2004年5月28日
文化庁長官 河合隼雄 様 国土交通省大臣 石原伸晃 様 三重県知事 野呂昭彦 様 三重県教育長 安田敏春 様 四日市市市長 井上哲夫 様 四日市市教育長 川北欣哉 様
標記の件について、別添書類の如く、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容をもつものでありますので、貴殿において、その保存の対策を速やかに講ぜられることを要望いたします。
なお、当件の具体的な措置、対策については6月21日(月)までに、ご回答を下さるようお願いいたします。
一、別添書類 一通
以上
文化庁長官 河合隼雄 様 国土交通省大臣 石原伸晃 様 三重県知事 野呂昭彦 様 三重県教育長 安田敏春 様 四日市市市長 井上哲夫 様 四日市市教育長 川北欣哉 様
三重県四日市市大矢知町に所在する久留倍遺跡は、標高30m前後の低丘陵地に立地する弥生時代から鎌倉時代の複合遺跡であります。国土交通省の一般国道1号北勢バイパス建設事業に伴い、平成11年度から継続して発掘調査が実施されております。道路計画部分の発掘調査に加えて、平成16年度には道路建設に付随するサービスヤード(道の駅構想)地区での調査も実施されており、官衙遺構をはじめとする数多くの遺構群が検出され、きわめて注目されております。
発見された官衙遺構は、丘陵の最高所を中心に展開しております。7世紀末頃の政庁跡は、八脚門と掘立柱列に囲まれた正殿及び両脇殿等の掘立柱建物が東面して「コ」字形に配置されております。また、政庁廃絶後に構築されたと考えられる、区画溝で囲まれた総柱建物を中心に構成された正倉院跡の全貌も把握されております。これらの遺構群はその規模や遺構の配置・構成から、旧朝明郡における郡衙跡に比定できることが、徐々に明らかとなってきました。
さらにこの地域は、天武天皇元年(672年)の壬申の乱に伴う大きな動乱の地でもあり、『日本書紀』に見られる朝明郡家と考えられる可能性がきわめて高いものと判断されます。また、聖武天皇の天平12年(740年)の伊勢国行幸に見える朝明行宮(『万葉集』)の一部とも推定されるものです。久留倍遺跡は、全国的に見ても政庁および正倉院が面的に把握された稀有な例であり、日本古代史解明の上で考古学・歴史学・国文学的にもきわめて重要な意味を持つ官衙遺跡と言えます。
以上のことから、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は久留倍遺跡の重要性に鑑み、下記のとおり要望いたします。
以上