会長就任あいさつ
一般社団法人日本考古学協会 会長 石川 日出志
この5月25日に開催された一般社団法人日本考古学協会第90回総会において、2024-25年度の会長に選任された石川日出志です。就任にあたりご挨拶を申し上げます。
まず、辻秀人会長をはじめ前期理事会の運営に当たられた方々に感謝申し上げます。この4年間はまさにコロナ禍の真っただ中であり、突然現れた厳しい環境に全力で相対し、乗り切って頂きました。有難うございました。
さて、日本考古学協会は、戦後間もない1948年4月2日に設立されました。戦中の1941年に考古学界の三つの民間組織が国策によって日本古代文化学会として統合された記憶が鮮明なことから、その再生ではないかと危惧する意見もあったようです。しかし当時、戦後の新学術体制の核として日本学術会議設置を主導した文部大臣森戸辰男と文部省科学教育局人文科学研究課長犬丸秀雄が、考古学界に働きかけることによって初めて日本考古学協会が実現しました。以来、今年で76年目となりますが、その間、日本を代表する考古学の全国学会として活動してきました。
しかし、現在は、考古学自体も、また考古学を取り巻く社会環境の面でも、これまでとは異質な状況が現れてきており、厳しい課題が積み重なっています。今、私たちがそれにどう対応できるかが問われている、とさえ言えるのではないかと感じています。
私は、大学に入学した1974年春に池袋の豊島公会堂で開催された総会が初めての参加でしたから、驚くことにこの学会とのかかわりは今年で半世紀になります。博士課程3年目の1982年に会員となり、周囲につねに数名の理事(当時は「委員」)がいる環境にありましたので、それ以来ずっと日本考古学協会の活動や運営を間近に見てきました。前・中期旧石器ねつ造問題対応のさ中の2002年度に、事故のようにわずか7票で理事会入り。それから2017年度まで、途中2年間のブランクを挟みますが、理事(総務担当および副会長)・監事を務めました。その後3期理事会を離れましたが、あと短期間だけ当協会の運営に微力ながら貢献したのち卒業する考えです。
敗戦直後、犬丸のもとで日本考古学協会設立に走り回った杉原荘介は、私の大学時代の指導教授でしたが、私たちに繰り返し言う言葉がありました。「私ら明大の学問はたかが知れている。だからこそ学界に貢献しろ。それが回りまわって、やがて力になる」と。まぁ、学界ではその強引さゆえに敬遠されることの多かった杉原にしては殊勝な言葉ですが、今その言葉を思い出しています。
1980年代、理事(当時「委員」)になっても、春と秋に弁当を食べに来るだけの人や、地域の推薦で理事になったのに一度も理事会に出席しない御仁もおりました。きっと、名誉職だと思っていたのでしょう。しかし実は当時もそうだったのですが、今の理事会は当時よりもはるかに厚みのある実務と雑務に従事しています。
ご覧のとおり新期理事会の方々は、全国から集まった、実務に長けたまさしく精鋭揃いですので、私のようなものでもどうにか会長職を務めることができそうです。しかし学会は理事会のものではありません。会員の方々のご意見と活動があって初めて学会は存立し、社会に対してその責を果たせるものです。最近は、若手の方々の入会が日本の年齢構成比以上に減り、その結果、毎年1.5%余りの率で会員数が減少するなど足元の深刻な課題から、政策の実現に学術を適正に活かす傾向がかなり逓減する国家・政府レベルの動向まで、さまざまな課題が重層的に絡み合っています。そうした課題を解きほぐして具体化しながら、会員の皆さんのご意見を活かして、改善に取り組んでいかなければなりません。
私は、今も心は少年のつもりではあるものの、この秋で満70歳ですから、現実は正真正銘の老人です。しかし、あと少しばかりの時間を頂いて、厳しさの増す考古学それ自体とその環境に立ち向かい、どうしたら私たちの考古学を活性化できるのか、皆さんと一緒に考え、動きたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。