- 2つの報告を論議した後、聖嶽問題のまとめ方(分担)を論議した。
- 今秋に検討委員会のメンバーで、聖嶽洞窟を現地踏査することにした。
第2回調査検討委員会の概要
- 日時:2001年7月8日(日)午後2時〜
- 場所:別府大学歴史文化総合研究センター
- 安斎正人2001「<前期旧石器捏造問題>に関する私見」(『異貌』19)、北川賀一・安井金也・池田次郎2001「大分県聖嶽洞穴で採集された距骨について」(『人類学雑誌』109)、春成秀爾2001『大分県聖嶽洞窟の発掘調査』の検討による、田中良之2001「聖嶽報告書は一つの仮説」(『西日本新聞』)の概要を検討。
- 春成氏による前記報告書の内容を検討。その結果、(1)3面上層の遺存状況や堆積状況への疑問点、(2)捏造とする根拠の妥当性、(3)遺跡判断の妥当性、獣骨出土数の少なさやC14年代の評価の問題、AT出土の情報の確認の必要性、などが指摘された。
- 石器数の増加の問題について本田光子氏から調査の現状が報告された。当時の、かつ現場での石器への認識、あるいは当時の記録の一部などからみて、現在では石器と認められないものを含めると、当初から20数点の石器および石器と判断した石片があった可能性が生じてきており、その点の確認の必要性が指摘された。別府大学での調査の過程で春成報告の妥当性に対する疑問がかなり出され、捏造問題に対する対処案も検討された。
- 今後の方針と作業を協議し、石器の科学的な産地同定、大分県下出土の黒曜石製石器のデータベースの作成、地質学分野などに協力を要請しての新たな黒曜石産地の検出、人骨の年代測定への努力などの作業を進めることにした。
第1回調査検討委員会の概要
- 日時:2001年5月6日(日)午後1時〜
- 場所:別府大学歴史文化総合研究センター
- 委員の顔合わせならびに、現状報告が行われた。