高知市浦戸城跡の保存と活用に関する要望書 2015年2月23日
埋文委 第7号
2015年2月23日
文化庁長官 青柳 正規 様
高知県知事 尾﨑 正直 様
高知県教育委員会 教育長 田村 壮児 様
高知市長 岡﨑 誠也 様
高知市教育委員会 教育長 松原 和廣 様
一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 矢島國雄
高知市浦戸城跡の保存と活用に関する要望について
標記の件について、別添書類のように、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容を有するものでありますので、貴殿において、遺跡の保存と活用に係る対策を早急に講ぜられることを要望いたします。
なお、当件に関する具体的な措置については、2015年3月13日(金)までに、当協会埋蔵文化財保護対策委員会委員長宛にご回答を下さるようお願いいたします。
記
一、別添書類 一通
以上
埋文委 第7号
2015年2月23日
文化庁長官 青柳 正規 様
高知県知事 尾﨑 正直 様
高知県教育委員会 教育長 田村 壮児 様
高知市長 岡﨑 誠也 様
高知市教育委員会 教育長 松原 和廣 様
一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 矢島國雄
高知市浦戸城跡の保存と活用に関する要望書
高知県の中心部、太平洋に面した浦戸湾の突端に築かれた浦戸城は、戦国時代の本山氏によって山城の原型が築かれ、その後、天正19(1591)年に長宗我部元親によって「海城」として完成された城郭です。小田原攻めや文禄・慶長の役では水軍基地となり、関ヶ原合戦後の山内一豊入国に際しては「浦戸一揆」の舞台となったところです。さらに、大航海時代に描かれた日本地図には、「Vranda(ウランド)」と地名表記がみられ、浦戸の地が、当時のヨーロッパ世界に認知されていたことを示しています。まさに、浦戸城は戦国期の土佐における激動の歴史が刻まれた城郭です。
浦戸城跡の中心部(主郭)では、平成5(1993)年の桂浜荘改築工事の際に初めて発掘調査が行われ、中心部を取り囲む石垣が発見されました。裏込め石を取り入れた当時の最先端技術で築かれた石垣です。また、出土した鯱瓦から、中心部に天守を備えた城であったことも明らかとなっています。高知城に先駆けた高知初現という重要性から、発見された石垣は現地保存され天守台とともに高知市史跡になっているところです。
また西郭には、幾重もの平場や堀切、竪堀など中世山城を特徴づける遺構群をみることができます。さらに浦戸城跡周辺には、当時の地割を残した城下町や、長宗我部氏にゆかりのある社寺、さらには景勝地「桂浜」など、往時の歴史的・文化的景観が保たれています。
このように、浦戸城跡は、中世から近世への城郭構造の変遷を明確に辿ることができる重要な遺跡であり、桂浜荘と現坂本龍馬記念館によって破壊の及んだ中心部の一部を除き、遺跡と景観が良好に保全されていると判断します。
しかしながら現在、高知県により「坂本龍馬記念館リニューアル基本構想」に基づき、浦戸城跡の中心部に坂本龍馬記念館新館建設計画が進められています。新館建設は、地下に残る浦戸城跡中心部の遺構を破壊し、城郭としての景観をさらに損ねてしまいます。
浦戸城跡の重要性に鑑み、遺跡の保存・活用、そして周辺景観の保全・保護こそ肝要と考え、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記のとおり要望します。
記
浦戸城跡の歴史的価値と景観を損ねる、坂本龍馬記念館新館の城跡内への建設を中止すること。
浦戸城跡の歴史学的・考古学的内容を正確に把握し、その保護・整備・活用を図り、浦戸城跡の国史跡化に向けて取り組むこと。
以上