新型コロナウイルス感染症の拡大によって、遺跡を取り巻く様々な活用事業にも大きな影響が及んでいます。特に、これまで対面で行ってきた活動のほとんどが大きな制約を受け、事業の見直しを迫られました。ここでは、コロナ禍における史跡の活用について、鳥取県立むきばんだ史跡公園の事例を御紹介させていただきます。
例年、むきばんだ史跡公園では、大規模集客イベント(春・秋)、土曜講座(年5回)、弥生の森講座(年2~3回)、弥生のものづくり講座(年2~3回)、ジュニアファンクラブ、女子考古部のほか、地元と連携して組織した「活用実行委員会」による竪穴住居の宿泊体験など様々な事業を実施してきました。このほか、土日祝や夏休みに実施する簡易古代体験を含めて、平成29年度には弥生体験者の数が10,961名に達し、来園者の3~4割の方が何らかの体験に触れていただく状況でした。
ところが、令和2年から始まったコロナ禍で状況は一変します。イベントや講座は中止や延期を余儀なくされ、令和2年4~5月には開園以来初めてとなる臨時休館も経験しました。その後も、講座等の開催方法や定員の見直し、オンラインの併用や動画の配信など、新型コロナウイルスと共存してイベントや講座を開催する方法を模索し続けています。
例えば、大規模集客イベントでは開催日数を複数設定して分散開催するとともに事前予約制を採用して、密の回避と消毒時間の確保に努めました。コロナ禍前であれば、1日で2000~3000名の参加があるところ、コロナ対策を講じた令和2年度は5日間で1146名、令和3年度は2日間で871名の参加となりました。1日あたりの参加者数は減少しましたが、その分、細やかな対応ができたと思います。
また、今では当たり前になってきた「動画配信」や「オンライン配信」にも取り組みました。令和2年7月にYouTube「むきばんだ史跡公園チャンネル」を開設し、少しずつコンテンツを充実させています。また、令和3年度から土曜講座のオンライン配信を開始したところ、関東・中部・近畿など遠方の方に御参加いただけるようになり、新たな可能性も見出すことができました。
このほか、イベントや講座ができなかった分、コロナ禍後を見据えて展示の多言語化やARコンテンツ制作などの取り組みも行っています。コロナ禍のために従来の活用事業は大きく見直しを迫られましたが、コロナ禍がなければ取り組めなかった事柄があるのも事実です。私たちにとって対面による事業の重要性は言うまでもありませんが、コロナ禍で学んだことも数多くありました。今後も、より良い史跡の活用と情報発信の方法を模索していきたいと思います。
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2022年4月~2023年3月受入分
No | 寄贈者・機関名 | 書籍名 | 発行年月日 |
1 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 1 | 2020/1/1 |
2 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 2 | 2020/2/1 |
3 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 3 | 2020/3/1 |
4 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 4 | 2020/4/1 |
5 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 5 | 2020/5/1 |
6 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 6 | 2020/6/1 |
7 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 7 | 2020/7/1 |
8 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 8 | 2020/8/1 |
9 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 9 | 2020/9/1 |
10 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 10 | 2020/10/1 |
11 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 11 | 2020/11/1 |
12 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古 2020年 12 | 2020/12/1 |
13 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古学报 2019年 4 | 2019/10/1 |
14 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古学报 2020年 1 | 2020/1/1 |
15 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古学报 2020年 2 | 2020/4/1 |
16 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古学报 2020年 3 | 2020/7/1 |
17 | 中国社会科学院考古学研究所 | 考古学报 2020年 4 | 2020/10/1 |
18 | 鳴門市市民生活部文化交流推進課 | 鳴門市板碑総合調査報告書 | 2022/3/1 |
19 | 坂井市教育委員会文化課 | 国史跡 六呂瀬山古墳群 | 2022/3/1 |
20 | 毛呂山町歴史民俗資料館 | 毛呂山町 鎌倉街道上道 総括報告書 | 2022/2/1 |
21 | 青山学院大学史学会 | 史友 | 2022/3/1 |
22 | 東洋大学文学部史学科共同研究室内 白山史学会 | 白山史學 | 2022/3/1 |
23 | 新潟大学研究推進機構超域学術院・助教 森 貴教 | 長岡市島崎川流域遺跡群の研究Ⅱ 上桐の神社裏遺跡2 赤坂遺跡1 | 2022/3/1 |
24 | 埼玉県立歴史と民俗の博物館 | 巡り・廻りの民俗行事調査概報Ⅳ | 2022/3/1 |
25 | 埼玉県立歴史と民俗の博物館 | 紀要 第16号 | 2022/3/1 |
26 | 沼田市教育委員会埋蔵文化財調査センター | 沼田城跡 令和元年度調査概要報告書 沼田公園長期整備構想に伴う沼田城跡発掘調査報告書 | 2022/3/1 |
27 | 調布市郷土博物館 | 調布の文化財 第62号 | 2021/3/1 |
28 | 調布市郷土博物館 | 調布の文化財 第63号 | 2021/11/1 |
29 | 調布市郷土博物館 | 郷土博物館だより | 2022/3/1 |
30 | 菊川市教育委員会 社会教育文化振興係(菊川市埋蔵文化財センター どきどき) | 政所本屋敷遺跡-第2次- 発掘調査報告書(県営圃場整備事業に伴う発掘調査) | 2022/3/1 |
31 | 青梅市教育部文化課郷土博物館管理係 岡本 | 青梅市埋蔵文化財調査概要 馬場遺跡第9次調査報告書 | 2022/3/1 |
32 | 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所 保存科学誌編集委員長 建石 徹 | 保存科学 第61号 | 2022/3/1 |
33 | 市立市川考古博物館 | 市立市川考古博物館 館報 第49号 | 2022/3/1 |
34 | 公益財団法人かながわ考古学財団理事長 | かながわの考古学 | 2022/3/1 |
35 | 豊中市教育委員会事務局 社会教育課 文化財保護係 | 豊中市埋蔵文化財発掘調査概要 | 2022/3/1 |
36 | 豊中市教育委員会事務局 社会教育課 文化財保護係 | 大阪府豊中市利倉北遺跡 第1次発掘調査報告書 | 2021/10/1 |
37 | 鶴見大学文学部文化財学科6号館地下1階合同研究室内 鶴見大学文化財学会 | 文化財学雑誌 | 2022/3/1 |
38 | 藤井寺市教育委員会文化財保護課 | 石川流域遺跡群発掘調査報告書37 藤井寺市文化財報告第47集 | 2022/3/1 |
39 | 昭和女子大学歴史文化学科気付 昭和女子大学文化史学会 | 昭和女子大学文化史研究 第25号 | 2022/3/1 |
40 | 日本民具学会 | 民具研究 第163号 | 2022/2/1 |
41 | 長岡京市教育委員会 | 長岡京市文化財調査報告書 第78冊 | 2022/3/1 |
42 | 長岡京市教育委員会 | 長岡京市文化財調査報告書 第79冊 | 2022/3/1 |
43 | 三鷹市スポーツと文化部生涯学習課 | 三鷹市文化財年報・研究紀要 4 | 2022/3/1 |
44 | 青森つがる市教育委員会 | 竹鼻(3)遺跡Ⅱ | 2022/3/1 |
45 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 剣埼上小路遺跡 | 2015/7/1 |
46 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 八幡館遺跡 | 2015/9/1 |
47 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 石神千保遺跡 | 2016/9/1 |
48 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 中里押出遺跡 | 2017/1/1 |
49 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 中泉十王堂遺跡2 | 2019/7/1 |
50 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 上中居辻薬師遺跡4 | 2018/11/1 |
51 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 本郷久保田遺跡 | 2019/10/1 |
52 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 上中居西屋敷遺跡5 | 2019/2/1 |
53 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 金古南十三町遺跡 | 2020/9/1 |
54 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 柏木沢中沢遺跡 | 2021/1/1 |
55 | 高崎市教育委員会 高澤考古学研究所 | 中泉十王堂遺跡4 | 2021/10/1 |
56 | 寒河江市教育委員会 | 寒河江市内遺跡 発掘調査報告(28) | 2022/3/1 |
57 | 寒河江市教育委員会 | 上の寺遺跡-統括報告書- | 2022/3/1 |
58 | Australian Institute of Archaeology | Buried History 2021 Volume 57 | 2021年 |
59 | 埼玉県北本市教育委員会 | 善徳遺跡 | 2021/11/1 |
60 | 埼玉県北本市教育委員会 | 横田遺跡第3・4次調査、 市場遺跡第4次調査、 下宿遺跡第8次調査 | 2022/3/1 |
61 | 埼玉県北本市教育委員会 | みんなで学ぼうデーノタメ遺跡 | 2021/3/1 |
62 | 我孫子市教育委員会 | 令和3年度市内遺跡発掘調査報告書 | 2022/2/1 |
63 | 我孫子市教育委員会 | 下ヶ戸(さげと)貝塚Ⅹ 総括報告書 | 2022/3/1 |
64 | 我孫子市教育委員会 | 下ヶ戸(さげと)貝塚Ⅸ 写真図版編 | 2022/2/1 |
65 | 八千代教育委員会 | 千葉県八千代市 市内遺跡等発掘調査報告書 令和3年度 | 2022/3/1 |
66 | 八千代教育委員会 | 千葉県八千代市 公共事業関連遺跡発掘調査報告書Ⅷ | 2022/3/1 |
67 | 八千代教育委員会 | 千葉県八千代市 上ノ山遺跡d地点 | 2022/3/1 |
68 | 印西市教育委員会 | 令和2年度 印西市内遺跡発掘調査報告書 | 2022/3/1 |
69 | 東京都埋蔵文化財センター | 研究論集ⅩⅩⅩⅥ | 2022/3/1 |
70 | 野村不動産株式会社 | 東京都文京区 弓町遺跡 第10地点 | 2013/6/1 |
71 | THE TOHO GAKKAI | ACTA ASIATICA | 1992年 |
72 | 板橋区立郷土資料館 | 板橋区立郷土資料館 年報 18号 19号 紀要16号 | 2007年 |
73 | 高崎市教育委員会 | 令和3年度 市内遺跡 | 2022/3/1 |
74 | 高崎市教育委員会 | 菅谷遺跡群2 | 2022/3/1 |
75 | 福知山教育委員会 | 福知山市文化財調査報告書 第74集 | 2022/3/1 |
76 | 王寺町 | 西安寺跡第10次 発掘調査報告書 | 2022/3/1 |
77 | 高崎市教育委員会 | 中居町一丁目遺跡5 | 2022/6/1 |
78 | 広島大学文学部 | 広島大学文学部論集 | 2021/12/1 |
79 | 広島大学文学部附属内海文化研究施設 | 内海文化研究紀要 第50号 | 2022/3/1 |
80 | 竹田市教育委員会 | 片ケ瀬遺跡 下片ケ瀬遺跡 鞍ケ田尾遺跡 | 2019/2/1 |
81 | 大阪大学大学院文学研究科 | 侍兼山論叢 第55号 2021 | 2021/12/25 |
82 | 竹田市教育委員会 | 岡藩城下町遺跡群発掘調査Ⅲ | 2019/3/1 |
83 | 竹田市教育委員会 | 市内遺跡発掘調査Ⅻ 平成31年度調査の概要 | 2020/3/1 |
84 | 竹田市教育委員会 | 挟田町遺跡 | 2021/3/1 |
85 | 竹田市教育委員会 | 岡藩城下町遺跡群発掘調査Ⅳ 令和3年度市内遺跡発掘調査ⅩⅣ | 2022/3/1 |
86 | 仙台市教育委員会 | 穴田東窯跡ほか | 2022/4/1 |
87 | 仙台市教育委員会 | 郡山遺跡 42 | 2022/3/1 |
88 | 仙台市教育委員会 | 日向遺跡 | 2022/3/1 |
89 | 仙台市教育委員会 | 仙台平野の遺跡群32 | 2022/4/1 |
90 | 仙台市教育委員会 | 仙台城跡 17 | 2022/4/1 |
91 | 高崎市教育委員会 | 萩原・沖中遺跡9 | 2022/7/1 |
92 | 都留市教育委員会 | 桃園遺跡 | 2022/3/1 |
93 | 台東区教育委員会 | 神吉町遺跡(台東区№138遺跡) | 2022/3/1 |
94 | 茅野市教育委員会 | 尖石石器時代遺跡 総括報告書 | 2022/3/1 |
95 | 朝倉市教育委員会 | 朝倉市文化財年報(令和元年度) | 2021/3/1 |
96 | 朝倉市教育委員会 | 林田篠原垣遺跡 | 2021/3/1 |
97 | 朝倉市教育委員会 | 長光寺遺跡第6地点 | 2021/3/1 |
98 | 朝倉市教育委員会 | 立聞遺跡 | 2021/3/1 |
99 | 竹田市教育委員会 | 市内遺跡発掘調査Ⅺ 平成30年度調査の概要 | 2019/3/1 |
100 | (株)レオコーポレーション (有)原史文化研究所 | 千葉県成田市 宗吾二丁目遺跡-第2次調査第1地点発掘調査報告書- | 2021/12/1 |
101 | 有限会社 原史文化研究所 | 千葉県香取市 片野前野辺田遺跡 | 2022/5/1 |
102 | 一般財団法人 東方学会 | 東方學會報 | 2022/7/1 |
103 | 埼玉県志木市教育委員会 | 『中野遺跡 第109地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』志木市の文化財第82集 | 2021/6/1 |
104 | 埼玉県志木市教育委員会 | 『西原大塚遺跡 第223地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』』志木市の文化財第83集 | 2021/7/1 |
105 | 埼玉県志木市教育委員会 | 『城山遺跡第99地点 中野遺跡第114地点 中道遺跡第92地点 埋蔵文化財発掘調査報告書』志木市の文化財第84集 | 2022/3/1 |
106 | 埼玉県志木市教育委員会 | 『志木市遺跡群25』 志木市の文化財第85集 | 2022/3/1 |
107 | 九州大学埋蔵文化財調査室 | 箱崎キャンパス地区元寇防塁 調査統括報告書 | 2022/3/1 |
108 | 九州大学埋蔵文化財調査室 | 九州大学大橋キャンパス発掘調査報告 塩原遺跡 | 2022/3/1 |
109 | 大阪大学埋蔵文化財調査委員会 | 大阪大学埋蔵文化財調査室年報6 | 2022/3/1 |
110 | 長野県考古学会 | 長野県考古学会誌 162号 | 2022/3/1 |
111 | 南三陸先史文化研究会 | 出島(翻刻版) | 2022/1/1 |
112 | 御所野縄文博物館 | 縄文時代がやってきた縄文ムラの原風景 | 2021/4/1 |
113 | 古代學研究會 | 古代学研究231 | 2022/2/1 |
114 | 古代學研究會 | 古代学研究232 | 2022/3/1 |
115 | 公益財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 横浜市歴史博物館 | 横浜市歴史博物館 GUIDE English | 2019/3/1 |
116 | 長友朋子・𠮷川弘文館 | 南関東の弥生文化 東アジアとの交流と農耕化 | 2022/12/1 |
117 | 雄山閣 | 転換期の日本考古学 1945~1965 文献解題 | 2021/7/25 |
118 | 宮城県南三陸町教育委員会 | 寂光寺跡ほか | 2021/3/22 |
119 | 福島県田村市教育委員会 | 北ノ作遺跡発掘調査報告書 -市道改良工事に伴う調査- | 2019/3/1 |
120 | 福島県田村市教育委員会 | 北ノ作遺跡発掘調査報告書 -市道改良工事に伴う調査- | 2019/3/1 |
121 | 国土交通省東北地方整備局郡山国道事務所 福島県田村市教育委員会 | 広瀬大越城跡発掘調査報告書 -県道吉間田滝根線改良工事に伴う調査- | 2021/3/1 |
122 | 国土交通省東北地方整備局郡山国道事務所 福島県田村市教育委員会 | 広瀬大越城跡発掘調査報告書 -県道吉間田滝根線改良工事に伴う調査- | 2021/3/1 |
123 | あきる野市 トキオ文化財株式会社 | No.34(水草木遺跡)・No.111(阿岐野遺跡)・No.117~123遺跡 -武蔵引田駅北口土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査- | 2022/2/28 |
124 | 坂井市教育委員会 | 坂井市埋蔵文化財発掘調査報告書 国史跡 六呂瀬山古墳群 | 2022/3/31 |
125 | 日本西アジア考古学会 | 第29回西アジア発掘調査報告会報告集 令和3年度 考古学が語る古代オリエント | 2022/3/12 |
126 | 大阪歴史博物館 | 大阪歴史博物館年報 令和3年度 | 2022/10/20 |
127 | 公益財団法人 北海道埋蔵文化財センター | 調査年報 34 令和3年度 | 2022/3/18 |
128 | 坂城町教育委員会 | 坂城町内遺跡発掘調査報告書2021 -令和3年度試掘・立会い調査報告書- | 2022/3/1 |
129 | 公益財団法人 長岡京市埋蔵文化財センター | 長岡京市埋蔵文化財センター年報 令和2年度 | 2022/3/25 |
130 | 埼玉県熊谷市教育委員会 | 埼玉県熊谷市埋蔵文化財調査報告書 第43集 彦松遺跡 下本郷遺跡 大竹遺跡Ⅱ・Ⅲ 瀬戸山古墳群第14号墳 -市内遺跡発掘調査報告書Ⅷ- | 2022/3/25 |
131 | 大船渡市教育委員会 | 岩手県大船渡市 宮野貝塚 令和元年度緊急発掘調査報告書 | 2022/2/28 |
132 | 寒川町教育委員会 | 平成30・令和元年度試掘調査 十三塚 (無名塚) 発掘調査 宮山根岸遺跡発掘調査 -平成30・令和元年度町内遺跡発掘調査報告書- | 2022/3/15 |
133 | 唐澤至郎・高志書院 | 民衆宗教遺跡研究の展開 | 2018/9/10 |
134 | あきる野市 トキオ文化財株式会社 | No.34(水草木遺跡)・No.111(阿岐野遺跡)・No.117~123遺跡 -武蔵引田駅北口土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査- | 2022/2/28 |
135 | 美浜町教育委員会 | 佐柿国吉城址を歩こう ~見どころ編~ | 2022/3/29 |
136 | 京都大学学術出版会・京都大学学術出版会 | マヤ文明の戦争 神聖な争いから大虐殺へ | 2022/11/20 |
137 | 清瀬市 | 伊勢遺跡出土旧石器再整理調査報告(1) 市内未報告資料調査報告 | 2021/3/31 |
138 | 専修大学考古会 | 専修考古学 第16号 ~土生田純之先生古稀記念特集号~ | 2022/3/30 |
139 | 高崎市教育委員会 | 高崎市文化財保護年報-令和3(2021)年度- | 2022/10/1 |
140 | 湯浅町教育委員会 | 平成30年度 湯浅町埋蔵文化財調査年報 | 2020/3/30 |
141 | 東京都埋蔵文化財センター | たまのよこやま129 | 2022/6/30 |
142 | 東京都埋蔵文化財センター | たまのよこやま130 | 2022/9/30 |
143 | 公益財団法人 東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センター | 東京都埋蔵文化財センター 年報 42 令和3(2021)年度 | 2022/10/31 |
144 | 住友不動産株式会社 台東区教育委員会 | 浅草北田原町遺跡 浅草一丁目11番地点 -(仮称)浅草1丁目計画新築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2022/3/31 |
145 | 大倉幕府跡地の保存・活用を考える会 編 | 大倉幕府跡 その遺跡保存と活用を考える連続フォーラム 報告書 | 2022/9/30 |
146 | 美浜町教育委員会 | 佐柿国吉城址を歩こう ~見どころ編~ | 2022/3/29 |
147 | 日本民具学会 | 民具研究 | 2022/8/31 |
148 | 高崎市教育委員会 有限会社毛野古学研究所 | 高関東沖遺跡4 -宅地造成に伴う埋蔵文化財発掘調査- | 2021/9/30 |
149 | 髙木正文 | 装飾古墳の世界 | 2003/12/20 |
150 | 髙木正文 | ある考古学徒の70年の足跡 | 2018/9/2 |
151 | 立命館大学文学部 長友朋子 | Kilns in East and North Asia/ARCHAEOLOGY OF EAST ASIA VOLUME 7 | 2022年 |
152 | Landesamt fur Denkmalpflege und Archaologie Sachsen-Anhalt | Jahresschrift fur mitteldeutsche Vorgeschichte Band 96 | 2017年 |
153 | 大阪博物館 橋本忠之 | 近代のいちばん手-その意匠と時代背景- | 2006/10/5 |
154 | 一般財団法人 東方学会 | 東方學會報 NO123 | 2022/12/27 |
155 | 株式会社シン技術コンサル 高崎市教育委員会 | 下大類芹沢遺跡2-倉庫建設に伴う埋蔵文化財発掘調査- | 2022/12/28 |
156 | EDITURA ACADEMIEI ROMANE | DACIA REVUE D’ARCHE’OLOGIE ET D’HISTOIRE ANCIENNE | 2021年 |
157 | 株式会社雄山閣 | 洞窟と考古学者 遺跡調査の足跡と成果 | 2023/1/25 |
158 | 仙台市教育委員会 日本貨物鉄道株式会社東北支社 | 高江遺跡第1次発掘調査 -仙台貨物ターミナル駅移転計画事業に伴う発掘調査報告書- | 2022/12/1 |
159 | 盛岡市教育委員会 | 盛岡市内遺跡群 -令和2年度発掘調査報告書- 西鹿渡遺跡 第39次 百目木遺跡 38次 | 2023/1/31 |
160 | 盛岡市教育委員会 | 盛岡市遺跡の学び館 令和2年度 館報 | 2023/3/25 |
161 | 群馬県安中市教育委員会 | 国衙中割遺跡 -九十九地区生涯学習センター建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2018/3/31 |
162 | 群馬県安中市教育委員会 株式会社 クリーンエネルギ―研究所 株式会社 測研 | 蔵人城跡 -大規模太陽光発電所建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2018/5/31 |
163 | 群馬県安中市教育委員会 | 安中城IV -安中市文化センター駐車場増設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2022/3/22 |
164 | 群馬県安中市教育委員会 | 西台I・Ⅱ遺跡 -都市計画道路(扇城下秋間線)工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2022/3/22 |
165 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XXI-個人住宅建設に伴う発掘調査報告書-峯原遺跡(5次) | 2019/3/31 |
166 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XXⅡ-下里・青山板碑製作遺跡関連確認調査報告書1- | 2020/3/31 |
167 | 小川町教育委員会 | 『万葉集』と仙覚律師と小川町 | 2012/6/1 |
168 | 小川町教育委員会 | 小川町指定史跡 中城跡保存管理計画書 | 2010/3/31 |
169 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XVI-個人住宅建設に伴う発掘調査報告書-六所遺跡(4次)峯原遺跡(4次) | 2010/3/31 |
170 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XVⅡ-小川町指定史跡 中城跡- | 2012/3/30 |
171 | 小川町教育委員会 | 下里・青山板碑石材採掘遺跡群-割谷採掘遺跡- | 2014/1/17 |
172 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XVⅢ-個人住宅建設に伴う発掘調査報告書-岡原遺跡(2次)谷上遺跡(1次) | 2015/3/31 |
173 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XIX-個人住宅建設に伴う発掘調査報告書-大杉遺跡(7・8次) | 2016/3/31 |
174 | 小川町教育委員会 | 下里・青山板碑製作遺跡-大沢谷遺跡測量調査報告書- | 2018/3/30 |
175 | 小川町教育委員会 | 町内遺跡発掘調査報告書XX-個人住宅建設に伴う発掘調査報告書-八幡台遺跡(20次) | 2017/3/31 |
176 | 株式会社ミネルヴァ書房東京 | 考古学概論 初学者のための基礎理論 | 2022/4/10 |
177 | 八木書店 | 須恵器研究の新視角 | 2022/2/10 |
178 | 大阪大学出版会 | 古墳時代の葬制秩序と政治権力 | 2022/9/1 |
179 | 一般財団法人 九州大学出版会 | 土器製作技術からみた稲作受容期の東北アジア | 2022/11/15 |
180 | 豊島区教育委員会 | 豊島区埋蔵文化財調査概報集17-2020年度国庫補助事業- | 2022/3/31 |
181 | 豊島区教育委員会 | 豊島区埋蔵文化財調査概報集18-2021年度国庫補助事業- | 2023/2/28 |
182 | 函館市教育委員会 | 函館市 サイベ沢遺跡(3)-常盤川総合流域防災工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書- | 2023/2/28 |
183 | 豊島区教育委員会 | 豊島区埋蔵文化財調査報告56 巣鴨町 XXⅢ | 2021/3/31 |
184 | 豊島区教育委員会 | 豊島区埋蔵文化財調査報告58 巣鴨町 XXIV | 2021/3/31 |
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교통 요충지에 위치한 재지 영주의 저택지
방형으로 구획된 부지에 격식 높은 건물
오오미나미유적은 요네자와시 북동부를 흐르는 텐노가와(天王川) 우안의 자연 제방 위에 입지한다. 야마가타현의 요네자와와 타카하타(高畠)를 연결하는 가도의 연변에 위치하며, 텐노가와의 도하점에 가까운 교통 요충지에 해당된다. 2016・2017년도에 아사가와(淺川) 최종처분장 정비사업에 따라 약 25,300㎡를 발굴조사하였고 주로 고대~중세의 유구와 유물이 확인되었다. 그 중에서 주목되는 것은 중세의 저택지이다.
저택 중심지는 동서 약 60~84m, 남북 약 110m의 범위에 방형의 구를 두르고 그 내부에 다시 구를 파서 두개의 구획을 마련하였다. 방형구에는 단절되는 부분이 있으며, 단절부분의 바깥쪽으로 L자 모양의 구가 배치되어 있다. 이는 되 모양 호구(桝形虎口/출입구 전면에 방형 공간을 마련하는 구조)와 같은 출입구로 추측된다. 방형 구획 내에서는 서로 다른 시기에 해당하는 25기 이상의 굴립주건물이 발견되었다. 주요 시설로 보이는 최대 건물은 길이 12.6m, 폭 8.6m로 네 면에 처마(또는 툇마루)가 달린 격식 높은 것이다. 출토된 유물로 보아 방형 구획은 15세기대에 축조되었고, 범위를 확장하면서 16세기말까지 사용되었던 것으로 여겨진다.
전국에서 몇 사례 없는 승형신입상(僧形神立像)이 출토
방형 구획의 구에서는 재지에서 만들어진 내이 토제 냄비(内耳土鍋) 등을 비롯하여 중국에서 수입된 청자와 백자, 세토미노산(瀬戸美濃産) 도기 등 멀리서 반입된 물건들이 출토되어 저택 주인의 풍요로운 경제력을 엿볼 수 있다.
특히 주목되는 것은 신앙과 관련된 많은 유물들이다. 승형신입상은 당시의 신불습합(神佛習合)의 상황을 나타내는 자료로, 전국적으로 매우 드문 예이다. ‘십팔일 관세보살’(十八日觀世菩薩)이라는 묵서가 있는 제1호 목간은 저택지 내에서 관음강(觀音)이나 십제일(十齋日) 신앙(한 달의 특정한 10일에 각각 배당된 신불을 모시는 신앙, 18일이 관음보살에 해당됨)이 이루어졌음을 말해 준다. 이 외에 흑칠을 칠한 다음에 주칠로 학이나 거북 등 상스러운 동물을 그린 칠기 완과 접시, 국자, 나무신(下駄), 빗, 실을 감을 때 사용한 손물레, 추 등의 생활도구, 완구로 추정되는 목마(木馬) 등 다종다양한 목제품이 출토되었다.
저택 주인이 누구였는지 특정할 수는 없으나 이 지역이 다테씨(伊達氏)가 지배한 영국이었기 때문에 다테씨와 관계를 맺은 유력한 재지영주였던 것으로 여겨진다. 해당지역에 관한 이 시기의 실태를 알 수 있는 문헌사료가 매우 적어 그 공백을 매우는 중요한 성과라고 할 수 있다. (佐藤公保)
▲구로 둘러싸인 저택지 전경(남쪽에서)
구획구는 폭 4-8m, 깊이 1-1.5m이다. 구획 내의 흰색 방형 표시는 주요 가옥과 동시기에 존재한 것으로 보이는 건물.
▲조사구역 전체도
북서쪽의 방형 구획은 건물 규모가 작아 출토유물 역시 많지 않다. 조사구 동쪽에도 구획이 있을 가능성이 높다.
▲승형신입상
삭발에 귓볼이 늘어져 있다. 입술 부분만 빨갛게 칠하고 표정이 온화하다. 팔은 가슴 앞에 모았고 암좌(巖座)처럼 보이는 대좌가 있다. 높이 20.3cm, 폭 4.5 cm, 두께 2.5 cm, 수종은 버드나무속이다.
▲칠기 완
주칠로 봉래문(학이나 거북이 등 상스러운 동물 등을 그린 문양)이 그려져 있다. 측면에 구멍이 뚫려 있어 주걱으로 재활용된 것으로 추정된다. 잔존 직경 15.5cm, 잔존 높이 8.6cm. 수종은 너도밤나무속이다.
▲목마
날카로운 칼로 꼼꼼하게 얼굴과 귀, 다리를 깎아내고 목과 등에 묵으로 갈기를 표현하였다. 엉덩이에 홈이 있어 꼬리 내지 끼어넣는 부품이 있었을 가능성이 있다. 높이 9.6cm, 폭 5.2cm, 두께 3cm. 수종은 나한백속이다.
이장(里長)에 의한 경작지 개발을 보여주는 고대 저수지
지역 유력자가 사재를 들여 축조
사츠마유적은 나라분지(奈良盆地) 남단부의 평야에서 산지를 향해 올라가는 지점에 위치한다. 국도169호 타카토리(高取) 외곽순환도로 건설에 따라 발굴조사가 실시되어 고대에 축조된 인공 연못이 발견되었다.
이 연못은 관개용 저수지로 보이며 8세기말~9세기초에 축조된 뒤 몇 번의 수축을 거쳐 13세기 초까지 400년에 걸쳐서 유지되었던 것으로 여겨진다. 계곡의 출구 부근을 막도록 제방을 만들고 계곡 내에 물이 고이게 하였다. 제방에는 목제 홈통(木樋)을 매설하여 취수(取水)하는 장치를 갖추었다. 이 제방은 적어도 세 번에 걸쳐 홈통을 갈아끼우는 등의 보수를 하였으며, 모두 4개의 홈통이 출토되었다. 이 중 제3기(9세기말~10세기 전반)의 홈통은 가장 양호한 상태로 남아 있어 전체 모습을 잘 알 수 있다.
주목되는 점은 저수지를 만든 사람을 기록한 목간이 발견된 점이다. 목간은 저수지에서 한 점만 발견되었으며 하타노사토(波多里)의 이장(里長)인 히노쿠마노수구리(檜前村主)라는 씨족 출신자가 저수지를 축조했음을 기록하였다. 사츠마유적이 있는 지역은 고대에 하타노사토라고 불렸음이 알려져 있다.
저수지의 규모와 구조로 관개 범위를 추정
현재까지 저수지가 발굴된 사례로서는 사적 사야마이케(狭山池/大阪府), 이케다유적(池田遺蹟/福岡縣), 에이바라유적(宅原遺蹟/兵庫縣) 등이 있으며, 제방과 홈통 등에 대한 조사가 이루어졌다. 사츠마유적에서는 제방, 홈통과 함께 저수 범위의 대부분과 저수지에서 경작지로 물을 보내기 위한 수로 등 저수지를 구성하는 모든 요소들을 조사할 수 있었다.
그 결과 각 시기 저수지의 규모, 구조를 복원할 수 있었고 유적을 둘러싸는 지형 환경 등으로 경작지의 관개 범위 역시 추정할 수 있었다. 그리고 이 시기 이장이 실시한 경작지 개발의 면적과 수원지 규모 등이 구체적으로 어느 정도였는지에 대해서도 알 수 있었다. 뿐만 아니라 출토된 목간을 꼼꼼히 해독함으로써 지역 유력자가 사재를 들여 관개 수원을 정비하고 그것을 바탕으로 개발한 경작지를 사유지화 하려한 움직임도 드러나게 되었다. 지역사회의 성장을 여실히 말해 주는 매우 의미 있는 성과라고 할 수 있다. (北山峰生)
자료제공 : 奈良縣立橿原考古學研究所
▲저수지에서 물을 끌어내기 위한 목제 홈통(제3기)
잔존 상태가 양호하여 취수부 등의 구조를 잘 알 수 있다.
▲목간 적외선 사진
田領(郡의 관료)에 저수지를 만들었다는 것을 보고한 내용으로 앞면은 ‘이 연못의 조영을 마쳤더니 신이 나타나 이에 응하였다’, 뒷면에는 ‘원래 하타의 이장인 히노쿠마노수구리가 (연못의 조영을) 했으나 지금은 □□遅卿의 두 명이 한다’라고 쓰여 있다. 누가 저수지를 만들게 했는지를 알 수 있는 귀중한 자료이다.
▲저수지와 취수시설의 모식도
제방은 여수로를 설치하여 수위를 일정하게 유지하였다. 제방 하류에는 방수로가 설치되어 경작지로 이어진다.
▲제방 전경(남서쪽에서)
골짜기가 가장 좁아지는 지점을 골라 제방을 축조하였다. 오른쪽이 저수지로 목제 홈통을 사용하여 물을 왼쪽으로 보냈다. 보이는 것은 제3기의 목제 홈통이다.
▲관개 범위 상정도
유적 남쪽에 있는 나카타니이케(中谷池/현재의 저수지)의 수로를 바탕으로 당시의 관개 범위를 상정하였다. 유적에서 서쪽으로 수로를 설치하여 키비천(吉備川)까지의 완만한 경사면을 관개한 것으로 보인다.
국내 최초! ‘사자 허리띠’ 일식이 갖추어져 출토
소규모 고분이면서 수장급의 호화로운 부장품
무타베유적은 사가현 중앙부의 타쿠시에 있으며 표고 15~60m 정도 되는 구릉상에 입지한다. 여러 차례의 개발로 인해 1974~2018년에 걸쳐 7번의 발굴조사가 실시되어 야요이시대 중기의 환호취락, 고분시대 중기~후기의 고분군이 발견되었다. 고분군은 전방후원분과 원분 등 14기로 구성되어 있으며, 2017・2018년에 그 중 4기가 조사되었다.
그 가운데 9호분은 분구 표면에 즙석을 깐 길이 18.5m의 소형 전방후원분이다. 석실은 횡혈식석실로, 석실 측벽은 바닥에서 천장을 향해 서서히 내만하는 ‘들여쌓기’라는 방법으로 축조되었다. 출토유물로 보아 고분 축조 연대는 5세기말로 추정되며 피장자는 석실 후벽을 따라 매장되었던 것으로 보인다. 석실 내에서는 칼과 화살촉 등 철제품, 구슬류 외에 전국에서도 출토 사례가 적은 삼환령(三環鈴), 방울이 달린 행엽(鈴杏葉), 귀면문 대금구(獅嚙文帶金具) 등의 금속제품이 출토되었다. 소규모 고분이면서도 수장급 고분에 필적할 만한 호화로운 부장품을 보유하고 있어, 북부큐슈의 고분시대 사회를 고찰하는데 있어서 매우 중요한 자료이다.
한반도와 북부큐슈의 교류를 나타내는 자료
석실 내에서 발견된 삼환령, 방울 달린 행엽은 말에 착장한 장식금구의 일종이다. 양쪽 모두 말이 움직일 때마다 소리가 나는 ‘듣기 위한 마구’로, 지금도 흔들면 소리가 나서 당시의 음색을 들을 수 있다.
귀면문 대금구는 사자와 같은 짐승 얼굴을 표현한 소형 금구(과판)를 여러장 허리띠에 달아서 장식한 것이다. 한반도와 일본 국내를 통틀어 총 13사례 정도의 출토례 뿐으로, 그 중 대부분은 일부만 출토된 것이다. 이번 조사에서는 허리띠에 장착한 금구 일식이 모두 출토되어 귀면문 대금구의 전체 모습을 처음으로 알 수 있었다. 향후 이 금구에 대한 자세한 연구가 진전될 것으로 기대되며, 출토 사례가 많은 한반도와 북부큐슈 사이의 교류 관계를 밝히는데 있어서 중요한 자료가 될 것이다. (岩永雅彦)
▲귀면문 대금구가 출토된 9호분의 횡혈식석실
천장석과 벽의 일부가 파괴되었으나 석실 입구의 패쇄석은 축조된 당시 그대로였고 석실 내에는 귀면문 대금구 등의 부장품이 매장 당시의 상태로 남아 있었다.
▲2017・2018년도의 조사지역 원경
9・10・13・14호분을 조사하였다. 14호분 상방에 9호분의 전방부가 축조되었다.
▲9호분 전경
조사되기 전에는 원분으로 인식되어 있었으나, 발굴조사 결과 전방후원분임이 확인되었다.
▲귀면문 대금구 일식
허리띠 끝부분 및 그것과 연결되는 금구가 모두 출토되었다. 이 외에 인골의 일부와 도자도 같이 출토되었다. 피장자 허리 부분에 착장된 상황이 잘 보존된 것으로 추정된다.
▲삼환령(상)과 방울이 달린 행엽
잔존 상태가 양호하여 흔들면 소리가 난다. 삼환령은 한 변 10cm, 행엽은 길이 9-10cm.
기능에 따라 구역이 나누어진 환호취락
제사구역에 반원형 돌출부
타카사키 경마장유적은 칸토평야 서북단, 현재의 JR타카사키역 동쪽에 펼쳐진 평야에 위치하는 야요이시대 중기 후엽의 환호취락이다. 기존의 경마장이 철거되고 군마 콘벤션 센터가 건설됨에 따라 발굴조사가 실시되었으며 취락의 일부가 확인되었다.
취락 규모는 면적 약 2ha, 환호 직경 160m로 그다지 크지는 않지만, 수혈건물이나 우물 등 성격을 달리하는 유구가 취락 내부에서 서로 다른 구역에 배치된 것이 큰 특징이다. 거주구역은 취락 북서부에 위치하며 적어도 25기의 수혈건물이 확인되었다. 고상 구조를 가지는 것으로 보이는 굴립주건물은 취락 남단에, 우물로 추정되는 깊이 파여진 구덩이 20기는 거주구역을 피하여 환호 안쪽을 따라 분포된다. 굴립주건물이 있는 환호 남단에는 반경 15m의 반원형 돌출부가 확인되었다. 이 반원형 공간에서는 유구가 확인되지 않았으나, 굴립주건물 바로 서쪽에 있는 2기의 대형 우물에서 제사나 의식 때에 사용된 것으로 여겨지는 다량의 토기 및 불탄 짐승뼈 등이 발견되었다. 또한 굴립주건물 및 우물과 반원형 공간을 나누는 구는 다량의 토기 등으로 메워져 양 구역은 일시적으로 연결되어 있었던 것으로 보인다. 이와 같은 특징으로 미루어 볼 때 이 범위는 제사구역이었던 것으로 추정된다.
환호취락 중앙부는 아직 조사되지 않았기 때문에 그 성격을 알 수 없지만, 취락 내부를 구획해서 사용했던 것이 밝혀진 것은 야요이시대 취락 구조를 고찰하는데 있어 매우 큰 성과라고 할 수 있다.
치아가 표현된 사람 모양 용기
이 유적에서는 야요이 사람들의 모습을 모델로 하여 만든 호형 사람 모양 용기가 10점 이상 출토되었다. 그 중 2점은 보기 드물게 치아까지 표현되어 있다. 또한 우물 바닥에서는 홍백의 호형토기 2점이 경부를 교차시켜 공납된 상태로 발견되었다. 이 두 개의 호는 본 유적에서 출토된 토기 가운데 가장 아름답게 장식된 것으로, 신에게 바친 특별한 제사에서 사용된 것으로 생각된다.
이와 같이 특수한 출토품은 야요이인들의 신앙을 이해하는데 있어 귀중한 실마리를 제공하는 것이다. (大木紳一郎)
자료제공 : 公益財團法人 群馬縣埋藏文化財調査事業團
▲환호 남단의 반원형 돌출부(남쪽에서)
환호 남단 내부에는 길이 7m의 굴립주건물과 대형 우물 2기가 나란이 있으며 돌출부를 포함하여 제사와 관련된 공간이었을 가능성이 있다.
▲우물에 바쳐진 홍백의 호
빨간색 호는 나가노현(長野縣)의 쿠리바야시식(栗林式) 계통, 흰색 호는 재지계의 특징을 지닌다. 양쪽 모두 아름답게 장식되었으며 군마현의 야요이시대 중기 후엽을 대표하는 토기이다. 왼쪽은 높이 25cm, 폭 17.4cm, 오른쪽은 높이 27.3cm, 구연부 직경 18.4cm.
▲사람 모양 용기의 얼굴
앞니를 표현한 점이 최대의 특징이다. 이중으로 그려진 눈 표현은 나가노현의 사례와 공통된다. 귀에는 귀걸이용의 구멍이 뚫렸고 머리에는 머리띠 내지 모자와 같은 착장물이 표현되었다. 높이 15.5cm, 폭 11cm.
▲환호취락 전체도
몇 개의 원형 공간을 연결시킨 형태를 지닌다. 거주구역에는 우물이 없고 제사구역에는 수혈건물이 없다. 환호 북서쪽과 남쪽에는 출입구에 해당되는 다리가 있었던 것으로 여겨진다.
▲마제석부
왼쪽부터 두 번째의 검은 각봉형(角棒形) 석부는 목기 가공용이고 나머지는 벌채용이다. 모두 사용된 흔적이 많지 않아 신에게 바친 물품으로서 매납된 것으로 여겨진다. 길이는 왼쪽부터 19.3m, 13.6cm, 20cm, 22.3cm.
대형 굴립주건물이 있는 쿠수분지(玖珠盆地)의 거점취락
116㎡의 대형 굴립주건물 확인
요까이치유적은 오오이타현 서북부의 쿠수분지 북쪽에 있는 구릉상에 입지한다. 공업단지 조성에 따라 약 100000㎡를 대상으로 2002~2017년의 16년 동안에 걸쳐 발굴조사를 실시하였다.
조사 결과, 야요이시대 중기 후반의 수혈건물 약 150기와 대형 굴립주건물, 다수의 구덩이, 소아용 옹관 등의 무덤이 확인되었다. 그 중에서도 주목되는 것은 대지 동쪽에서 발견된 면적 116㎡에 이르는 대형 굴립주건물을 비롯한 16기의 굴립주건물군이다. 야요이시대 중기 후반은 이와 같은 대형건물이 많이 만들어진 시기로, 북부 큐슈에서는 유비혼무라(柚比本村)유적(佐賀縣 鳥栖市) 등에서 100㎡를 넘는 대형건물이 확인되었다. 대형건물은 제사시설이나 집회장으로 추정되며 이 유적의 성격을 고찰하는 데 중요한 유구이다.
사슴, 화살깃 모양을 그린 선각 회화토기 출토
출토유물에는 사슴이나 화살깃을 표현한 야요이시대 중기 후반의 선각 회화토기가 있다. 선각 회화는 중기 후반부터 킨키(近畿)지방을 중심으로 많이 보이게 된다. 당시 사람들은 사슴의 생명력이 풍요로움을 가져오는 것으로 여겨 이러한 회화토기를 써서 농경과 관련된 제사를 행한 것으로 추정된다.
요까이치유적에서는 이 외에 단도(丹塗) 통형기대, 각부주구토기, 옹, 토제 곡옥 등 다양한 유물이 출토되었다. 북부 큐슈의 제사에서 사용된 토기와 공통성이 있기 때문에 양 지역 간의 교류를 생각하는 데 중요한 자료가 된다.
요까이치유적 주변의 다른 대지에도 몇몇 야요이시대 취락유적이 있다. 그러나 대지 면적이나 쿠수분지와의 위치관계를 감안하면 수전경작지를 확보하는데 있어서는 본 유적이 입지하는 요까이치대지가 가장 유리하며, 이 대지상에 쿠수가와(玖珠川)유역의 거점적 취락이 있었음은 틀림없을 것이다.
그런데 왜 100기 이상의 수혈건물이 야요이시대 중기 후반의 극히 짧은 기간 동안밖에 존속되지 않았는지, 그리고 왜 이 시기에 동일한 대지상에 성인용 무덤이 조영되지 않았는지 등, 향후 검토할 필요가 있는 과제도 남아 있다. (松本康弘)
▲유적 원경(서쪽에서)
2016년도 제15차 조사시의 노출 상황.
▲사슴 선각화가 있는 고배
평탄한 구연부 상면에 1마리가 그려져 있다. 호에 그려진 사슴보다 목이 길지만, 얼굴이 삼각형으로 표현되고 동체에 격자와 사선 등이 있는 점은 공통된다.
▲대형 굴립주건물
용마루를 지탱하는 기둥(棟持柱)을 가진 3채의 굴립주건물이 확인되었다. 파란색→빨간색→녹색 순으로 재건된 것으로 보여 이 자리가 장기간에 걸친 제사 공간이었음을 엿볼 수 있다.
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▲토기 매납유구
가로 방향으로 판 구멍에 주칠한 옹과 기대를 매납하였다. 제사행위을 한 것으로 추정된다. 사슴이 그려진 호 역시 이곳에서 나왔다.
▲단도 통형기대
일괄 폐기 토갱에서 출토되었다.
죠몽시대의 제사와 관련된 다양한 유물이 출토
호쿠소(北総)지역을 대표하는 죠몽시대 후・만기의 거점취락
사게토패총은 죠몽시대 후기부터 만기에 걸쳐 형성된 패총을 동반하는 취락유적이다. 토네가와(利根川)의 저지대를 내려다보는 대지 위에 입지하며 북쪽으로 열려있는 반원형의 패총과 죠몽시대 후기 중엽(加曾利B式期)부터 만기 중엽(安行式期)에 걸친 수혈건물 22기 등의 유구가 확인되었다. 패총은 기수역(汽水域)에 서식하는 일본재첩이 주를 이루어 죠몽시대에는 현재 토네가와의 수계까지 바닷물이 들어왔음을 알 수 있다. 1981년부터 현재까지 12번에 걸친 발굴조사가 이루어져 호쿠소지역(치바현 북부지역) 죠몽시대 후기에서 만기에 이르는 시기의 대표적인 유적으로 손꼽히게 되었다. 아비코시 교육위원회에서는 2013년부터 사게토패총 조사보고서 간행을 목적으로 출토유물 등의 정리작업을 진행하고 있으며 이에 따라 유적의 성격과 특징이 서서히 밝혀지고 있다.
제사유물에 보이는 복잡한 정신문화
사게토패총에서는 일상생활에서 사용된 토기와 석기 외에 제사나 의례에 사용된 특수한 유물이 다수 출토되었다.
수혈건물군이 확인된 미야마에(宮前)유적 지구에서는 토제이식 469점이 출토되었는데, 이는 칸토(關東)지방에서도 손꼽히는 출토량이다. 이 이식들은 이형대부토기(異形臺附土器)나 미니어처토기 등 특수한 토기들과 함께 수혈건물 내에서 출토된 사례가 약 80%를 차지한다. 거주공간 내에서 사용된 것으로 보여 매우 흥미롭다. 한편 다른 지구에서는 수혈건물 외부에서 완형에 가깝게 복원된 미미즈쿠 토우(부엉이 토우)와 사람 얼굴을 모방한 토판(土版) 등이 출토되었는데, 이들은 야외에서 실시된 제사와 관련된 유물로 추정된다.
석기, 석제품 역시 석촉 등의 수렵구 외에 석검, 석봉(石棒), 독고석(独鈷石) 등 제사와 관련된 도구가 많이 발견되었다. 또한 차트와 흑요석 등 일부 석재를 제외하고 원석이나 미완성품이 확인되지 않았기 때문에 사게토패총은 석기나 석제품의 제작지가 아니라 소비지였던 것으로 여겨진다. 동물뼈 등을 가공한 골각 및 치아제품으로서는 녹각제 차상각기(叉狀角器), 늑대 하악골에 구멍을 뚫은 수식 등의 장신구류가 출토되었다.
이형대부토기와 미니어처토기 등의 특수한 토기, 토우와 이식 등의 토제품, 석검과 석봉 등의 석제품, 그리고 골각기 등 제사와 관련된 다양한 유물의 존재는 당시 사회에 고도로 발달된 정신문화가 있었음을 느끼게 한다. 이와 같이 호쿠소지역의 조묭시대 후기, 만기 사람들의 생활 실태와 의례 양상이 밝혀진 것은 이 유적의 중요한 성과라고 할 수 있다.
사게토패총은 죠몽시대 만기 중엽을 마지막으로 취락이 단절되어 뒤를 이은 야요이시대 취락유적은 아비코시내에서 발견되지 않았다. 사게토패총에서 살면서 문화를 조성한 사람들이 그 후 어디로 갔는지 궁금하다. (手嶋秀吾)
▲미야마에유적 지구에서 발견된 수혈건물
방형→원형→육각형 순으로 세 번에 걸쳐 재건되었다.
▲유적 전체도
대지 끝에 수혈건물이 펼쳐져 있는 양상을 알 수 있다. 현재는 토네천까지 1.3km 떨어져 있으나, 죠몽시대에는 바로 가까이까지 기수역이 형성되어 있었다.
▲패층 단면
흑토에 조개가 섞인 표토 아래에서 패각이 많이 포함된 패층을 확인할 수 있다.
▲주구토기1
상부가 결실되었으나 아가리 부분을 덮는 천개(天蓋)나 붉은색의 채색이 있었던 것으로 여겨진다. 높이 20.5cm, 동체부 직경 21.5cm.
▲주구토기2
구연부가 좁은 심발에 주구가 달렸다. 문양 구성과 형태가 똑같은 주구토기가 하나 더 출토되었다. 높이 20.8cm, 동체부 직경 23cm.
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▲토제 이식
투조한 것과 중앙의 빈부분에 다리처럼 입체적인 장식을 붙인 것은 취락 내에서 만들어진 것이 아니라 외부에서 가져온 것으로 추정된다. 직경 3.8-7.2cm.
![]() ▲독고석 | ![]() ▲석봉 |
▲미미즈쿠 토우 출토상황
머리 부분에서 오른팔에 걸쳐 파편 상태로 출토되었다. 따로 발견된 왼팔, 오른다리, 왼다리가 접합되어 거의 완전한 모습으로 복원되었다.
▲늑대 하악골제 수식
늑대 하악골에 구멍을 뚫은 장식품. 길이 14cm.
최고급(最古級) 토기 ‘융기선문토기(隆起線文土器)’가 아마미군도(奄美群島)에서 첫 출토
▲단구 벽면에 열린 동혈
단구 벽면에는 셀 수 없이 많은 종유동이 그물망처럼 펼쳐져 있으며 시타바루 동혈유적은 함몰돌리네(종유동 천장이 무너진 지형)의 입구에 형성되었다.
아마미군도의 토기 기원을 끌어올리는 성과
시타바루 동혈유적은 아마미오오시마(奄美大島) 남쪽에있는 섬인 토쿠노시마(徳之島) 서부에 위치한다. 동혈의 입구는 해안에서 약 500m 떨어진 단구 절벽 아래의 표고 약 90m 되는 지점으로, 입구의 폭은 약 33m, 높이 5m이다. 내부는 비교적 길이가 짧아 가장 깊은 부분이라고 해도 20m 정도에 불과하다. 2016년에 선사시대 매장인골의 발견을 목적으로 카고시마현 여자단기대학과 아마기쵸 교육위원회가 합동으로 발굴조사를 시작한 이래, 주목할 만한 성과를 차례로 올렸다.
그 중에서도 눈에 띄는 것은 종전까지 아마미군도 최고의 토기로 여겨져 온 약 7,000년전에 해당되는 남도츠메가타문토기(南島爪形文土器)가 출토된 층보다 하층에서 파상조선문(波狀條線文)을 시문한 심발형토기와 호형토기, 내만구연의 발형토기 등 종전에 알려져 있지 않았던 토기군이 출토된 점이다. 또한 그 하층에서는 타네가시마(種子島)보다 남쪽에서는 발견되지 않았던 죠몽시대 초창기의 융기선문토기가 출토되어 아마미군도 토기문화의 기원이 확실히 1만년 이전으로 거슬러 올라가게 되었다. 이는 아마미군도에서도 혼슈(本州)와 비슷한 시기에 토기가 사용되기 시작했음을 보여준다.
이 유적에는 더욱 오래된 지층이 있는데 거기에서 확인된 탄화물을 방사성탄소연대법으로 측정한 결과 25,000년 전이라는 결과를 얻었다. 이 연대는 구석기시대에 해당되며, 이 층에서는 아직 인공유물이 확인되지 않았다. 아마미군도에서의 인류문화 양상은 잘 알려진 바가 없으나 향후 조사에 따라 역사를 바꿀 수 있는 새로운 자료가 확보될 수도 있다.
마제석촉 제작공방 발견되다
시타바루 동혈유적에서는 남도 츠메가타문 토기와 함께 많은 마제석촉이 발견되었다. 이들은 유적에서 가까운 해안에 노출되어 있는 점판암(粘板岩)을 재료로 사용한 것으로, 층리를 따라 박리된 박편에 세밀한 타격을 가하여 삼각형으로 모양을 낸 다음 전면을 연마한 뒤 마지막에 두 개의 구멍을 뚫은 것이다. 현재까지 108점에 이르는 마제석촉이 출토되었으며, 제작 도중에서 폐기된 것도 298점이 출토되었다. 제작 도구로 추정되는 석추(石錐)나 숫돌, 작업대로 사용된 대석(臺石) 등이 발견되었기 때문에 마제석촉이 이곳에서 제작된 것으로 여겨진다. 또한 마제석촉과 동일한 형태로 만들어진 조개촉(貝鏃)도 확인되어, 두 종류가 병용되었음을 알 수 있다.
이와 같이 이 유적은 아마미군도에서 구석기시대부터 죠몽시대로 넘어가는 과도기적 상황에 대한 해명 가능성을 가지고 있는 있는 보기 드문 유적이다. 향후 조사가 더욱 기대된다. (具志堅亮)
▲융기선문토기
모두 14점이 출토되었다. 출토된 층의 최하부에서 채취한 탄화물의 연대를 측정한 결과 13820±40년전(미교정연대)이라는 수치가 나왔다. 왼쪽부터 폭 3.4cm, 4cm, 6.1cm.
▲유적 원경(서쪽에서)
토쿠노시마 서부 일대는 류큐(琉球)석회암을 기반으로 하는 2단으로 된 해안단구가 형성되어 있으며 그 단구면의 경계에 있는 높이 60m의 벽면에 시타바루 동혈유적이 입지한다.
▲마제석촉
왼쪽부터 길이 4cm, 3.4cm.
▲패촉
마제석촉과 마찬가지로 두 개의 구멍이 뚫려 있으며 석촉과 동일한 제작공정으로 만들어졌을 가능성이 높다. 왼쪽부터 길이 3.5cm, 3.6cm.