1872年(明治5)、わが国初の鉄道が新橋‐横浜間で開業されました。その時、海上に鉄道線路を敷設するために築かれた高輪築堤跡が、驚くほど良好な状態で残されていることが、品川開発プロジェクトに伴う発掘調査で明らかになりました。このきわめて重要な遺構について、日本考古学協会は、2021年1月に保存要望書を提出して以降、5回にわたって会長声明とコメントを発出し、さらに関連学会と共同で要望書を提出し、全面保存と活用を求めてまいりました。
しかし、残念ながら第Ⅰ期工事エリアである1街区から4街区は、築堤の一部のみが現地保存及び移築保存されるにとどまり、発見された築堤跡の多くの部分が記録保存のみで破壊されました。
昨年から、第Ⅱ期工事エリアである5・6街区の確認調査が港区教育委員会によって実施され、12月にその成果が現地で公開されました。調査区からは、開業期の海側石垣をはじめとする築堤跡が、非常に良好な状態で残存しており、前回と同様に信号機跡と思われる石垣の張り出しも確認されました。
このように5・6街区も、1街区から4街区と同じように、築堤跡がほぼ完全な形で残っている可能性がきわめて高いことは明らかです。当時の我が国の高い技術力と、それに基づく日本近代化の過程が分かる貴重な遺構が残っていることを無視してはなりません。
この5・6街区の今後については、いまだ計画が明らかにされておりません。日本近代化の歴史・文化遺産である高輪築堤跡を現地に保存し、まちづくりに活かしていくことを望みます。
このまま開発を進め、記録保存するだけで、貴重な遺構を破壊することは簡単です。しかし、これから50年後、100・200年後を見据えたまちづくりを行うのであれば、二つとない歴史・文化遺産と調和する再開発を進めていくことが必要ではないでしょうか。
よって、品川開発プロジェクト5・6街区の高輪築堤跡の全面保存と活用を強く求めます。
2025年2月7日
一般社団法人日本考古学協会
会長 石川 日出志