熊本地震の思い出3

熊本地震特別対策委員 美濃口雅朗

 

熊本地震の思い出。我が家のキッチンは本震でめちゃくちゃになりました。

食器が落ちて欠片が散乱し、サラダ油が漏れてジャリジャリ・ヌルヌルに…

断水だったので、水や洗剤は使えません。食器の欠片を慎重に拾いながら、キッチンペーパーで何度も床を拭き取りました。それでもヌメリは取りきれませんでした。

 

ところが、どうでしょう!

翌日になると床材に油が染み込んで、ツヤツヤになったのです。

天然成分の油で環境にも良いし…

思わぬところで大掃除をしてしまいました。

 

 

さて、今回も熊本市中央区横手に所在する妙解寺跡細川家墓所の被災状況のレポートです。

 

いろいろと廻った最後に、子女墓・僧侶墓域を見ました。

子女墓域には、主に五輪塔、その他に笠付方柱形の墓石がみられます。小形で軽いためでしょうか、藩主墓に比べて倒壊状況は深刻でした。

写真1 5代綱利公女・幸墓

 

目を見張ったのは僧侶墓域です。

妙解寺の実質開山、啓室宗栄の無縫塔。塔身が倒れ、基礎上面が露わになっていました。

写真2 啓室塔(地震前)

写真3 啓室塔(地震後)

 

基礎上面には花形に彫り込んだ奉籠孔があり、その中に肥前磁器色絵の筒形の合子が納められていました。

写真4 啓室塔の奉籠孔・色絵磁器合子

 

蓋に宝文を描いた優品です。塔の年記銘は延宝6年ですので、型式的にも齟齬は無いと思います。記年銘資料と評価されましょう。

写真5 色絵磁器合子の蓋

写真6 色絵磁器合子の身

 

ドキドキしながら蓋を開けてみると、中には泥水が満ちており、それを慎重に溢していきました。

結果、何もありませんでした。

歯とか爪とかが残っているのでは、と思ったのですが…

 

後から調べたのですが…

啓室和尚。慶安5年に本山大徳寺の百八十七世となりますので、この時には熊本を離れた可能性が高いとみられます。また寛文6年寂ですから、延宝6年銘の妙解寺にある本塔は十三回忌の供養塔とみて良いでしょう。

 

以上から、合子には、一次葬的なものではなく分骨とか形代とかの、とにかく腐食しやすい有機質のものが納められていたのだと思います。

 

ちなみに合子のことは、この後すぐに管理団体である熊本市の史跡担当者M永君に報告し、回収してもらいました。

 

ところで…

隣りに並んでいる2世天岸宗玄(初代忠利男)・3世桂隠宗仙の無縫塔は、啓室塔と同形態・同規模であるにも関わらず、倒れていませんでした。

写真7 2世天岸塔(中央)・3世桂隠塔(左)

 

城下寺院の倒れた無縫塔を見たところ、塔身下面のホゾ・基礎上面のホゾ穴があるもの、ホゾ等が無いものの二者が認められました。時期差を示すものだと思っています。

妙解寺跡では、18世紀中頃以降の無縫塔はいずれも倒れており、これらにホゾ等は認められませんでした。

写真8 城下西福寺の無縫塔列

 

天岸は天和4年寂、桂隠は元文6年寂ですので、多分、これらの無縫塔にはホゾがあって、ために塔身が倒れなかったのだろうと、そう思っています。

何だか前回に書いた五輪塔の話と同じような感じになってしまいました・・・

 

妙解寺跡墓所の被災状況レポートは今回でひとまず終了です。