理事の杉井です。
8月8日、熊本大学の前期の授業が終了しました。
とはいえ、バタバタしていて、このブログの更新がままなりませんでした。
ようやく時間が少し空いたので、8月22日の今日、午前中に肥後銀行本店の「肥後の里山ギャラリー」で開催されている「阿蘇神社展-刀剣の美-」を見学に行きました。私が整理作業に携わった長目塚古墳出土遺物も展示されていました。
ところで、この展示においても、阿蘇神社の被災状況が紹介されていましたが、刀剣ファンの皆様にも、そういった被災文化財の現状を知っていただければと思います。
その足で、熊本城を訪れました。
近くにいながらも、熊本城をじっくり見るのはゴールデンウィーク以来。3ヶ月半ぶりでした。
その間に変わったことの1つに、「復興見学ルート」の案内が各所に設置されたことがあります(写真01)。それにともなってかどうかは分かりませんが、二の丸広場のフェンスの前には、歩道が設けられていました(写真02)。雨の日など、格段に散策しやすくなったのではないでしょうか。
「復興見学ルート」は私の熊本城案内ルートとほぼ同じですが、これでおよそ1時間のコースです。これに、熊本市役所14階の展望ロビーを加えると、熊本城の全体を眺めることができて、さらによいコースになると思います。
このコースから少し外れるところには、二の丸御門跡と百間石垣もあります(写真03)。崩れた石垣をもっとも間近にみることができる場所の1つです。旧細川刑部邸の塀もまだ倒壊したままとなっています(写真04)。
もう1つ変わったことは、戌亥櫓の下にまで近づけるようになった点です(写真05・06)。被災した熊本城を訪れる方はとても多いですから、安全に配慮しつつ、立入制限が少し緩和されたことはとても喜ばしいことだと思います。
また、以前は大天守のみが足場で覆われていましたが、今は小天守も覆われています。大天守の最上階は解体され、今、新たに造り直されています。その様子をみることができます(写真08)。
集められた石垣石材や栗石には草が生えていて(写真10)、植物の生命力の強さを感じてしまいます。同時に、手入れをしなければ少しずつ朽ちていくという人工物の宿命に思いが至ります。
奇跡の一本石垣で支えられた飯田丸五階櫓ですが、それを上から抱えるようにして支えていた鉄骨が解体され、今は下から支える足場が組まれています(写真12)。
熊本城は、北から南に伸びる京町台地の南の先端に築かれています。
その京町台地を熊本城から少し北に歩いたところに(10分ほどでしょうか?)、地震直後、さかんに報道されたマンションがあります。1階部分が押しつぶされたその衝撃的な姿を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
まだ解体にまで進んでいないそのマンションをみて(写真13)、復興の歩みの困難さを痛感してしまいました。