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広報委員会
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埋蔵文化財保護対策委員会 事務長 小笠原永隆

 

 さる5月21日、埋蔵文化財保護対策委員会有志を中心に19名で高輪築堤の調査現場の見学を行った。高輪築堤については、協会の特設ページからも詳しい説明がリンクされているので、ここでは省略したい。

数日前から重機による爪入れ、すなわち石垣の石を外す作業が始まっているとのことである。「記録保存」のための調査がいよいよ開始された。4月21日公表されたJRの「一部保存・一部移築、ほかは記録保存」が実行されたことに他ならない。昨年11月22日の東京新聞でこの問題が明らかになって以来、2月16日の萩生田文科大臣の現地視察をはさみ、実に様々な動きがあった。この時は明らかになっていなかったが、10日後には菅総理も視察に来ることとなる(もっともJR東日本の方針を追認しただけにすぎなかったが)。

さて、現地保存方針の第3街区「第7橋梁」は、やはり一番見学者の目を見張るものである。この時は、現地保存に向けて、築堤を支える胴木や群杭(杭列)を保護するため、あえて水をためており、少しだけではあるが、当時の雰囲気がしのばれるものであった。第4街区に向けてのびる築堤はほぼ完全な姿で続いており、海側の石垣はもちろんのこと、その下部を支える胴木・砂利・群杭(杭列)も残されている。築堤の上部は、線路こそ残されていないもののバラストが確認され、開業時に汽車がはしった面が確認できる。さらに1899(明治32)年の3車線化に伴って山側に増設された土盛りや石垣もはっきりしている。

第4街区の景観は圧巻である。海岸線に沿う築堤は、直線状に伸びてから、品川に近づくにつれ、緩くカーブしていく様子がはっきりとわかる。カーブが始まろうとする場所には、石垣の上部に張り出しが構築されている。これは、当時の写真からも腕木式の信号施設と考えられ、土台部も明瞭に残っているとのことであった。しかし、第4街区はこの信号施設周辺のみ、しかも移築保存という方針である。施設のみが重要であるならば、この方針はやむを得ないものとして理解できる。だが、緩やかにカーブするという位置にあることに意味あり、それを含めた築堤全体の景観の中にあることが、その重要性をさらに高めているのではないだろうか。

第7橋梁

4街区の築堤跡

信号機土台

 高輪築堤の意義は、幕末から明治期にかけての近代化、とりわけ動力革命の達成を示す遺構であるということである。そして、考古学的にはその構造、すなわち築造工程を明らかにすることが重要であると思われる。

 東京は、江戸時代以来、台地を削ったその土で谷や浅瀬を埋立て利用可能な平地増やしながら都市として発展してきた経緯がある。もちろん一部であるが、発掘調査によって、その実像が明らかになってきている。明治期に入ると都市の近代化に伴い地形改変は一層顕著となり、都市を拡大することになるが、鉄道敷設に伴う高輪築堤の建設も、新たな都市開発の一つであるが、ここから運送形態が大きく変化していくという点で、まさしく革命であると言えよう。急速な近代化、日本の産業革命を象徴する存在である。しかもほとんど類を見ない規模で海上に、しかも極めて短期間で構築されたのである。築城や地業など伝統的な土木技術があったからこそ、可能となったのは間違いないが、どこから土や石を(急速な開発で土砂や石材は奪い合いに近い状態であったといわれる)どのように運び、築堤を構築したのだろうか。わからないことばかりであり。それを解明することが考古学の責務であり、高輪築堤の重要性をより高めることは容易に予想される。

築堤石垣の石材

説明の様子

辻協会会長あいさつ

 また、築堤の大部分が、当時の錦絵に描かれた姿のまま残存する景観は極めて貴重であるし、圧巻である。高輪ゲートウェイ駅を出て、築堤を目の当たりにする光景は、まさしく「ゲートウェイ」にふさわしいものではないだろうか。そこに当時の鉄道を復元し、汽車を走らせることができれば、新たな観光資源としての可能性も広がる。東京はスクラップ・ビルドを繰り返すことで発展してきた都市である。気が付けば江戸城跡(皇居)以外、大規模に近世~近代の景観が残されているところはない。ローマのように遺跡と現代都市が共存している風景のように、高輪築堤も開発の「邪魔もの」扱いされず、史跡としても景観としても、都市の中で「活用できる資源」として歓迎される存在にはならないものだろうか(もちろん、ローマも開発と遺跡保全の両立は簡単な問題ではないと聞いているが・・・)。

 デベロッパーや企業関係者のみならず一般の方々にも、現代の経済活動を犠牲にしてまで遺跡を保存する必要があるのか、という意見が多くあることは言うまでもない。しかし、過去、しかも歴史的に見ても象徴的なものまで、現世利益のために犠牲にしても良いのだろうか。もちろん、開発事業者のみを悪者にするべきことでもない。文化財保護法をはじめとする法制度について、検討するべき問題点が多くあることにも起因すると考えられるからである。高輪築堤は、まさしくこうした問題を凝縮した渦中にあるといえる。この点からも、議論は尽くすべきあり、急速な「国指定史跡化」という手土産で丸め込むべきではない。

 重要な遺跡を目の当たりにして、保存すべきである、と考えることは、考古学に関係する者として当然の心理である。しかし、単なるノスタルジックな訴えだけでは耳を傾ける人は少なくなっている。なぜ重要なのか、残すことでどのように役立てることができるのか、開発側にも響くような具体的な言葉や方策を示さなければならないし、時には規制を強化することも視野に入れなければならないのが現状であろう。

このように高輪築堤はそれ自体の考古学的な重要性だけではなく、「まちづくり」を含めた遺跡利用全体に実に多くの問題を提起する存在となっている。だからこそ、拙速に「一部保存、一部移築、残りは記録保存」を決めてはならない。いったん開発を止め、保存を前提として詳細に調査し、それから国民的な議論を尽くし、結論を出すべきなのではないだろうか。高輪築堤にはそれだけの現代的価値がある、と調査現場を見て考えた次第である。

発信者
広報委員会
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2021年5月31日
日本考古学協会 会長 辻秀人

はじめに

 JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)は、2021年4月21日高輪築堤を一部保存する一方で大部分を調査の後破壊する方針を公表いたしました。私ども日本考古学協会は同日付で会長コメントを発出し、高輪築堤の全面的な保存を前提に計画見直し、高輪築堤跡を広く社会へ公開すること、現地保存のために最後まで努力することを求めてきました。

しかし、残念ながらJR東日本は方針を変えず、大部分の破壊を前提とする調査に着手してしまいました。ここで改めて、日本考古学協会会長として大部分の破壊を前提とする計画の実行に反対いたします。

地域、社会・そして国民に調査成果、遺跡の価値を十分に開示していない

これだけの遺跡であるにもかかわらず、いったいどれだけの人がこの遺跡を知っているでしょうか。JR東日本は、調査成果の公表にきわめて消極的で、私の知る限り、これまで広く社会に向けては、4月9日報道発表、4月10日に人数を限定した一般公開、5月20日に私ども日本考古学協会を対象とする公開に限られます。共に町を作り、生活を営む東京都を含む社会の皆さんに広く遺跡を公開し、その価値と重要性を十分に開示する必要があると考えます。

あらためて、JR東日本が「残す」としているのは、発見されたうちのほんの一部に過ぎない、ということを強調したいと思います。これだけの遺跡をどのようにするのかは、広く国民の共有認識のもとに判断されなければなりません。日本最初の鉄道の跡が、ごく限られた人々のいっときの判断によって壊されていいはずはありません。JR東日本には、近隣住民を始め広く国民と情報を共有し、社会のコンセンサスの下に遺跡の将来を判断されることを強く求めたいと思います。

日本イコモス国内委員会が高輪築堤の世界的価値を認め、全面的な保存を求める要望書を発出

日本イコモス国内委員会は、ユネスコ世界遺産登録審査の諮問を担当しているイコモス(国際記念物遺跡会議)の世界的な活動の一翼を担っていますが、5月24日に全面保存と高輪開発計画の見直しを求める要望書を発表しました。内容は多岐にわたり、精緻を極めていますが、およそ次のようなことが書かれています。

世界遺産の可能性を秘めた価値

高輪築堤が日本の近代化遺産として21世紀における最大の発見と位置付けられること。文化史の上からも土木工学史の上からも、世界的な意義と価値を有すること。東アジア最初の鉄道遺跡であることも併せ、十分に世界文化遺産に値すること。

再生の活力としての遺跡

何より、この日本最初の鉄道遺跡を現代の新たな街並みの中に甦らせることが、コロナ禍に苦しむ社会にとって希望と再生の活力になるのではないか。

イコモスのこれらの言葉に私たちは深く共感します。現代の地上に現れた最初の鉄道の軌道上を歩くとき、私たちは明治の先人の近代化に向けた熱意を体感し、誰もがその偉業に深い敬意を抱くに違いありません。それは将来長きにわたって、ときの社会情勢に左右されない活気を高輪の街に与えることでしょう。それこそが再開発事業の究極の目的に適うことではないでしょうか。

高輪築堤跡の大きな価値と次世代に伝える必要性を総理大臣が指摘

 5月29日、菅総理大臣が萩生田文部科学大臣らとともに現地を訪れました。総理は直かに見たこの遺跡について感動を語り、「将来に伝えるべき」として、「史跡指定を考えたい」と言っています。私たちは、文化庁がこの言葉を受けて早急に国指定史跡とすることを望みます。また総理にはぜひともこの遺跡の意義に一層の思いを寄せ、全体を保存する方向を考えていただきたい、と思います。総理も言うように、開発と遺跡保存・公開は決して対立するものではなく、むしろ遺跡の活用こそ開発の本義に沿うものです。

最後に

日本イコモス国内委員会の要望書、菅総理大臣のご指摘は、これまで日本考古学協会が声明、会長コメント等で主張してきた内容とほぼ共通しています。つまり、高輪築堤跡は国の宝であり、世界の宝とされる可能性も秘める重大な遺跡で、全面的に保存し、次世代に伝える必要があるということです。ここに改めて日本考古学協会は高輪築堤跡において破壊を前提に計画を進めることに反対し、全面的な保存と、従来の計画を再検討のうえ新たな町作りの中核に据えることを要望いたします。なお、残念ながらすでに破壊を前提に調査が進行している現状があります。貴重な遺跡の調査ですので、少なくとも期限を切らず、精緻な調査を実現するべきであることを申し添えます。

声明読み上げはこちら

 

URL:https://youtu.be/Qzo7JkRVu2I

 

日本イコモス国内委員会 高輪築堤要望書.pdf

発信者
機関誌『日本考古学』編集委員会
刊行物
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2021年5月20日発行 126p ISSN 1340-8488 ISBN 978-4-642-09402-3

論 文土屋隆史倭における盛矢具の生産体制とその変化
論 文園原悠斗近畿地域における弥生時代打製石鏃の研究
論 文新尺雅弘近江大津宮周辺における瓦生産の実態
研究ノート國木田大・佐々木由香・小笠原善範・設楽博己青森県八戸市八幡遺跡出土炭化穀物の年代をめぐって
遺跡報告土肥研晶・富永勝也・福井淳一・吉田裕吏洋・酒井秀治北海道木古内町幸連5遺跡の発掘調査概要
書評山田しょう御堂島正編『石器痕跡研究の理論と実践』
書評小野昭大工原豊・長田友也・建石徹編『縄文石器提要』考古調査ハンドブック20
書評桃﨑祐輔右島和夫監修『馬の考古学』
書評関口慶久関根達人著『石に刻まれた江戸時代 無縁・遊女・北前船』
発信者
広報委員会
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昨年12月、東京都港区、高輪ゲートウェイ駅周辺開発に伴う発掘調査で、日本最古の鉄道遺跡・高輪築堤が発見されたことが報道されましたが、開発主体であるJR東日本旅客鉄道株式会社は、一部保存と移築のみで対応するとの方針を発表しました。日本考古学協会・埋蔵文化財保護対策委員会では、今年1月にJR東日本をはじめとるする関係機関に全面保存を求める要望書を提出しました。しかし、方針は変更されず、これに対し日本考古学協会は、3月に開発計画の抜本的な見直しと前面保存を求める会長声明を発出し、その後も4月に2回の会長コメントを発出しています。

 今回は、高輪築堤について、第1部でその歴史的意義やなぜ全面保存が求められるのか、この問題についてお詳しい早稲田大学教授の谷川章雄先生にお話をお伺いします。第2部では広報委員会のメンバーとディスカッションし、ご視聴のみなさまにこの問題を一緒に考えていただきたいと思います。

 

講演会①

URL:https://youtu.be/0xBAujuy6nw

 

講演会② 質疑応答

URL:https://youtu.be/LFNtvdO6Ptk

発信者
埋蔵文化財保護対策委員会
要望書の内容

文遺第1244号
令和3年5月18日

一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会委員長 藤沢 敦 様

 

神奈川県教育委員会教育長

 

横浜市青葉区稲荷前古墳群隣接地の文化財に係る適切な取扱いについて(回答)

 

 日頃から当県の文化財保護行政にご理解と御協力をいただき、厚くお礼申し上げます。

2021年5月10日付け埋文委第2号で要望のありました、標記のことについては政令指定都市における民間事業に係る埋蔵文化財の取扱いとなります。文化財保護法施行令第5条第2項の規定では、文化財保護法第93条第2項の規定による民間事業による埋蔵文化財の取扱いに係る指示については、政令指定都市の事務となっております。埋蔵文化財の有無の確認も含め、本件は横浜市教育委員会の取扱いとなります。

 なお、横浜市教育委員会に確認したところ、当該地における埋蔵文化財の取扱については、現在、土地所有者と協議しているとのことであり、当教育委員会としてはこの状況を注視するとともに、今後、重要な遺跡・遺構が確認された場合は、史跡指定も含め、横浜市教育委員会及び文化庁と協議していくことを申し添えます。

掲載開始日
発信者
埋蔵文化財保護対策委員会
要望書の内容

     埋文委 第2号
2021年5月10日

 

文化庁長官        都 倉 俊 一   様
神奈川県知事       黒 岩 祐 治   様
神奈川県教育委員会教育長 桐 谷 次 郎   様
横浜市長         林   文 子   様
横浜市教育委員会教育長  鯉 渕 信 也   様

 

 

                        一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 沢   敦

 

横浜市青葉区稲荷前古墳群隣接地の文化財に係る適切な取扱いの要望について

 

 標記の件について、別添書類のように、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容を有するものであり、貴殿におかれましては、適切な保存の対策が講じられることを要望いたします。

 なお、まことに恐縮ですが、当件に係る具体的な措置および対策につきまして、2021年5月28日(金)までに、当協会埋蔵文化財保護対策委員会委員長宛にご回答を下さるようお願いいたします。

 

1 提出文書名
  横浜市青葉区稲荷前古墳群隣接地の文化財に係る適切な取扱いについて(要望)

2 提出文書
  別添のとおり 1通


埋文委 第2号
2021年5月10日

 

文化庁長官        都 倉 俊 一   様
神奈川県知事       黒 岩 祐 治   様
神奈川県教育委員会教育長 桐 谷 次 郎   様
横浜市長         林   文 子   様
横浜市教育委員会教育長  鯉 渕 信 也   様

 

一般社団法人日本考古学協会
       埋蔵文化財保護対策委員会
       委員長   藤 沢  敦

 

 

横浜市青葉区稲荷前古墳群隣接地の文化財に係る適切な取扱いについて(要望)

 

 横浜市青葉区大場町所在の稲荷前古墳群は、高度成長期における民間の宅地造成において破壊の危機にさらされましたが、多くの方々のご努力によってその一部が保存され、1970年に神奈川県の史跡に指定されました。

 このたび、この隣接地を開発する計画が示されておりますが、保存地区内の通路からこの開発予定地を見ると、古墳の墳丘とも思われる高まりを確認することができます。この場所は、周知の遺跡範囲に含まれていないものの、保存されている16号墳、15号・17号墳のある尾根の先端部に位置していることから、一連の古墳群に関連する可能性が極めて高いと考えられます。

 従いまして、この高まりの性格を明らかにするため、早急に確認調査を実施する必要があり、古墳であることが確認された場合、稲荷前古墳群の範囲に含めることはもちろんのこと、重要な埋蔵文化財として適切な保護措置を講ずることが求められることは言うまでもありません。

 以上のことから、一般社団法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、稲荷前古墳群隣接地の開発予定地について、以下の通り要望します。

 

 

1. 早急に確認調査を実施し、高まりの性格を明らかにすること。

2. 古墳であることが確認された場合、稲荷前古墳群の範囲に含めることはもちろんのこと、横浜市・神奈川県・文化庁において協議の上、県史跡に相当する遺跡の重要性と価値を十分に検討し、事業計画の見直し・現地保存を含めた遺跡の保護策を講じること。

掲載開始日
発信者
埋蔵文化財保護対策委員会
要望書の内容

埋文委 第1号
2021年4月23日

 

文化庁長官 都 倉 俊 一  様
島根県知事 丸 山 達 也  様
島根県教育委員会教育長 新 田 英 夫  様
出雲市長        飯 塚 俊 之  様
出雲市教育委員会教育長 杉 谷   学  様

 

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

 

大社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書の提出について

 

 標記の件について、別添書類のように、当該遺跡は学術上きわめて重要な内容を有するものであり、貴職におかれましては、適切な保存の対策が講じられることを要望いたします。

 なお、まことに恐縮ですが、当件に係る具体的な措置および対策につきまして、2021年5月14日(金)までに、当協会埋蔵文化財保護対策委員会委員長宛にご回答を下さるようお願いいたします。

 

 

1 提出書類
    別添のとおり 1通

 


埋文委 第1号
2021年4月23日

文化庁長官 都 倉 俊 一  様

 

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

大社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書

 

大社基地およびそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地が遺跡群としてその遺構を良好にとどめる、全国的にも例がほとんどない貴重な戦争遺跡といえます。

大社基地遺跡群のなかでも主要な構成要素となる主滑走路(120m×1700m、そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)は、部分的ながらも舗装区画を残す部分が長さ1㎞以上におよぶなど、当時の状況をこれほど良好に遺す例は他に類をみません。さらに、主滑走路周辺の山裾には、爆撃機「銀河」の掩体、爆弾庫、魚雷庫、掩体から飛行場への誘導路痕跡などの遺構が現存しており、面的な広がりをもつ遺跡群としてきわめて良好に遺存する点も特筆されます。また、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など関連する多くの文献資料から、アジア・太平洋戦争末期の本土決戦に備えた西日本最大の軍事拠点としての性格が大社基地遺跡群にうかがわれることは、地元の研究者・研究団体が明らかにしてきたところです。

このように、大社基地遺跡群は主滑走路と附属施設が建設当時の姿をよくとどめた大規模な海軍航空基地であり、関連する文献資料も豊富なことから、全体像の把握が可能な戦争遺跡として全国的にも稀有の貴重な文化財と位置づけられ、これが有する歴史的意義には計り知れないものがあります。さらには、主滑走路など遺された遺構は、戦争の実態や当時の雰囲気を伝える平和学習の場として現在も地元の学校教育、社会教育で活用されるなど、その存在が寄与するところはきわめて大きいと聞いています。

そうしたなか、大社基地遺跡群の主要構成要素である主滑走路の大部分が民間業者に売却されたとの報道があり、開発工事によってこれが早期に失われることが懸念されています。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会では、これまでも近現代の遺跡に大きな関心を払い、それらの調査・研究・保全の重要性を訴えてきました。大社基地遺跡群についても、アジア・太平洋戦争末期の重要な戦争遺跡としてその歴史的意義を的確に把握するため、総合的な学術調査とそれにもとづいた構成要素となる遺構の保全と活用が将来に向けて望まれるところです。

以上により、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記の通り要望いたします。

 

 

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を保存し、史跡として整備し、国民的財産として活用すること。

以上


埋文委 第1号
2021年4月23日

島根県知事 丸 山 達 也  様

 

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

大社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書

 

大社基地およびそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地が遺跡群としてその遺構を良好にとどめる、全国的にも例がほとんどない貴重な戦争遺跡といえます。

大社基地遺跡群のなかでも主要な構成要素となる主滑走路(120m×1700m、そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)は、部分的ながらも舗装区画を残す部分が長さ1㎞以上におよぶなど、当時の状況をこれほど良好に遺す例は他に類をみません。さらに、主滑走路周辺の山裾には、爆撃機「銀河」の掩体、爆弾庫、魚雷庫、掩体から飛行場への誘導路痕跡などの遺構が現存しており、面的な広がりをもつ遺跡群としてきわめて良好に遺存する点も特筆されます。また、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など関連する多くの文献資料から、アジア・太平洋戦争末期の本土決戦に備えた西日本最大の軍事拠点としての性格が大社基地遺跡群にうかがわれることは、地元の研究者・研究団体が明らかにしてきたところです。

このように、大社基地遺跡群は主滑走路と附属施設が建設当時の姿をよくとどめた大規模な海軍航空基地であり、関連する文献資料も豊富なことから、全体像の把握が可能な戦争遺跡として全国的にも稀有の貴重な文化財と位置づけられ、これが有する歴史的意義には計り知れないものがあります。さらには、主滑走路など遺された遺構は、戦争の実態や当時の雰囲気を伝える平和学習の場として現在も地元の学校教育、社会教育で活用されるなど、その存在が寄与するところはきわめて大きいと聞いています。

そうしたなか、大社基地遺跡群の主要構成要素である主滑走路の大部分が民間業者に売却されたとの報道があり、開発工事によってこれが早期に失われることが懸念されています。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会では、これまでも近現代の遺跡に大きな関心を払い、それらの調査・研究・保全の重要性を訴えてきました。大社基地遺跡群についても、アジア・太平洋戦争末期の重要な戦争遺跡としてその歴史的意義を的確に把握するため、総合的な学術調査とそれにもとづいた構成要素となる遺構の保全と活用が将来に向けて望まれるところです。

以上により、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記の通り要望いたします。

 

 

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を保存し、史跡として整備し、国民的財産として活用すること。

                                      以上


埋文委 第1号
2021年4月23日

島根県教育委員会
教育長 新 田 英 夫  様

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

大社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書

 

大社基地およびそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地が遺跡群としてその遺構を良好にとどめる、全国的にも例がほとんどない貴重な戦争遺跡といえます。

大社基地遺跡群のなかでも主要な構成要素となる主滑走路(120m×1700m、そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)は、部分的ながらも舗装区画を残す部分が長さ1㎞以上におよぶなど、当時の状況をこれほど良好に遺す例は他に類をみません。さらに、主滑走路周辺の山裾には、爆撃機「銀河」の掩体、爆弾庫、魚雷庫、掩体から飛行場への誘導路痕跡などの遺構が現存しており、面的な広がりをもつ遺跡群としてきわめて良好に遺存する点も特筆されます。また、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など関連する多くの文献資料から、アジア・太平洋戦争末期の本土決戦に備えた西日本最大の軍事拠点としての性格が大社基地遺跡群にうかがわれることは、地元の研究者・研究団体が明らかにしてきたところです。

このように、大社基地遺跡群は主滑走路と附属施設が建設当時の姿をよくとどめた大規模な海軍航空基地であり、関連する文献資料も豊富なことから、全体像の把握が可能な戦争遺跡として全国的にも稀有の貴重な文化財と位置づけられ、これが有する歴史的意義には計り知れないものがあります。さらには、主滑走路など遺された遺構は、戦争の実態や当時の雰囲気を伝える平和学習の場として現在も地元の学校教育、社会教育で活用されるなど、その存在が寄与するところはきわめて大きいと聞いています。

そうしたなか、大社基地遺跡群の主要構成要素である主滑走路の大部分が民間業者に売却されたとの報道があり、開発工事によってこれが早期に失われることが懸念されています。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会では、これまでも近現代の遺跡に大きな関心を払い、それらの調査・研究・保全の重要性を訴えてきました。大社基地遺跡群についても、アジア・太平洋戦争末期の重要な戦争遺跡としてその歴史的意義を的確に把握するため、総合的な学術調査とそれにもとづいた構成要素となる遺構の保全と活用が将来に向けて望まれるところです。

以上により、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記の通り要望いたします。

 

 

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を保存し、史跡として整備し、国民的財産として活用すること。

                                      以上


埋文委 第1号
2021年4月23日

出雲市長 飯 塚 俊 之  様

 

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書

 

大社基地およびそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地が遺跡群としてその遺構を良好にとどめる、全国的にも例がほとんどない貴重な戦争遺跡といえます。

大社基地遺跡群のなかでも主要な構成要素となる主滑走路(120m×1700m、そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)は、部分的ながらも舗装区画を残す部分が長さ1㎞以上におよぶなど、当時の状況をこれほど良好に遺す例は他に類をみません。さらに、主滑走路周辺の山裾には、爆撃機「銀河」の掩体、爆弾庫、魚雷庫、掩体から飛行場への誘導路痕跡などの遺構が現存しており、面的な広がりをもつ遺跡群としてきわめて良好に遺存する点も特筆されます。また、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など関連する多くの文献資料から、アジア・太平洋戦争末期の本土決戦に備えた西日本最大の軍事拠点としての性格が大社基地遺跡群にうかがわれることは、地元の研究者・研究団体が明らかにしてきたところです。

このように、大社基地遺跡群は主滑走路と附属施設が建設当時の姿をよくとどめた大規模な海軍航空基地であり、関連する文献資料も豊富なことから、全体像の把握が可能な戦争遺跡として全国的にも稀有の貴重な文化財と位置づけられ、これが有する歴史的意義には計り知れないものがあります。さらには、主滑走路など遺された遺構は、戦争の実態や当時の雰囲気を伝える平和学習の場として現在も地元の学校教育、社会教育で活用されるなど、その存在が寄与するところはきわめて大きいと聞いています。

そうしたなか、大社基地遺跡群の主要構成要素である主滑走路の大部分が民間業者に売却されたとの報道があり、開発工事によってこれが早期に失われることが懸念されています。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会では、これまでも近現代の遺跡に大きな関心を払い、それらの調査・研究・保全の重要性を訴えてきました。大社基地遺跡群についても、アジア・太平洋戦争末期の重要な戦争遺跡としてその歴史的意義を的確に把握するため、総合的な学術調査とそれにもとづいた構成要素となる遺構の保全と活用が将来に向けて望まれるところです。

以上により、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記の通り要望いたします。

 

 

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を保存し、史跡として整備し、国民的財産として活用すること。

                                      以上


埋文委 第1号
2021年4月23日

出雲市教育委員会
教育長 杉 谷   学  様

                         一般社団法人日本考古学協会
                         埋蔵文化財保護対策委員会
                          委員長 藤 澤   敦

 

大社基地遺跡群の学術調査と保存に関する要望書

 

大社基地およびそれに附属する遺跡群(以下、大社基地遺跡群と呼ぶ)は、アジア・太平洋戦争当時の海軍航空基地が遺跡群としてその遺構を良好にとどめる、全国的にも例がほとんどない貴重な戦争遺跡といえます。

大社基地遺跡群のなかでも主要な構成要素となる主滑走路(120m×1700m、そのうちコンクリート舗装部分60m×1500m)は、部分的ながらも舗装区画を残す部分が長さ1㎞以上におよぶなど、当時の状況をこれほど良好に遺す例は他に類をみません。さらに、主滑走路周辺の山裾には、爆撃機「銀河」の掩体、爆弾庫、魚雷庫、掩体から飛行場への誘導路痕跡などの遺構が現存しており、面的な広がりをもつ遺跡群としてきわめて良好に遺存する点も特筆されます。また、大社基地等の造営を担った舞鶴海軍鎮守府所属第338設営隊の戦時日誌など関連する多くの文献資料から、アジア・太平洋戦争末期の本土決戦に備えた西日本最大の軍事拠点としての性格が大社基地遺跡群にうかがわれることは、地元の研究者・研究団体が明らかにしてきたところです。

このように、大社基地遺跡群は主滑走路と附属施設が建設当時の姿をよくとどめた大規模な海軍航空基地であり、関連する文献資料も豊富なことから、全体像の把握が可能な戦争遺跡として全国的にも稀有の貴重な文化財と位置づけられ、これが有する歴史的意義には計り知れないものがあります。さらには、主滑走路など遺された遺構は、戦争の実態や当時の雰囲気を伝える平和学習の場として現在も地元の学校教育、社会教育で活用されるなど、その存在が寄与するところはきわめて大きいと聞いています。

そうしたなか、大社基地遺跡群の主要構成要素である主滑走路の大部分が民間業者に売却されたとの報道があり、開発工事によってこれが早期に失われることが懸念されています。日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会では、これまでも近現代の遺跡に大きな関心を払い、それらの調査・研究・保全の重要性を訴えてきました。大社基地遺跡群についても、アジア・太平洋戦争末期の重要な戦争遺跡としてその歴史的意義を的確に把握するため、総合的な学術調査とそれにもとづいた構成要素となる遺構の保全と活用が将来に向けて望まれるところです。

以上により、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、下記の通り要望いたします。

 

 

1.大社基地遺跡群の総合的な学術調査を行うこと。

2.大社基地遺跡群を保存し、史跡として整備し、国民的財産として活用すること。

                                      以上

掲載開始日
発信者
広報委員会
Content

2021年4月21日
日本考古学協会 会長 辻秀人

 

最初に

 高輪築堤跡に関しまして、3月2日に会長声明、4月5日には会長コメントを発出し、その全面的な保存を要望してまいりました。日本考古学協会としての考えは、これら声明およびコメントの通りですが、このたびJR東日本から、2街区の約40m、3街区の橋梁跡を含む約80mの一部保存と、4街区の破壊方針が明らかにされましたので、会長としての考えを表明したいと思います。

JR東日本が公表した方針について

 2街区の一部と、3街区で発見された第7橋梁を含む築堤跡の保存方針は、率直に評価したいと考えます。その一方で、4街区で発見された築堤跡については、記録保存のための調査を行った後、信号機跡を含む約30mを移築保存して、その他は破壊するという方針であり、容認することはできません。4月5日の会長コメントで指摘したように、4街区で発見された保存状態の良い築堤跡と信号機跡は、歴史的重要性の高いものであり、現地で一体的に保存することでその価値が保たれます。それらを破壊する方針を決定したことについて抗議するとともに、決定を撤回することを要望します。

 拙速な決定を取り消し抜本的な計画見直しを求めます

専門家による高輪築堤調査・保存等検討委員会は、信号機跡を含むできるだけ長い区間の現地保存を求めており、4街区の破壊方針は承認できないことを表明しています。4街区の調査成果公表から極めて短期間で方針決定がなされており、充分な検討が尽くされたとは思えません。拙速な決定と言わざるを得ません。

4街区の築堤跡は再開発予定範囲の西端で発見されており、再開発計画を抜本的に見直すことで、保存と開発の両立は可能であると考えます。歴史的景観を組み込んだ新たな街並みを実現できれば、他では真似することのできない、特別な場所として集客することも可能であると考えます。あらためて、築堤跡を活かした抜本的な計画見直しを要望します。

 4街区の充分な公開が必要です

4街区については、4月10日に一般公開が行われましたが、事前申込みによる限定公開でした。これだけ重要な遺跡の一般公開が、一日の限定公開だけであることは、極めて問題があります。追加して充分な公開の機会を設け、様々な分野の専門家や、一般の方々からの意見を聞くことが必要であると考えます。

 最後まで保存のための努力を求めます

日本考古学協会としては、抜本的な計画見直しによる築堤跡の保存と公開が望ましいと考え、声明、コメントを表明してきましたが、少なくとも部分的な計画変更や工事方法の変更などで、築堤跡ぎりぎりまでに工事範囲を狭めることができれば、現地保存の可能性が広がります。その場合には、公開活用は難しくなるかもしれませんが、埋め戻して地下で保存しておけば、将来に残すことはできます。貴重な近代遺産である築堤跡の現地保存のため、JR東日本と関係機関が、最後まで努力を続けることを強く要請します。

声明読み上げはこちら

 

URL:https://youtu.be/kpZC09g9aTw


JR東日本ニュース
 品川開発プロジェクト(第Ⅰ期)における高輪築堤の調査・保存について(4月21日)
品川開発プロジェクト(第Ⅰ期)における高輪築堤の調査・保存について.pdf

発信者
広報委員会
Content

2021年4月5日
日本考古学協会 会長 辻秀人

 

最初に

 高輪築堤跡に関しまして、会長声明を発出し、保存の要望を公表してまいりました。昨日(4月4日)に新たに4街区の調査成果の概要が公表されました。日本考古学協会としての考えは、3月2日に発出した会長声明の通りですが、新たな調査成果とその後の報道された国およびJR東日本の方向性に関わり、会長としての考えを表明したいと思います。

港区から公表された第4街区の調査成果

 港区教育委員会から公表された内容の通り、4街区では鉄道開業時の信号機跡と推定される遺構を含む約380mの高輪築堤跡の遺構が検出されています。築堤の保存状態は極めて良好で、当時の景観が圧倒的なスケールで実感できる、かけがえのない歴史遺産と言えます。特に信号機跡は、明治5年(1872)の鉄道開業時のわが国最初の信号機の遺構と考えられ、極めて重要性は高いと考えております。

報道による保存の方向性

 報道によりますと、3街区の第7橋梁を中心に現地保存が検討されているとのことです。しかし、この築堤は日本の伝統的な技法にイギリスの先進技術を加えた最先端の土木工学により、世界的にも珍しい海上築堤という方法で造られたものであります。今回の事業区間内で検出された遺構を全面的に保存しなければ、その意義を根底から覆すことになってしまいます。また、信号機跡と推定される遺構の発見は、築堤全体の意義をさらに高めるものと考えております。

今後のあり方

今回初めて公表された4街区の調査成果については、充分な現地公開の機会を確保する必要があります。その上で、関係する専門家や幅広い市民の意見も聴取し、取り扱いを検討するべきであり、拙速な判断を行うべきでないことを、特に申し述べたいと思います。

日本考古学協会の立場

前回も述べた通り、高輪築堤跡は、世界史的にも稀有な遺跡であり、今回の調査成果をさらに高めるもので、日本近代史・科学技術史・国際交流史における価値は、疑問の余地なく国史跡あるいは国特別史跡に相当するものであります。私ども日本考古学協会は、国及びJR東日本に対し、開発計画の抜本的見直しと高輪築堤跡の現地における全面保存を改めて強く求めるとともに、そのための協力を惜しまないことを再度表明いたします。

 

声明読み上げはこちら

 

URL:https://youtu.be/pgIXc5OPnbs

発信者
埋蔵文化財保護対策委員会
回答内容

2安教生第240号
令和3年3月22日

一般社団法人日本考古学協会
埋蔵文化財保護対策委員会
委員長 藤 沢  敦 様

安 芸 市 長  横 山 幾 夫
安芸市教育長  藤 田 剛 志

 

安芸市瓜尻遺跡の保存に関する要望書について(回答)

 

2021年3月3日付け埋文委第12号で要望のあった件について、下記のとおり回答します。

 

1. 遺跡の調査成果を広く公開し、専門的知見・評価の収集に努めること。

 当該地の埋蔵文化財発掘調査は、統合中学校建設事業に伴い実施しており、令和2年9月から、令和3年7月末の予定で調査を進めています。

 今月には調査の中間(成果)報告として、県内マスコミへの現地公開(3月23日)及び市民等への現地説明会(3月27日)も予定しています。調査完了後においても調査成果を広く公開していきたいと考えております。

 本市及び本市教育委員会としても、遺跡の保存や活用策について検討するため、「安芸市瓜尻遺跡調査指導委員会」を設置しており、考古学・建築・文献史など複数の有識者の専門的知見・評価を参考に、遺跡の価値付け等に努めてまいります。

 

2. 安芸市・高知県・文化庁において協議の上、遺跡の重要性と価値を十分に検討し、事業計画の見直し・現地保存を含めた遺跡の保護策を講じること。

 本市としましては、本市教育委員会と連携し、埋蔵文化財の保護に配慮しながら、喫緊の課題である南海トラフ地震の津波から子ども達の命を守るため統合中学校の建設を推進してまいりたいと考えております。

 当該地の調査成果に関しては、文化庁、高知県にも報告のうえ、安芸市瓜尻遺跡調査指導委員会において、遺跡の重要性と価値を十分に検討するとともに、同委員会からの助言を参考に学校建設と遺跡の保存・活用の両立について検討してまいります。

掲載開始日