「形のあるものは、いずれその姿を失うものも多い。しかし、歴史を学ぶ私たちは、残されたものをつなぐようにして、何を未来に伝えるべきかを考えていきたいと思います…。」これは、春休みに黒耀石体験ミュージアムで開催した国際交流のための研修会に参加した高校2年生の黒耀石大使の言葉です。
この日は、新型コロナ禍やウクライナへの軍事侵攻などで、海外への渡航を含めた活動再開の見通しが立たないまま新年度を迎える子ども達に、国際交流の意義や今後の活動方針を伝える説明会を開催しました。そして、研修会では、近藤英夫東海大学名誉教授から、不安定な政治情勢下で海外の調査に赴いたご自身の体験談や、世界に視野を広げようとしている大使達へのエールを頂きました。「人類が遭遇する様々な禍とは何か…。我々の祖先たちは、時間をかけながらも自然現象によって発生した様々な災害や病害を乗り越えてきました。そして、人とその社会が引き起こした戦争は、まさに人類の意志によって解決できる禍なのです。」高校生の感想は、この講義を受けて感じたことを述べたものでした。
長野県の長和町では、博物館を窓口として2016年から「歴史遺産を活かした国際交流」の事業に取り組んできました。交流の相手は、新石器時代からフリントの採掘がおこなわれていたイギリス東部のブレックランド地方です。採掘の痕跡がクレーター状に連なる景観を「巨人のお墓」と称したグライムズグレイブス遺跡は、長和町の星糞峠で発見された縄文時代の黒耀石鉱山とその姿がよく似ています。
この国際交流事業に参加する黒耀石大使は、地元の中学・高校生を対象とする公募を経て任命されます。いずれも、小学生の頃から遺跡に通ってきた子ども達です。大使の主な任務は、隔年でイギリスに渡航し、ふるさとの遺跡から学んだ黒耀石の歴史、そして、その背景にある旧石器時代や縄文時代の社会や人々の思いについて気付いたことを、英語で発信する広報活動と、イギリスの子ども達と協力して市民を対象とする石器づくりのワークショップを開催することです。
2016年、黒耀石大使の第1期生は、国際交流のきっかけをつくってくださったノリッジの「セインズベリー日本藝術研究所」、そして、セットフォードの「エンシェントハウスミュージアム」等の博物館の支援を受けて、グライムズグレイブス遺跡と星糞峠黒耀石鉱山との、世界初の『双子遺跡協定』締結式に出席しました。セレモニーの会場となったグライムズグレイブス遺跡に立った大使達は、「数千年もの昔、1万キロも遠く離れた地球の反対側で、我々の祖先が同じように生活を支えた石器の材料を地下資源として掘り出していた…。」と、ふるさとの身近な歴史が時空を超えて世界とつながるという大きな発見に目を輝かせていました。そして、『East Meets West : The archaeology of flint and obsidian』というテーマで開催された国際的な学会の冒頭では、大使達が選んだ言葉で「黒耀石の広域流通の背景には、地域を超えて互いの幸せを支えた思いと絆があった。」とするプレゼンテーションを行いました。このメッセージには、世界の平和を願う子ども達の純粋な思いが込められていると心を動かされた方も多かったようです。遺跡に通ってきた子ども達が、大使として伝えたかったことは、現実社会と向き合うメッセージでもあったのです。
こうした先輩たちの活動を見て大使となった子ども達も、その半数は、すでに2回の渡航延期を余儀なくされています。コロナ禍も、ウクライナの状況も、本当に多くの人々や組織、国や地域が協力して解決の糸口を探っていますが、その道のりは険しいものです。当然、一個人、あるいは、一つの地域だけで解決するのは不可能です。しかし、解決に向けた協力体制は、ひとりひとりの気持ちが、行動が寄り集まって出来上がるものであると信じています。目まぐるしく変動する社会の中で育つ子供達ですが、そんな中でもふと立ち止まり、「残されたものをつなぐようにして…」という思いがその心の中にあります。
山の中の博物館でも、感染防止のための対策を講じながら、雪解けを待って新学期の子供達の受け入れが始まろうとしています。人類の誕生からはじまる長い歴史の中で、平和で、平穏な日常がどれほど大切か…。さあ、我々自身も心を新たに、一緒に学ぶ大切な時間を過ごしましょう。
長野県黒耀石体験ミュージアム 大竹幸恵