新型コロナウィルスの感染拡大は地方の博物館にも大きな打撃を与えた。まず、臨時休館に伴う展示機能の停止である。筆者の勤務する町では飲食街のクラスターなどもあり、全国的な休館期間よりもながく休館する事態となった。特に、人口11万人のところに年間800万人の観光客が来訪する町では、前年比7割減と国内外の人の動きが止まったことは大幅な入館者の減少となる。
もちろん、学芸職員たちは日々の調査・研究、資料整理といった業務に追われているのであるが、「不要不急だよね」「休館なのに何をやっているの?」という質問を市民だけではなく、庁内からも受けた。多くの博物館で「ヴァーチャル」に取り組んだ理由には、このような誤解を避けるという意図もあったかと思う。当館もご多聞に漏れず、講座のリモート配信、SNSを使った歴史講座などを行った。しかし、考古資料では、リモートでは困難な面があった。文献、民俗資料でも展示資料は全体のごく一部で、収蔵資料の対応は同じであるが、文献のように画像だけでも十分な情報が提供できる。それに対して、考古資料(民俗も)の「調整痕が見たい」「背面を観察したい」となると、これに対応できるような画像データは持ち合わせていない。毎年、夏になると卒論、修論の資料調査で「そんな観点で観察するのか」と勉強させていただけたが、それができない状況は、この後の研究にどのような影響が出てくるのか、不安がぬぐえない。
「手に取ってもらえない」不安は普及事業でも同じであるが、リモートでの館内見学を体験して感じるのは「探検できない」不便さである。児童が博物館体験を面白く感じるのは、「探検」ができた時である。学芸員の解説や展示だけではなく、「これなんだろう?」と思うこと、不思議なもの、変なものを「発見する」楽しさを体験することが重要である。ことを、小学校の団体見学が激減したことで痛感している。
さらに、これはリモート会議でも指摘されていることであるが、「雑談」の重要性である。児童たちは「博物館のおじさんに聞いた」という、日々の学校生活とは違う状況でのやり取りの中から、歴史や地域に関する関心が芽生えてくることは少なくない。「とるに足らない」雑談のような会話であっても、どこかで児童たちの記憶にのこるものがあるかもしれない。その機会が失われたことは、残念でならない。
新型コロナウィルス感染の中で、改めて博物館の果たすべき役割とは何か、市民に求められる博物館とはどういうものなのかを考え続けた一年であった。私の勤務地である北海道ではまだしばらくこの状況が続くようである。考古学をどのように市民の中で定着させていくか、考え続ける日々が続く。