埋蔵文化財保護対策委員会
文化財の保護と活用は日本考古学協会の活動の中心的課題であり、究極の目標でもあります。国民共有の財産である遺跡を、どう守り、どう次の世代につなげるか、多くの困難をともなうその課題の実現が、埋蔵文化財保護対策委員会の使命です。
高度経済成長期、全国各地で大規模開発により遺跡が破壊されるなか、1962年、日本考古学協会では開発から遺跡を保護するため「文化財対策小委員会」を設置しました。その後、「埋蔵文化財保護対策特別委員会」に拡大しこの問題に対応してきました。1971年には『埋蔵文化財白書』を刊行し、埋蔵文化財の破壊の現状とその対策を世に問います。この白書刊行を契機として、同年、現在の「埋蔵文化財保護対策委員会」が発足しました。以来50年にわたる活動を続けてきました。
現在、埋蔵文化財保護対策委員会では、全国47都道府県から概ね2名以上、120名を超える委員を選任し、文化財に関わるさまざまな問題について、その保護と適切な活用を実現するために活動しています。
活動の主たる柱は、毎月の定例幹事会・春の全国委員会・秋の情報交換会、および全国をいくつかに分割した地域ごとの連絡会であり、それぞれの場で対応を協議します。これらの活動を支えるのは基本的には各地域の委員ですが、会員さらには会員でない方からもたらされる情報が起点となることも少なくありません。情報を集約した幹事会では対応を検討し、地区連絡会と連携しながら状況を把握した上で、委員長名で要望書を発出するなどの措置をとっています。
近年では、大規模な災害による文化財の破壊について災害特別委員会との連携、文化財保護法改正に伴う諸問題に対処するため研究環境委員会との情報共有をはかるなど、文化財をめぐる多様な問題に対応しています。
遺跡とは? +
- 遺跡とは何だろうか?
考古学は「遺跡」を研究する学問です。研究対象となる遺跡は、たとえば城郭やエジプトのピラミッドのような地上に突き出た巨大な構築物から、地下に埋もれて普段私たちが目にすることのないものまで、さまざまです。またその内容も、日常生活・祭祀・生産活動・墓などありとあらゆる種類があります。年代も、200万年以上前から近代にまで及びます。遺跡とは何でしょうか。
ひと言でいえば、遺跡は人間の活動した痕跡です。人の手の加わったものだけでなく、岩陰や洞穴のような自然のままのもの、あるいは水や、何の変哲もない川原石、ときには音や空気さえ、人がそれに触れたり、その力を利用したりした痕跡が認められれば、それは「遺跡」です。つまり過去に人間の関わったあらゆる痕跡が遺跡となりうるのです。そうして全国で認定された遺跡は、現在実に46万5000地点にのぼります(2013年の文化庁統計による)。なお、ほぼ同義で使われる「埋蔵文化財」は、遺跡のうち基本的に地中にあるものについての行政上の呼称です。
遺跡は「遺構」と「遺物」という二つの要素で構成されます。前者は例えば古墳や住居跡など「遺された構造物」、後者は石器や土器など「遺された物」、という意味です。この二つは多くの遺跡で共存しますが、なかには遺構だけあって遺物の出ない遺跡や、遺物が見つかるだけで遺構のない遺跡もあります。また両者の区別はときに曖昧です。たとえば一個の川原石は、それのみがぽつんとあるだけでは遺構とも遺物とも認めがたいものですが、複数の石が明らかに人によって集められていれば、それはれっきとした「遺構」です。そしてそこから取り上げられた石は、それ以後、「遺物」となります。つまり、遺構とは当時の大地の上に人間が与えた何らかの影響の結果であり、遺物は遺構の構成要素の一部が切り離されて可搬の状態となったものといえます。
- 遺跡が教えてくれるもの
遺跡は、ある遺構や遺物がどこに多くてどこに少ないか、どのように配置されているか、どんな形をしているか、などといったことを見せてくれます。それは当時の経済や、政治、文化、すなわち社会のあり方そのものの痕跡です。また、その地に暮らしていた人々が何を受け入れ、何を排除したか、という選択の結果です。とすれば、遺跡に見る遺構や遺物の姿とは、ある時代、ある社会の精神の営みが具体的な形となって表れたものにほかなりません。考古学とは、遺跡という過去の「モノ」について調べる学問ですが、遺構・遺物のありようを通して、私たちはその奥にある当時の人々の心の世界を見ているのです。
- 遺跡がつなぐ人類の過去と未来
遺跡が人間の活動痕跡である限り、それは人類の歴史とともに大きく変化し、多様化してきました。私たちの祖先は、はじめは洞窟の中や岩陰に身を寄せることによって雨風や他の動物から身を守っていました。道具といえば石や骨といった自然の素材だけでした。それが、加熱によって「モノ」の物性を変えることを知って以来、水を貯められる硬い器を作り、岩盤の中から金属を取り出し、遠い場所にいる人に情報を伝える方法を覚え、思いどおりの服飾を楽しみ、発達した言語を駆使し、多様な食材を味わうようになってきました。
私たちがこんにち目にしているのは、何から何まで、遠い昔に始まったそれらの最後の姿です。そして同時に、この先の未来へ変化していく起点でもあります。私たちは、それらがさまざまに形を変えて行く、その途中の姿を今まさに見ているのです。
遺跡も同じです。それもまたその時点の現在、すなわちある「モノ」がその時までに遂げた変化を見せてくれています。私たちは事象の始原を見ることができません。変化の全体を見ることもできません。ただ一つ、遺跡のみが過去と現代をつなぐ架け橋なのです。
発掘調査とは? +
- ふたつの「発掘調査」
日本中いたるところで遺跡の発掘調査が行われています。その数、年間7,000~8,000件ほど、このほとんどは、何か建物が建ったり、道路が作られたりするときに地下の遺跡が壊されることが多いため、その前にそれがどういうものであったか詳しく調べ、できるだけ正確な記録を残しておこうとするものです。これを「緊急発掘調査」とか「行政発掘調査」などといい、日本の遺跡発掘調査の99パーセント以上を占めます。発掘調査にはこのほか、研究者が自分の学問的興味に基づいて任意の場所を掘ったり、行政機関が保存整備のために指定史跡を継続的に掘ったりするものもあり、これを「学術調査」といいます。
学術調査の場合、遺跡は調査後に埋め戻されて保存されますが、緊急調査ではたいていの場合、調査後に開発行為によって壊されます。また前者の場合には、経費は公的資金や補助金などでまかなわれるのに対し、後者の場合は、個人住宅建設の事前調査などを除き、ほとんどが遺跡を破壊する原因を作る事業者が負担します。これを「原因者負担」または「事業者負担」の原則といいます。では原因者負担の原則は、どのような論理により成り立っているのでしょうか。
- 誰のために、何のために発掘調査をするのだろうか?
土地の所有者が自分の土地に建物や道路を作ったりするのは、ひとまず自由です。しかしたいていの場合、その人物、あるいは団体が土地を手に入れたのは、たかだか数ヶ月か数年、せいぜいこの数十年のうちに過ぎません。一方、地下の遺跡は土地所有者よりもはるか以前からそこにあります。たまたまそこの所有者となった人物(団体)には、地上に何か建造物を作る権利はあるにしても、そのことのために、その地下に何百年、何千年の昔から存在し続けてきたものを壊す権利まではありません。遺跡はだれか特定の人の所有物ではないのです。では誰のものでしょうか。誰のものでもありません。私たちの祖先の生活した証しを、誰か個人が独占することはできないのです。つまり、遺跡は「皆のもの」です。皆で守っていかなければならないものなのです。遺跡をしばしば「国民共有の財産」といいますが、それはこのような意味です。
現代の私たちの要求を優先してどうしても何かを作って遺跡を壊すのであれば、それがどういうものであったかを正確に調べ、できるだけ元の姿に近い形で国民の前に示さなければいけません。調査・保全(保存)・展示公開をする義務がこのとき生まれます。発掘調査は調査報告書の刊行をもってひとまず終了となりますが、それだけでなく、そのあと市民に親しみやすい形で公開することで、はじめて遺跡は国民共有の財産として生きるのです。