日本考古学協会は、これまで阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)が発生した際には、特別委員会を設置することにより諸課題に対応してきました。しかし近年は豪雨や巨大台風などによる大規模自然災害が毎年のように発生しています。また、東南海地震に備えることの重要性も各所で指摘されています。
災害対応委員会は、そうした現状をふまえ、「地震・水害・地滑り・火災等の大規模災害発災に伴い、会員及び埋蔵文化財を始めとする文化財の被災に備えて、防災・減災の観点から対策・対応を行うこと」(委員会規程第2条)を目的として、2017年に設置されました。
本委員会は、埋蔵文化財保護対策委員会と連携を図りつつ、直面している災害被害の状況や文化財復興の現状を発信するとともに、将来起こる災害に対処するための方策を考えていきます。また、文化庁や文化財防災センター、文化遺産防災ネットワーク推進会議とも密に連絡を取りながら、考古資料をはじめとする文化財の防災に積極的に関わっていきます。
日本考古学協会は、考古学研究の発展をはかるだけでなく、考古学研究者としての社会的責務を果たすべく、さまざまな委員会を設置し、遺跡の保存活用や考古学の普及に関する諸問題に取り組んでいます。そうした日本考古学協会の活動を広く発信するのが、広報委員会です。
本委員会のおもな活動には、プレスリリース、公式サイトの企画・運営、「会報」の発行、オンラインによる「カフェde考古学」の運営などがあります。2020年から22年に連載したブログ「コロナ禍の考古学」や、2021年に高輪築堤問題についてのオンライン講演会(YouTube「日本考古学協会」公式チャンネル)もご参照ください。
協会公式サイトの充実にも努めますので、本サイトに関してご意見があれば、ご一報ください(koho@archaeology.jp)。
考古学協会では2006年に社会科・歴史教科書等検討委員会を設置し、考古学の研究成果が、小・中学校の歴史教育において適切に活用されるよう、社会科・歴史教科書の内容や、教科書の内容を大きく規定する社会科学習指導要領の分析・検討を行なってきました。
教科書の分析・検討の結果などについては、シンポジウム・テーマセッション・ポスターセッションなどの場を通して公開するとともに、日本考古学協会の会長名で、中央教育審議会・文部科学省に対して要望書やパブリックコメントを提出しています。
授業で使える遺跡・博物館ホームページリンク集
考古学協会では、考古学に関わる研究環境を改善し、考古学の発展と広い理解の促進を目的として研究環境検討委員会を設置しています。
この委員会では、考古学研究者の研究環境、埋蔵文化財調査の資格制度、国内外における経済活動が考古学的調査に及ぼす影響、博物館における考古学資料の保護と活用、考古学の教育環境と後継者育成、など幅広い分野について検討を行ってきました。今後も埋蔵文化財調査の資格制度に関わる動きを睨みながら、ポスターセッション会場で得られたアンケートをはじめ、大学アンケートのさらなる分析など考古学の教育環境と後継者育成に関する課題について取り組んでいく予定です。
近年、日本の考古学が国際的な交流を深めてきているなか、本協会においても、英文機関誌の発行やホームページの充実化などを通して、日本の考古学研究の成果を効果的に世界に発信するための、「国際戦略」を充実させてゆきます。従来の限定的な国際化から、いま、世界へと飛躍をはじめます。
機関誌『日本考古学』は、1994年11月に創刊されました。1948年の創設以来、日本考古学協会は先発の他学会との事業の重複を避けるために、会員の研究成果を発表する定期刊行物を持っていませんでしたが、考古学研究者の増加とともに論文執筆人口も増加し、研究発表の場へ需要が高まる中で、会員の総意を問い、他学会の了承を得たうえで創刊にいたりました。以来、年1冊の刊行であった本誌は、1998年から総会の開催される5月と大会の開催される10月にあわせて年2冊の刊行となり、2015年までに40冊を刊行しています。 日本考古学協会は特定の傾向の考古学研究を推進することを目的とはしていません。ですから、本誌も「主義主張、世代、学統を異にする研究者が交流できる共同の広場」を目指しています。また、本誌の名称の『日本考古学』も日本を中心とした考古学を意味し、日本のみならず、広く世界の諸地域に関する業績、特に日本と関係の深いアジア地域に関する業績の発表も歓迎しています。 *本文は、横山浩一(当時会長)「創刊のことば」『日本考古学』第1号を参考にしています。
文化財の保護と活用は日本考古学協会の活動の中心的課題であり、究極の目標でもあります。国民共有の財産である遺跡を、どう守り、どう次の世代につなげるか、多くの困難をともなうその課題の実現が、埋蔵文化財保護対策委員会の使命です。
高度経済成長期、全国各地で大規模開発により遺跡が破壊されるなか、1962年、日本考古学協会では開発から遺跡を保護するため「文化財対策小委員会」を設置しました。その後、「埋蔵文化財保護対策特別委員会」に拡大しこの問題に対応してきました。1971年には『埋蔵文化財白書』を刊行し、埋蔵文化財の破壊の現状とその対策を世に問います。この白書刊行を契機として、同年、現在の「埋蔵文化財保護対策委員会」が発足しました。以来50年にわたる活動を続けてきました。
現在、埋蔵文化財保護対策委員会では、全国47都道府県から概ね2名以上、120名を超える委員を選任し、文化財に関わるさまざまな問題について、その保護と適切な活用を実現するために活動しています。
活動の主たる柱は、毎月の定例幹事会・春の全国委員会・秋の情報交換会、および全国をいくつかに分割した地域ごとの連絡会であり、それぞれの場で対応を協議します。これらの活動を支えるのは基本的には各地域の委員ですが、会員さらには会員でない方からもたらされる情報が起点となることも少なくありません。情報を集約した幹事会では対応を検討し、地区連絡会と連携しながら状況を把握した上で、委員長名で要望書を発出するなどの措置をとっています。
近年では、大規模な災害による文化財の破壊について災害特別委員会との連携、文化財保護法改正に伴う諸問題に対処するため研究環境委員会との情報共有をはかるなど、文化財をめぐる多様な問題に対応しています。
- 遺跡とは何だろうか?
考古学は「遺跡」を研究する学問です。研究対象となる遺跡は、たとえば城郭やエジプトのピラミッドのような地上に突き出た巨大な構築物から、地下に埋もれて普段私たちが目にすることのないものまで、さまざまです。またその内容も、日常生活・祭祀・生産活動・墓などありとあらゆる種類があります。年代も、200万年以上前から近代にまで及びます。遺跡とは何でしょうか。
ひと言でいえば、遺跡は人間の活動した痕跡です。人の手の加わったものだけでなく、岩陰や洞穴のような自然のままのもの、あるいは水や、何の変哲もない川原石、ときには音や空気さえ、人がそれに触れたり、その力を利用したりした痕跡が認められれば、それは「遺跡」です。つまり過去に人間の関わったあらゆる痕跡が遺跡となりうるのです。そうして全国で認定された遺跡は、現在実に46万5000地点にのぼります(2013年の文化庁統計による)。なお、ほぼ同義で使われる「埋蔵文化財」は、遺跡のうち基本的に地中にあるものについての行政上の呼称です。
遺跡は「遺構」と「遺物」という二つの要素で構成されます。前者は例えば古墳や住居跡など「遺された構造物」、後者は石器や土器など「遺された物」、という意味です。この二つは多くの遺跡で共存しますが、なかには遺構だけあって遺物の出ない遺跡や、遺物が見つかるだけで遺構のない遺跡もあります。また両者の区別はときに曖昧です。たとえば一個の川原石は、それのみがぽつんとあるだけでは遺構とも遺物とも認めがたいものですが、複数の石が明らかに人によって集められていれば、それはれっきとした「遺構」です。そしてそこから取り上げられた石は、それ以後、「遺物」となります。つまり、遺構とは当時の大地の上に人間が与えた何らかの影響の結果であり、遺物は遺構の構成要素の一部が切り離されて可搬の状態となったものといえます。
- 遺跡が教えてくれるもの
遺跡は、ある遺構や遺物がどこに多くてどこに少ないか、どのように配置されているか、どんな形をしているか、などといったことを見せてくれます。それは当時の経済や、政治、文化、すなわち社会のあり方そのものの痕跡です。また、その地に暮らしていた人々が何を受け入れ、何を排除したか、という選択の結果です。とすれば、遺跡に見る遺構や遺物の姿とは、ある時代、ある社会の精神の営みが具体的な形となって表れたものにほかなりません。考古学とは、遺跡という過去の「モノ」について調べる学問ですが、遺構・遺物のありようを通して、私たちはその奥にある当時の人々の心の世界を見ているのです。
- 遺跡がつなぐ人類の過去と未来
遺跡が人間の活動痕跡である限り、それは人類の歴史とともに大きく変化し、多様化してきました。私たちの祖先は、はじめは洞窟の中や岩陰に身を寄せることによって雨風や他の動物から身を守っていました。道具といえば石や骨といった自然の素材だけでした。それが、加熱によって「モノ」の物性を変えることを知って以来、水を貯められる硬い器を作り、岩盤の中から金属を取り出し、遠い場所にいる人に情報を伝える方法を覚え、思いどおりの服飾を楽しみ、発達した言語を駆使し、多様な食材を味わうようになってきました。
私たちがこんにち目にしているのは、何から何まで、遠い昔に始まったそれらの最後の姿です。そして同時に、この先の未来へ変化していく起点でもあります。私たちは、それらがさまざまに形を変えて行く、その途中の姿を今まさに見ているのです。
遺跡も同じです。それもまたその時点の現在、すなわちある「モノ」がその時までに遂げた変化を見せてくれています。私たちは事象の始原を見ることができません。変化の全体を見ることもできません。ただ一つ、遺跡のみが過去と現代をつなぐ架け橋なのです。
- ふたつの「発掘調査」
日本中いたるところで遺跡の発掘調査が行われています。その数、年間7,000~8,000件ほど、このほとんどは、何か建物が建ったり、道路が作られたりするときに地下の遺跡が壊されることが多いため、その前にそれがどういうものであったか詳しく調べ、できるだけ正確な記録を残しておこうとするものです。これを「緊急発掘調査」とか「行政発掘調査」などといい、日本の遺跡発掘調査の99パーセント以上を占めます。発掘調査にはこのほか、研究者が自分の学問的興味に基づいて任意の場所を掘ったり、行政機関が保存整備のために指定史跡を継続的に掘ったりするものもあり、これを「学術調査」といいます。
学術調査の場合、遺跡は調査後に埋め戻されて保存されますが、緊急調査ではたいていの場合、調査後に開発行為によって壊されます。また前者の場合には、経費は公的資金や補助金などでまかなわれるのに対し、後者の場合は、個人住宅建設の事前調査などを除き、ほとんどが遺跡を破壊する原因を作る事業者が負担します。これを「原因者負担」または「事業者負担」の原則といいます。では原因者負担の原則は、どのような論理により成り立っているのでしょうか。
- 誰のために、何のために発掘調査をするのだろうか?
土地の所有者が自分の土地に建物や道路を作ったりするのは、ひとまず自由です。しかしたいていの場合、その人物、あるいは団体が土地を手に入れたのは、たかだか数ヶ月か数年、せいぜいこの数十年のうちに過ぎません。一方、地下の遺跡は土地所有者よりもはるか以前からそこにあります。たまたまそこの所有者となった人物(団体)には、地上に何か建造物を作る権利はあるにしても、そのことのために、その地下に何百年、何千年の昔から存在し続けてきたものを壊す権利まではありません。遺跡はだれか特定の人の所有物ではないのです。では誰のものでしょうか。誰のものでもありません。私たちの祖先の生活した証しを、誰か個人が独占することはできないのです。つまり、遺跡は「皆のもの」です。皆で守っていかなければならないものなのです。遺跡をしばしば「国民共有の財産」といいますが、それはこのような意味です。
現代の私たちの要求を優先してどうしても何かを作って遺跡を壊すのであれば、それがどういうものであったかを正確に調べ、できるだけ元の姿に近い形で国民の前に示さなければいけません。調査・保全(保存)・展示公開をする義務がこのとき生まれます。発掘調査は調査報告書の刊行をもってひとまず終了となりますが、それだけでなく、そのあと市民に親しみやすい形で公開することで、はじめて遺跡は国民共有の財産として生きるのです。
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の価値や魅力の発信について、これからのあり方を検討する。 とりわけ、地元住民、市民などの来訪者が親しみを感じることのできるように、古墳の復元を含めた整備のあり方をベースにして、市民を含んだ関係者を巻き込んでの整備手法の検討、またそのことを踏まえて価値や魅力の発信とその活用などを考える。
日時:2025(令和7)年2月24日(月・振替休日) 13:00~16:30
場所:LICはびきの(羽曳野市立生活文化情報センター) ホールM
〒583-0854 大阪府羽曳野市軽里1-1-1 近鉄南大阪線 古市駅 下車 西へ徒歩約10分
定員:350 人(事前申込み要・先着順)
費用:500円(資料代として)
申込み・問い合わせ先:はがき、または電子メール(電話での申し込み不可)
氏名(フリガナ)、住所、連絡先(電話番号)を明記。
1回の申込で 5 人まで(全員氏名(フリガナ)と代表者の住所と連絡先(電話番号))
〒583‐8585 大阪府羽曳野市誉田 4 丁目 1‐1 羽曳野市教育委員会 文化財・世界遺産室
電子メール bunka-sekai@city.habikino.lg.jp
問い合わせ TEL 072‐958‐1111(内線 4480)、FAX 072-947-3633
プログラム:
13:00~13:05 主催者挨拶
13:05~13:50 「史跡今城塚古墳の整備と市民参加の普及活動」内田 真雄 氏(高槻市 街にぎわい部文化財課 副主幹)
13:50~14:35 「「飛鳥・藤原」の世界遺産登録と明日香村の地域戦略~牽牛子塚古墳の整備活用を中心に~」小池 香津江 氏(明日香村教育委員会文化財課 課長)
14:35~14:45 休憩
14:45~15:30 「古墳の保存整備と活用を考える」鈴木 一有 氏(浜松市博物館 館長)
15:30~15:40 休憩
15:40~16:30 パネルディスカッション「世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」をブラッシュアップ ~みんなに親しまれる古墳とは~」
パネラー:内田 真雄 氏、小池 香津江 氏、鈴木 一有 氏、一般市民
進行:伊藤 聖浩(羽曳野市教育委員会文化財・世界遺産室)
主催者:羽曳野市世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」保存・活用実行委員会(NPO法人フィールドミュージアムトーク史遊会・羽曳野まち歩きガイドの会・四十四の会・羽曳野市教育委員会)
羽曳野市ホームページの関連ページはこちらです。
文資第1075号
令和6年11月5日
一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 吉田広殿
徳島県知事 後藤田 正純
「多良古墳群の保存に関する要望書」について
(令和6.10.3埋文委第4号に対する回答)
このことについては、次のとおりです。
1 前方後円墳1基を含む全5基からなる多良古墳群は、令和5年度と令和6年度の詳細な試掘調査の結果、古墳群の中核を構成する1号前方後円墳と2号円墳は、国史跡の指定を検討すべき、極めて重要な遺跡であると考えます。一方、3号円墳、4号円墳及び5号円墳は、1号前方後円墳との直接的な関係性や類似性が、確認されていないことから、古墳群の中では、1号墳及び2号墳に比べて、相対的には、希少性は低いと判断できます。このことから、1号墳及び2号墳については、事業者に対して現地での保存を要請し、本年7月、了承されたところです。
今後とも、海陽町と連携し、文化庁及び徳島県文化財保護審議会においてご意見をいただきながら、専門的知見・評価を収集し、適切な保護を図って参ります。
2 多良古墳群の歴史的重要性の詳細を明らかにするために、海陽町文化財保存活用検討委員会(多良古墳)が、令和6年11月から設置される予定です。県も支援しながら、この委員会で調査方針の検討を進めて参ります。
3 調査成果に基づき、海陽町の意向も踏まえ、1号前方後円墳及び2号円墳の史跡指定について、海陽町文化財保存活用検討委員会(多良古墳)において検討を重ねるとともに、保存活用についても議論を深めて参ります。
2024.12
埋文委ニュース 第85号
日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会
はじめに
本年度の日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会(以下、埋文委)の情報交換会は、2024年10月20日(日)13時30分~15時30分に島根大学松江キャンパス・教養2号館601教室を会場として、28名(会場17名+オンライン11名)の参加を得て開催された。吉田広委員長による挨拶の後、開催地報告、そして各地の埋蔵文化財保護の状況等についての報告および活発な情報交換が行われた。以下にその概要を記す。
1 開催地報告
「近年の松江市における埋蔵文化財保護行政の動向」
川西学氏(松江市文化スポーツ部埋蔵文化財調査課)
遺跡の整備は田和山遺跡などがあるが、整備の進んでいない遺跡が多く、関連資料は資料館での見学を主としている。組織体制については、2019年に文化財の活用とまちづくりを一体化するため、市長部局に文化スポーツ部を設置し、埋蔵文化財の調査を含めた文化財関係の部署は教育委員会事務局から移管された。
松江市の埋蔵文化財行政基本方針としては、2021年12月に認定を受けた「松江市文化財保存活用地域計画」をマスタープランとして、以下のような具体的な措置を講じている。
調査体制の見直しと強化については、従来は遺跡本調査を(財)松江市スポーツ・文化振興財団に委託していたが、2023年から直営で実施している。これに伴って、正規職員1名、任期付職員3名など合計10名の増員を行った。
埋蔵文化財の保存については、弥生時代前期~中期の神後田遺跡は田和山遺跡に近接し、関連が高いことから文化庁と協議の上、国史跡にむけた追加調査、土地の買い上げをすすめた。そして2022年3月に田和山・神後田遺跡に史跡名称を変更して、追加指定となった。
埋蔵文化財の指定に向けた調査・研究については、これまで指定が滞っていたが、地域計画策定を機に積極的に文化財指定を行う方針となった。そうした中で、2021年に「松江市指定文化財の指定及び無形文化財の保持者又は保持団体の指定基準」、2022年に「今後の指定候補リスト」を策定した。これに基づき、指定第1号として2023年に古墳時代前・中期の奥才古墳群出土遺物を指定した。さらに、古墳時代中期の八幡鹿島古墳について史跡指定を目指して学術調査を実施した。
デジタル技術を用いた遺跡の活用については、2020年に「田和山遺跡史跡公園再整備基本計画」を策定し、公園内の遺跡および周辺にAR、VRの導入を進めている。
今後は、将来に見据えた計画の策定、ヒストリー(文化財をつなぐ物語)の構築に向けて取り組んでいく。
2 地域連絡会からの報告
(1)能登半島地震に係る石川考古学研究会の取組み
伊藤雅文委員(石川県)より、能登半島地震に係る取組みについて次のような現状報告があった。
埋蔵文化財について被害状況の把握は、石川考古学研究会も独自に行っている。被害が大きい地域は、担当者の配置がもともと脆弱であり、現状把握や保護にあたることが困難な状況にある。担当者は、他の膨大な業務にも対応しなければならない例も見られ、ますます埋蔵文化財への影響が懸念されている。今後、復興事業に伴う調査が増えていくことが予想され、十分な調査がなされるかなど、注視しなければならない点が多くみられる。
(2)関東甲信越静地区連絡会
橋本博文委員(新潟県)より、埴輪生産遺構が検出された群馬県伊勢崎市石山南遺跡への対応について問題提起がなされ、幹事会で検討することとした。
(3)中国地区連絡会
藤野次史担当理事(広島県)より、広島城跡三の丸の歴史館移転問題について、現状と今後の対応の説明があった。
(4)四国地区連絡会
吉田広委員長(愛媛県)より、要望書を提出した2件(高知県多良古墳群、徳島県徳島城跡)および愛媛県松山城跡の土砂災害について説明があった。
(5)九州・沖縄地区連絡会
田尻義了委員(福岡県)より、北九州市旧門司港駅跡の状況について次のような説明があった。現地説明会があり、今後は下層の遺構調査を行う予定。要望書等については、状況の変化を見て対応することとする。
今回の埋文委情報交換会は、一昨年の福岡大会、昨年の宮城大会に引き続き、対面とオンラインを併用して開催された。対面のみで開催していた時よりも多くの委員が参加し、活発な議論がなされている。今後もそれぞれのメリットを活かしつつ、より多くの委員の交流を図っていきたい。 (藤野次史・小笠原永隆)
(地域つながり課)