第8回日本考古学協会賞
第8回日本考古学協会賞には、6件の応募がありました。
本年度から協会賞規定の一部が変更され、優秀論文賞が設けられました。この賞は、協会が発行する機関誌『日本考古学』、『Japanese Journal of Archaeology』に投稿された論文を対象とするもので、各機関誌の編集委員会からの推薦が条件です。
2018年2月21日に選考委員会が開かれ、大賞1名、奨励賞2名、優秀論文賞1名が推薦され、理事会で承認されました。受賞者は5月26日の第84回総会(明治大学)で発表され、賞状と記念品が授与されました。
受賞理由は、次のとおりです。
第8回日本考古学協会賞 大賞
桒畑光博 著
『超巨大噴火が人類に与えた影響―西南日本で起こった鬼界アカホヤ噴火を中心として―』
雄山閣 2016年2月発行
推薦文
本書は、日本列島における完新世最大の火山噴火とされる鬼界カルデラの噴火と自然災害が、当時の縄文社会に与えた影響を考古学的に考察したものである。鬼界アカホヤテフラ (K-Ah)の年代を福井県水月湖の年縞年代とC14 年代により5300cal BC 前後に絞り込むと共に、テフラ層と遺物包含層の層位的関係を検討して九州における縄文時代早期後葉の土器編年を再構築している。年代および層位的事実の精査を根拠として、鬼界アカホヤ噴火災害によって平栴式・塞ノ神式土器様式が壊滅したという従来の通説を否定する。
鬼界アカホヤ噴火による災害エリアを 4つに 区分し、自然環境への影響と人類社会の対応について検討した結果、鬼界アカホヤ噴火によって土器圏全体が壊滅した事実はなかったことを明らかにしている。噴火直後の南九州では堅果類の脱殻に用いる磨石・石皿類の割合が極端に減少し、森林植生が相当なダメージを受けていたと推定する。また、K-Ahに伴う火砕流到達範囲内における火山災害の地域差と K-Ah降 下堆積による浅海域への影響を検討している。こうした生活環境への影響は確かに小さくないが、縄文時代の狩猟採集社会がそれに何とか適応し、自然災害のリスクを回避しながら社会を存続させていた実態を描き出している。噴火後に人類が適応不可・困難となったエリアにおいても、再定住へのプロセスが認められると論じている。
年代測定の高精度化や過去の気候変動に関する地球科学研究の目覚ましい進展を受けて、考古学においても環境史と人類史の関係に研究者の関心が集まっている。本書は、最大級の火山噴火災害を被りながらも、九州地域の縄文社会がそのダメージから立ち直り、地域社会を再建するまでのプロセスを克明に明らかにしたものであり、考古学の調査成果から過去の自然災害とそれを克服する人類社会の姿に迫った優れた研究実践である。書名がやや商業的な印象を受けるが、実証的かつ多角的な分析に基づく堅実な論考である。協会賞大賞にまことに相応しい研究業績として推薦するものである。
第8回日本考古学協会賞 奨励賞
榊田朋広 著
『擦文土器の研究―古代日本列島北辺地域土器形式群の編年・系統・動態―』
北海道出版企画センター 2016年11月発行
推薦文
本研究は、奈良・平安時代併行期の北海道で広く使用された擦文土器を中心に、それに時間的・空間的に隣接する北大式やトビニタイ式など、日本列島北辺の古代土器の編年を主たるテーマとする。地域ごとに多様な系統の土器が組成するという北辺の古代土器の実態を踏まえ、榊田氏は「個別器種の系統的分析に基づく辺縁を設定し、それによって明らかになった各器種の変遷や地域差などを総合して器種組成レベルの編年を設定するという階層的なアプローチ」を採用した。
北大式に関しては1式古段階・1式新段階・2式・3式に分けた上で、1式先行する後北C2‐D式~1式新段階にオホーツク土器との関連性が強まり、2式以降は東北地方土師器との関係性が強まることを導き出した。
擦文土器に関しては、甕の文様施文域の違いに系統性を見出し、在地の北大式と外来の土師器甕の系統が併存する前半期とそれらが融合する後半期大きく分け、後半期の甕に関してはモチーフに着目することにより、単文様列土器と複文様土器の間でみられる文様の相互変換から、広域ネットワークの存在を導き出した。
トビニタイ式土器については上下線対照の文様構成を基軸として1~4式を設定した上で、擦文土器甕との型式間交渉の推移を導き出した。
本研究の第1の成果は、擦文土器を中心とすることで、時間的には5世紀から12世紀、空間的には東北北部からサハリン南部にいたる広大な地域の土器型式の併行関係を捉えたことにある。第2の成果は、土器の分析に系統論的視点を導入したことで、擦文土器と時空間的に隣接する土器型式との系統的なつながりや型式交渉の実態を明らかにしたことである。その意味で、本研究は奇をてらうことなくオーソドックスな方法によりながらも、擦文土器の編年研究の停滞・混迷に終止符を打つことに成功したといえよう。
本研究では土器から主に地域間交流が語られているが、交流の例としては漠然と交易を挙げるだけで具体像が示されなかった点が惜しまれる。一歩議論を進めれば婚姻関係などにも迫れたのではなかろうか。また集団ごとの土器製作を大前提として論旨が展開されているが、擦文土器が「流通」することは全くなかったのであろうか。
本研究により「先史時代にあって先史時代にあらざる、歴史時代にあって歴史時代にあらざる」と形容される擦文時代を日本列島の北方古代史・北東アジア古代史のなかで改めて歴史的位置づけるための基盤が形成された。今後は本研究で得られた成果をベースに、土器以外の遺物や遺構を検討することで、「北の文化」の大きな歴史的変換点となった擦文時代の研究が進展することを望んでやまない。
第8回日本考古学協会賞 奨励賞
小寺 智津子 著
『古代東アジアとガラスの考古学』 同成社 2016年4月発行
推薦文
弥生時代には、日本列島に各種の大陸系文物がもたらされた。弥生時代前期末もしくは中期初頭から青銅製品とガラス製品という鋳造遺物が移入され、やがて鋳造も行われるようになる。青銅製品は時期と地域によって副葬・埋納と大きく扱いが異なるのに対して、ガラス製品のほとんどは副葬品として発見される。
本書は、弥生時代の日本列島で出土するガラス製品を取り上げて、その製作技術と分類を確認した上でその分布と時期的変遷を検討し(第Ⅰ部)、さらに朝鮮半島から中国本土各地、さらには東南アジアまで資料を渉猟し(第Ⅱ部)、ガラス製品をめぐる歴史動向を通して古代東アジアにおける弥生社会の位置付けを試みた労作である。前期末~中期初頭に出現し、中期後半には北部九州のイト(伊都)・ナ(奴)集団が漢中枢から下賜されたものが特徴的で、後期になると北部九州以外でも北近畿などの諸地域に分布が拡大するが、扱いは多様で、入手も多元的な可能性があるとみる。これらガラス製品や素材は本来大陸で製作されたものだが、特に日本列島で小玉類の出土数が飛躍的に増加する後期についてはその製作地や流通経路についてはいくつか議論があるが、著者は中国南部の両広地域から江南~楽浪郡を経た可能性が高いとみなすなど、議論は多岐に及ぶ。
本書の特徴は、弥生時代資料を詳細に検討して北部九州における中期から後期への変遷と後期における北近畿などの地域的特色を描き出すとともに、朝鮮半島(特に楽浪郡)と中国~東南アジアの資料を入念に渉猟・検討した点にある。特に、中国については、中国における研究成果に基礎づけられているとしても、その充実したデータの整理と検討は、今後の研究の進展に大きく貢献するに違いない。日本列島および東アジア一帯の資料群を統一的に分析・論じた点も評価できる。
なお、弥生時代後期になると小玉類の出土数が爆発的に増加し、北部九州では1遺構で数千点も出土する。そのこと自体は論じられているものの、そのデータが十分提示されておらず、中期後半に比して漢鏡の入手と副葬とのかかわりへの言及が少ない。ガラス製品によって、青銅器や鉄器主導で描き出された弥生社会の動向と微妙に異なる姿が描き出せるはずなのに、それが十分果たされていないように思われる。用語面では、東アジアの資料を統一的に扱うために「小玉・勾玉」の語を「小珠・勾珠」とする点は理解するものの、先行研究の引用文では原典に従うべきである。
こうした若干の課題はあるものの、ガラスの考古学研究を大きく前進させた点は高く評価できる。よって、選考委員会は、本業績を日本考古学協会奨励賞に相応しいと判定する。
第8回日本考古学協会賞 優秀論文賞
山田俊輔 著
「鹿角製刀剣装具の系列」『日本考古学』第42号 2016年10月発行
推薦文
古墳時代の鹿角製刀剣装具については、基礎となるべき型式学的検討自体、十分になされていない実状がある。本論文は鹿角製刀剣装具の型式学的分析をおこない、出土遺跡の検討を加味することで鹿角製刀剣装具の歴史的意義に迫った。
まず、鹿角製刀剣装具の形態、鹿角からの素材取得方法についての分析によってA~Cの三つの系列を抽出した上で、それぞれの系列の製作、使用年代について共伴資料から検討した。初期の鹿角製刀剣装具であるA系列は古墳時代前期後半からTK73型式期、C系列はTK208型式期からMT15型式期まで製作、使用されていたことを論じた。一方B系列については製作、使用期間を明確にできなかったが、TK73型式期には出現していることを指摘している。
これら三系列の出土遺跡を検討すると、初期のA系列の鹿角製刀剣装具は古墳からよりも、製塩遺跡や集落遺跡からの出土が目立ち、それらのなかには鹿角製刀剣装具が生産されていた遺跡があることに留意した。B系列、C系列は古墳から出土することが大半で、特にC系列は地下式横穴墓、洞穴墓など古墳以外の墓制や渡来系要素の濃厚な古墳から出土する傾向が認められた。初期の鹿角製刀剣装具は非定住的な生活形態にある人々が製作し、使用したものであり、その後のB系列、C系列の鹿角製刀剣装具はA系列を模倣して王権や豪族が製作したもので、非定住的、渡来系の人々との関係構築、強化のために配布したものであったと結論づけた。
以上、緻密な分析の上にたった結論は、これまでにない見通しを提示しており、今後の研究にとって必ず通過すべき論文であるといわねばならない。